【早川書房】
『夢みる宝石』

シオドア・スタージョン著/永井淳訳 



 人が眠っているあいだにみる夢――およそ支離滅裂で、そこにどのような意味があるのかまるで見当のつかないようなものもあれば、夢と現実の区別がつかなくなってしまうほどリアリティーのあるものもある夢というものについて、人々は昔からそこに特別な意味があるものとして考え、さまざまな解釈を試みてきた。あるときは吉凶を占う手段として、あるときは未来を予知する手がかりとして、あるときは宗教的なメッセージとして、あるときは人間の深層心理を映し出す鏡として、夢は人々の生活と分かちがたく結びついていた、と言うことができるだろう。そもそも人間は起きているか眠っているかの二種類の状態しかないのだ。それゆえに、夢と現実のあいだに優劣をつけること自体が無意味だと述べる人もいるし、また夢も現実もけっきょくのところ、人間の脳がおこなう情報処理の結果であるところから、このふたつのあいだに厳密な区別をつけることは不可能だと主張する人もいるくらいだ。
 世界が科学万能主義をひた走っていた近代において、夢は意味のないもの、役にたたないもののひとつとして軽視され、人々は夢に対して深く注意を向けるということをやめてしまった。今でこそ心理学など一部で夢を再評価する動きがはじまってはいるものの、その傾向は今もなお私たちを捕らえて離そうとはしない。それゆえに、本書『夢みる宝石』で著者が展開した発想の斬新さは、本書がSFであるということも考慮にいれて、極めて稀有なもの、突然変異的な作品であると言わなければなるまい。

 捨て子だったホーティは、孤児院にいたときに手に入れた古いびっくり箱のジャンキーとともに、資産家であるブルーイット家の養子として暮らしていたが、自分の地位と名声にしか興味のないアーマンドと、うわべをつくろうことしか知らない妻トンタとの生活は、彼にとってけっして楽しいと呼べるようなものではなかった。しかも、ホーティには普通の子どもたちにはない、変わった性癖があった。ある日、その性癖が養父に知られるところとなり、指をつぶされるというひどい折檻を受けたホーティは家を飛び出してしまうのだが、そんなホーティに救いの手を差し伸べたのは、小人や鰐男といった奇形ばかりの集団である移動見世物(カーニヴァル)の人たちだった。
 それまで、数少ない友達のケイを除いて、誰も自分のことを認めず、また理解しようともしない人たちのあいだに育ち、子どもがまっすぐ成長するのに必要不可欠であるはずの、他人からの無条件の愛に飢えていたホーティにとって、ハバナやバニー、そしてジーナたちの存在は暖かく、なにより自分のことを本気で心配し、必要としてくれる仲間意識を感じさせるものだった。ホーティはそれからカーニヴァルの一員としての生活をはじめることになるのだが、そこの団長であり元医者でもある通称「人食い」、モネートルは、一団をとりしきり、奇形動物や奇妙な人間たち集めるその裏で、ある不思議な力を秘めた水晶を探していた。

 その水晶は、土の中から掘り出して汚れを除いてやらなければ、ただの石ころと変わらないほど何の変哲もない水晶なのだが、あるちょっとした偶然によってその水晶の存在を知ったモネートルは、長年の研究の結果、その水晶たちが生きており、人間と同じようにさまざまな感情を有していることを突き止めていた。そしてもちろん、その水晶がもつ特殊な能力のことも。それは、無機物から生物をつくりだす――モネートルは、それを水晶が夢をみる副産物だと称している――という、とんでもない力のことだった。

 すべての人間を憎み、常に全人類への復讐心をかきたててきたモネートルは、水晶の力を使ってその歪んだ望みを叶えたいと考えていた。そして、そんな彼に何度もその水晶を見せられていたジーナは、それと同じものがホーティの持っていたびっくり箱――そのふたつの目玉に使われていることに気がつく……。

 人間とはまったく次元の異なる思考概念を持ち、人間という種の過去、現在、未来のいかなる時点においても、その存在すら意に介しない世界の住人であるところの生きた水晶が、人間と同じフィールド上に存在するという設定、そして彼らがきまぐれにみる夢の副産物が、彼らの知らないところで私たちの住む現実の世界にひっそりと影響を与えつづけているという事実、それはとりもなおさず、自分たちのいる世界において、オリジナルだと思っていたあらゆる事物に対する疑惑という形に帰結する。水晶のみる夢は、木や花や鳥や犬を複製し、あるいはそれらの奇形を生み出す。となれば、もしその水晶の力がもっと強ければ、もしかしたら人間一人を――もっと言うなら世界そのものすら生み出すことができるのではないか、と推測するのにそれほど時間は必要ないだろう。ホーティが知らないうちに一対の水晶の所有者になっていたこと、そしてホーティと水晶との奇妙な感応力――そのあたりの伏線が本書の最大のヤマ場のひとつとなるわけだが、そのような小難しい理屈を抜きにして、単純に人間の心の醜さと高潔さを描いた物語、あるいは人の心が必ず持っている善と悪との対決を描いた物語としても、充分読み応えのある作品であることは間違いない。

 水晶になぜそのような能力があるのか、そして、そもそもなんのために水晶は夢をみるのか――その点に関しては、本書内にも明確な答えがあるわけではない。ただ、この無限とも言える大宇宙のなかの、ある銀河系のある惑星に生命が誕生したという奇跡、そしてその惑星上で信じられないような――それこそ神の介入でもあったかのような進化の連続の結果、今の私たちがここに生きている、という奇跡を考えると、そのような疑問をもつこと自体がちっぽけなことのように思えてくる。人間の発生が、宇宙にとってどれほどの必然だったのかを考えるよりも、そもそもすべてが水晶のみる夢のように、とりとめもなく、意味も因果もない偶然の結果なのだという考えは、なぜか妙な説得力をもって人の心に迫ってくるものがある。神はあくまで人間が、自分たちの存在価値を再認識するために都合良く生み出されたものでしかない。逆に言えば、宇宙全体のことを理論的に考えるには、私たちの存在はあまりにもちっぽけで、せいぜいそれぞれの神をつくりだす程度のことしかできない、ということでもある。

 人はしばしば夢のなかからインスピレーションを得て、新しい科学技術を発見したり、素晴らしい芸術を生み出したりする。それはあるいは創造というよりも、高次な次元に浮遊する完全な美を自分なりに変換する作業である、と言ったほうがいいのかもしれない。水晶のみる夢が単なる模倣からまったく新しいものの創造へと変化したとき、水晶たちは、あるいは人間にはけっして手の届かない完全な美を見つけ出し、再生することになるのかもしれない。もしそうであるなら、それはどんな姿であれ、きっと素晴らしいものとなるに違いない。(2000.03.19)

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