【文藝春秋】
『香水』

パトリック・ジュースキント著/池内紀訳 

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 あなたは、自分の体臭というものを気にするほうだろうか。

 犬や猫といったペットを飼っていらっしゃる方ならおわかりだろうが、およそ動物というものは、数日も放っておくと、その動物特有の匂いを発するようになるものだ。これはペットが生き物である以上、けっして避けて通れない飼い主の悩みのひとつであるが、こうした匂いの問題は、当然のことながら私たち人間自身にもつきまとってくる。
 自分の体から、あまり心地良くない匂いが発生する――それはしばしば、自分の体が不潔であることを意味する。だからこそ人々は今日、頻繁に入浴して体をすみずみまで洗い、そして香水や消臭スプレーといったもので自分の匂いを打ち消そうと努力する。それでなくとも、私たち人間を含むすべての生き物は、汗や糞尿、あるいは女性のメンスといった、匂いを発するものを排泄して生きているのである。だが逆に言えば、私たちの体臭は、私たちがまぎれもなく生きているという証でもあろう。死んでしまった者に体臭はない。あるのは、もはや物体と化した肉が分解されるときに発する、猛烈な腐敗臭のみである。

 原田宗典の『スメル男』では、ある事件によって殺人的な体臭を発するようになってしまった男が登場する。こうしたことからもわかるように、私たちは基本的に、体臭というものに対してあまり良い印象をもっていないものであるが、もし本書『香水』を一読するなら、あるいはあなたは、自分に体臭があることを神に感謝するようになるかもしれない。なぜなら、本書は生まれたときから体臭のまったくないある男が引き起こした、恐るべき不幸を書いた作品であるからだ。

 時は18世紀のフランス。子どもというものにまったく愛を感じない母親から生まれたジャン=バティスト・グルヌイユは、ただ体臭がないだけでなく、愛や道徳といったものまで欠落したおぞましい人間でもあった。彼が興味を示すのはただひとつ、「匂い」のみ。そう、グルヌイユには、この世にあるありとあらゆるモノの匂いを嗅ぎ分け、それをけっして忘れないという、驚異的な能力があったのだ。

 私たちが備えている五官のうち、自分の周囲を認識するにのもっとも用いる部分は視覚である。つまり人間は、まず目で見て、そして判断することが圧倒的に多い生き物なのだ。あるいは聴覚、音を聞くという感覚も、視覚ほどではないがよく活用して生活している。だが、視覚や聴覚に比べて、嗅覚となると、人間の能力などたかがしれたものであることは、匂いに関する表現の乏しさを考えても明らかだろう。本書が読者に指し示そうとしているのは、匂いで世界を認識する男、グルヌイユの点から嗅がれた、私たちのまったく知らないもうひとつの世界の姿だとも言える。
 それゆえに、本書のなかにある匂いに関する表現には圧倒されるものがあるのだが、それは私たちにとって、匂いの世界がほぼ未知の領域であるからに他ならない。まさにその冒頭から、その時代に漂っていた悪臭の表現で埋め尽くされる本書は、匂い立つような――いや、むせ返るような小説といっても過言ではないものがあるのだが、この物語の面白いところは、主人公グルヌイユがその成長によって見出していく、神がかり的な能力にこそある。

 どうやらこの少年は紙や布や木を通して、いや、壁ごしやドアごしであれ、向こうがちゃんと見えるらしい。部屋に入る前に何人の仲間が寝室にいるかを言いあてた。キャベツを断ち割る前に、なかに芋虫がいるのを見通していた。――(中略)――未来すら予見できるらしかった。誰それがやって来ると、当人が現われるより先に言ってのけたし、空にまだ黒雲一つ現われていないのに、早々と嵐の到来を予告した。

 想像のなかで数々の匂いを調合して楽しんでいたグルヌイユは、まるでそれが必然であるかのように、香水調合師への才能を開花させていく。一度匂いを嗅げば、その香水の原材料だけでなく調合の割合まで正確に言い当て、彼がつくりだす新しい香水は、人々を夢幻の世界へといざなっていく。だが、グルヌイユの匂いに対する欲望はとどまるところを知らない。香水づくりの技術を学んだ彼は、草花だけでなく、真鍮のドアノブや石灰石、はては子犬や人間の匂いまでも抽出し、保存しておくことに執着するようになる。この世に漂う、グルヌイユだけが嗅ぎ取ることのできる匂いを手に入れること――それは彼にとって、至高の芸術作品とも言うべき「究極の匂い」を完成させるための布石にすぎなかったのだ……。

 アロマテラピーに代表されるような、香りが人間の感情におよぼす効能について注目されはじめたのは、おそらくつい最近のことだろう。もちろん、香水の歴史はそれよりもずっと古いが、それはおもに香辛料などと同じく、悪臭をごまかすためのものでしかなかったはずである。体臭がまったくないグルヌイユは本書のなかで、人間の体臭を何種類もつくり出し、人々の意思や感情を思うがままに操作するすべを手に入れたが、よくよく考えてみれば、世界を匂いによって認識する彼にとって、匂いがない物質は、いわばこの世に存在しないも同然のものでもあるのだ。

 人として生まれた以上、当然得られるはずの愛を得ることなく育ち、また自身も愛を欲しいと思うことのないまま生きてきたグルヌイユ――彼にとって「究極の匂い」を手に入れることは、ある意味で「自分の匂い」、つまり自分自身を手に入れることでもあったはずである。だが、愛という概念を匂いに変換することが不可能であるのと同じように、自他を識別する「自分の匂い」をもたないグルヌイユに、はたしてまぎれもない自分自身を手に入れることなどできるのだろうか。

 匂いにもっとも敏感な嗅覚をもちながら、自身の体臭を知らないという、大いなる矛盾――本書はなんとも奇妙な物語であり、物語である以上、読者を惹きつける山場も用意されている、きわめてエンターテイメントの要素が高い作品であるが、そうした点から本書をとらえたとき、その意外なほどの奥深さを見せてくれる作品でもあるのだ。

 本書のタイトル『香水』とは、間違いなくグルヌイユが目指した「究極の匂い」であろう。世界に匂いの一大革命を引き起こす、おそるべき香水――匂いのためなら殺人をもためらわないグルヌイユが、はたしてどのような末路をたどることになるのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2003.02.06)

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