【早川書房】
『緑の少女』

エイミー・トムスン著/田中一江訳 



 世界は絶えず変化をつづけている。その流れを完全に押しとどめることは、おそらく誰にもできないだろう。だが、あまりにも急激な変化の波は、それまで長い時間をかけて築き上げてきた諸々のものを破壊することにもなりかねないし、かといって現状の秩序を維持することのみにエネルギーを費やしていては、いつか物事は停滞し、そして停滞は腐敗を生むことになるだろう。迫りくる変化の波をどのように受け入れていくべきなのか――かつて、日本が鎖国を解くことでほとんど無秩序に西欧文明を受け入れてしまった結果、それまで培われてきた日本の伝統がどんどん衰退し、ついには環境や生態系、人々の心にまで甚大な影響を与えていることを考えると、異なる文明どおしがおたがいの調和を導き出すというのは、並大抵のことでは実現できない、困難な作業となるだろうことは容易に想像がつく。
 ましてや、それが異なる惑星に住む知的生命体どおしの調和、となれば、なおさらのことだ。

 本書『緑の少女』は、いわゆるエイリアンとのファースト・コンタクトを扱った物語である。ただ、本書に登場するエイリアンは、たとえば『ソラリスの陽のもとに』に登場するプラズマ状の"海"のように、知的生命体なのかどうかさえよくわからない、静寂と狂気の混在する代物でも、また『幼年期の終わり』に登場するような、人類という種をより高い次元へと導くためにやってきた超生命体でもなく、どちらかというとより人間に近い思考概念を有する直立二足歩行型異星人である。そういう意味で、本書はエイリアンとのファースト・コンタクトというよりも、異なる文明を持つ者どおしの交流をどのようにしてストレスなく深めていくか、その過程で起こるさまざまな出来事をつづった物語と言ったほうが、あるいは妥当なのかもしれない。

 惑星調査団の一員として、地球からはるか離れた緑の惑星にやってきていた生物学者のジュナ・サアリは、見知らぬ熱帯雨林のなかで死にかけていた。惑星の調査を終えて基地へと帰還する途中に起きた飛行艇の事故により、徒歩による帰還を余儀なくされた彼女らは、大気中に含まれる微細な有機体が引き起こす重篤なアレルギー「アナフィラキシー・ショック」に襲われて次々と死亡し、最後に残った彼女もじきにその後を追うはずだった。だが、次に目が覚めたとき、ジュナは自分が巨大な木の枝にいることに気づく。しかも、その手には鉤爪が生え、体じゅうの毛は抜け落ち、全身緑色の爬虫類のような姿に変身させられていたのだ。そして、ジュナは自分と同じような姿の、アマガエルに耳の生えたようなエイリアンたちと遭遇することになる――彼らこそ、ジュナの命を救い、この熱帯雨林で生存が可能となるよう彼女の体に改造を加えた、テンドゥと呼ばれる密林の原住民だったのである。

 エイミー・トムスンという作家は、前作『ヴァーチャル・ガール』のときもそうだったが、読者を何の前触れもなく、いきなり物語の世界に放り出してしまうという手法を得意とするようだ。本書の冒頭においても、いきなりエイリアン側の視点から物語がはじまっており、それゆえに読者はいささか面食らったような思いをするかもしれないが、そこさえ乗り越えてしまえば、あとは一気に読み進めることができるだろう。前述したとおり、エイリアンといっても人間と似たような思考概念を持つがゆえに、たとえばテンドゥから見た人間がどんなふうなイメージを与えるのか、また人間から見たテンドゥがどんな感じなのか、その違いを両方から味わうことができるなど、なかなか面白い工夫がなされているのだ。

 もちろん、注目すべき点はそこだけでなく、音声言語を持つ人間と、色彩で感情を表現し、皮膚の上に模様を浮かび上がらせて会話をする、いわゆる皮膚言語を有するテンドゥ、とくにジュナと、彼女の監視役となるアニトという名のテンドゥとが、どのようにしてお互いの違いを認め、交流を深めていくかを描く様子は、エンターテインメント小説としても第一級の面白さを持っていると断言できる。とくに、ジュナを助けた結果として、自分の村の村長と、自分の師(シティック)であるイルトを失い、さらには人間について一番詳しい、ということで監視役にさせられたアニトのほうは、この見なれぬ新生物をなかなか好きになれない(というか、人生をめちゃめちゃにした張本人だと思っている)どころか、ちゃんとした人格を持っていることさえ認めようとしなかったのだが、それでもジュナの持つコンピュータなど、人間の文明に触れる機会を持ったり、ようやく皮膚言語で話ができるようになったジュナと会話を交わしたり、またテンドゥ社会に対する無知から起こる、さまざまな困難に果敢に立ち向かっていくジュナの姿を見るにつれて、徐々に心のわだかまりを解いて、ジュナを、そして人間という彼女にとってのエイリアンの存在を認めるようになるのである。本書はジュナの物語である以上に、バミから成者、さらに尊者へと成長していくアニトの物語であるとも言うことができるだろう。

 それにしても、きわめて原始的な生活習慣を持ちながら、アリューアという精神交感によってジュナの体を変身させたり、重度の怪我や病気を癒してしまう、高度な生物学的技術を有し、自分たちの住む世界の調和を保つため、あくまで自分たちもまた自然の一部であることを認識した一生をおくること、また極めて長寿で、それゆえに人間以上に伝統や格式にうるさいことなど、このテンドゥという生物の特長の一部は、あきらかにインディアンといった、どこかの未開地に住む民族を彷彿とさせるものがある。もしかしたら著者は、そういった民族たちが西欧文明の波に無秩序に晒された結果、多くの重要なものが失われていった過程を強く意識していたのではないか、と私は思うのだ。そしてそれゆえに、著者はテンドゥという社会に尊者(エンカー)という、仙人に似た階級を生み出したのではないか、と。
 尊者の役目は、この世界の調和を保ち、一般のテンドゥたちを害から守ること。だが、尊者のひとりであるナラトネンは、それらのありかたに疑問を投げかける。村人たちは先を見ようとしないままでいいのか、外の世界に目を向けないままでいるのが正しいのか、と。

 もっとも、そんな難しいことを考えなくても、普通の物語としても充分に読み応えのある作品であることに変わりはない。はたして、ジュナは無事地球へ帰ることができるのか、人類とテンドゥとの交流は成功するのか、そして両者の交流は、おたがいの文明にどのような影響を与えることになるのか――その鍵を握るジュナとアニトの活躍を、ぜひとも楽しんでもらいたいものである。(2000.05.14)

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