【作品社】
『葉書でドナルド・エヴァンズに』

平出隆著 



 もしかしたらあなたは、小さい頃に切手収集を趣味のひとつにしていたことがなかっただろうか。

 じつを言えば、私がまさにそういう少年であった。当時、なんでも兄の真似をしたがる私が、兄のはじめた切手収集に影響されてのことなのか、あるいは学校で流行っていたことなのか――詳しいことはもう覚えていないのだが、とにかく一時期、葉書に貼る切手を集めていたことはたしかだ。そしてそのときの記憶として印象深いのは、郵政省発行の切手カタログを見たときで、日本という国だけを見ても、これほど多くの種類の切手が過去に発行されていた、という事実に、ちょっとした衝撃を覚えたものだった。

 郵便切手にかぎらず、切手が存在するということは、少なくともその国には独自の通貨があり、国の信用のもと、きちんとした通貨制度という約束事が成立していることを意味している。本書『葉書でドナルド・エヴァンズに』という作品は、著者の平出隆が、若くしてこの世を去った画家のドナルド・エヴァンズに宛てて葉書を出す、という形式でつづられた本であるが、こうした形式がドナルド・エヴァンズという画家のことを紹介するにあたって、もっとも「ナイスな」アイディアであることを説明するためには、まず彼の残した作品を実際に見てもらうのがもっとも手っ取り早いだろう。そう、ドナルド・エヴァンズが描いたのは切手、それも架空の国で発行された架空の切手であり、彼の作品とはその創作された切手の貼られた葉書であり、収集されたストックシートであり、その架空の国の気候や風土、制度といったものを紹介したアルバムであるからだ。

「そこでは、どんな飢饉も、大災害も起りません。ぼくの切手には将軍たち、戦闘場面、そして軍用機などは登場しません。この国々は清浄で、平穏、そして豊かなのです。――」

 切手というのは、たんに郵便代金として貼られる手形、という役割を超えて、その国の歩んできた歴史や自然、その国が誇る文化や伝統といったものを物語るものでもある。だからこそ、世界じゅうに切手収集家が存在し、さまざまな国の切手を集めたいという欲望にとりつかれるのだろう。ドナルド・エヴァンズもまた、かつては切手収集に熱中した少年だったが、彼はしだいにこの世にはない国の切手を創作し、創作した切手を、あたかも収集家のようにアルバムに収めていく。架空の切手を生み出すという行為――それはそのまま、架空の国を生み出す行為であるとも言えるだろう。

 正直、本書を読むまで、このようなファンタジーに挑戦した画家がいることをまったく知らなかったのだが、それはあるいは、架空の世界を舞台に物語を創作していくファンタジー作家の仕事よりもファンタスティックであり、またリアリティのあるものではないだろうか。そしてそんな画家の仕事の結果が見たい、と思わせるだけの魅力が、本書のなかにはたしかにある。

 架空の国をつくる、という作業を考えたとき、まず思い浮かぶのは、イギリスの言語学者でもあったJ・R・R・トールキンの生み出した「中つ国」だろう。彼がこのファンタジー世界を生み出すもととなったのは、エルフやドワーフといった架空の種族が使う言語であったことは有名な話であるが、ドナルド・エヴァンズもまた、架空の国に名前をつける、という意味では、同じことをおこなっている。

 ところでぼくには、これらの国造りの最初のきっかけが、言語の変形、または名辞の変形の、ユーモラスなほどの微妙さの中にあった、ということを考えます。

 詩人である著者をして「そこらの詩人の仕事以上」と称させるドナルド・エヴァンズの命名が、現実の世界にある名前の変形を主とする、というのは、ある意味で象徴的である。それは著者も語っているように、あきらかに現実世界を意識させながら、しかし現実ではない別世界に連なっている、ということであるからだ。現実世界に存在する「切手」という約束事――しかしその切手は、現実世界では使うことのできない架空の切手である、という大いなる矛盾点こそ、現実の言葉を微妙にずらしていくことで新しい世界を構築していく詩人の著者を、もっとも深くとらえたのではないだろうか。

 アメリカから一度、日本に戻ってきた著者は、まるでドナルド・エヴァンズの創造した架空の世界を旅しようとするかのように、オランダへの旅に出ることになる。じっさい、読者にとって著者のオランダへの旅は、架空の国を旅する行為であるかのように思えてくる。そもそも、すでにこの世にはいない人間に葉書を出す、という行為自体、ドナルド・エヴァンズが生み出した世界と同じ要素を持っていると言えるのだ。すなわち、現実世界を思わせながら、しかし現実ではない架空に目を向ける、という意味で。

 あるいは、こんなふうに言うこともできるだろう。彼らにとって現実と架空の境目というのは、限りなく曖昧なものなのだ、と。どこまでが現実で、どこまでが架空、というはっきりとした境界線のない世界――まるで昼と夜のあいだに生まれる黄昏時のように、そこでは生と死も等価なものであり、だからこそ本書の形式が、ドナルド・エヴァンズの生み出した「切手」というファンタジーとつながるものがあるのだと。

 本書巻末に添えられた「ノート」によると、ドナルド・エヴァンズに宛てられた葉書の186通のうち、約40通は、ついに発見することができなかったという。あるいはその40通は、著者の想像するように、本当にドナルド・エヴァンズの世界へと届いたのかもしれない。そんなファンタジーを、ふと信じたくなる一冊である。(2002.09.17)

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