【光文社】
『クリーピー』

前川裕著 

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 私にとって小説とは愛すべき存在で、その感情は当然のことながら、その作品に登場する人物たちにも向けられている。そしてじっさい、物語のキャラクターたちの印象深いその性格づけや立ち居ぶるまいなどは、たいていが愛着あるものとして私の心に刻まれ、読書への意欲を膨らませるものとなっているのだが、なかにはごく稀ながら、非常な嫌悪感をもよおさせるような登場人物と出会うこともある。私にとっては、たとえば貴志祐介の『黒い家』に登場する菰田幸子や、横森理香の『ぼぎちん』に出てくる堀田タカシだったりするのだが、面白いのは、こうしたキャラクターの存在が、その作品の先を読みたいという気持ちを萎えさせるということはなく、むしろその嫌悪感が読者を物語に引き込む原動力となっているという点であり、物語を成立させるうえでなくてはならない要素として機能していることである。

 読者ウケのする好印象の登場人物を書くのは比較的容易だが、吐き気をもよおすほどの嫌悪感を与える登場人物を書くのは、けっして容易なことではない。そしてそれは、私にとって嫌悪感をともなう登場人物が跋扈するような小説は、むしろその書き手の技量の高さを証明するもののひとつとして判断されるのだが、今回紹介する本書『クリーピー』もまた、そうした方面において高く評価されるべき作品だと言うことができる。

 情性欠如とは、恐ろしい性格の歪みを指す言葉であり、凶悪な犯罪者に特有の性格と考えられているのだ。平たく言えば、他人の不幸に対して、一切の同情心を抱くことができない性格。それが情性欠如だ。そのときの西野は、まさにその言葉で形容するにふさわしい人物に見えた。

 本書の語り手として登場する高倉は、東洛大学文学部教授で、専門は犯罪心理学。たまに異常な事件が起こったときなどに、テレビでコメントを求められたりするそこそこの有名人であるが、ある日、そんな高倉のところに高校時代の同級生であり、今は警視庁捜査一課の刑事となっている野上が接触してくる。彼は八年前に起こった日野市の一家三人行方不明事件の再調査を指揮しており、唯一事件に巻き込まれずにすんだ、当時は中学生だった女性が、今回の再調査にさいして口にしたある新証言について、その信憑性を高倉に判断してほしがっていた。

 一応学者としての見解を報告書として野上に渡したものの、事件調査のほうはとくに何の連絡もないまま数ヶ月がすぎた頃、同じ警視庁の谷本という刑事から、野上が行方不明になっているという衝撃の事実を知らされる。じつはあの報告書を書いてから、一度だけ野上が仕事の件と称して直接高倉の家を訪れたことがあったのだが、そのとき彼が気にしていたのは、高倉の住む生活環境――近隣の家の配置やその家族構成といった要素が、日野市一家三人行方不明事件における、当時の近隣の生活環境と酷似しているということだった。そして、高倉の隣の家に住んでいる人物こそが、上述の引用に登場する西野という男である。

 十ヶ月ほど前に高倉夫婦が今の住宅街に引っ越してきたとき、すでにその隣の家に住んでいた西野に対して、非常に愛想のいい近所の人という印象をもっていたが、それが上述の引用のようなものへと変化したのは、高倉家の向かいにある家が火事となり、その住人がまだ家の中にいることを知りながら平然としていた様子をまのあたりにしたからに他ならない。それは逆にいえば、そうした特異的な出来事が起こらなければ、あるいは高倉の西野に対する印象は、「愛想のいい隣人」以上のものをもち得なかったかもしれない、ということでもある。物語はその後、行方不明になっていた野上の遺体が予想もしなかった場所から発見されるという事態となり、いったい野上の身に何があったのか、という点をメインに物語が動いていくことになるのだが、語り手である高倉の視点に立ったときに、他ならぬ彼ら夫婦に迫る直接的危険として注目されるべきものは、八年前の一家行方不明事件に酷似している高倉家の生活環境と、西野という得体の知れない隣人の存在である。

 本書において特徴的な要素があるとすれば、それは間違いなく西野というキャラクターである。そして彼のことを語るのにまずはっきりさせなければならないのは、西野は本当に西野なのかということだ。そしてもし西野が西野でないとしたら、彼はいったい何者なのか、という疑問が立ち上がってくることになるのだが、それ以上に彼がどうやって西野家に入りこみ、どのようにしてその家族を支配しているのか、そして本当の西野はどうしているのか、といった問題も生じてくることになる。なにしろ、高倉夫婦は西野の娘である澪が毎日学校に通っている様子を目撃しており、西野は完全に彼の父親としてふるまっていることになるのだ。

 赤の他人がある家族のひとりになりすまし、かつその家族と長いあいだ共同生活をする――いっけんすると、どうあがいたところで成立させられそうもない犯罪行為でありながら、その犯人が見事なまでに相手を支配し、また周囲をたくみに騙しながらうまく生活しているさまが、人間心理の専門知識をたくみに織り交ぜて描かれているのが本書であり、それこそが本書の大きな特長のひとつである。人の心の弱さにつけこむことに長けた「悪の天才」としての犯罪者像――じっさいに彼の言動は人の嫌悪感を逆なでするようなところがあるのだが、同時に自身の都合で相手の命を奪うことに何のためらいもない極端なまでの合理性と狂暴性を兼ね備えた人物としての彼は、逆の意味で深い印象を残すキャラクター性をもちえていると言うことができる。

 本書に登場する「なりすまし」犯人は、まさにそのタイトルにある『クリーピー』――身の毛のよだつような気味の悪さを意味する英単語そのものだ。そしてその気味の悪さは、自分の隣に住んでいる人たちについて、じつは思った以上によく知らないということへの不気味さにもつながるものである。はたしてあなたの隣人は、本当にあなたが知っているはずの人物なのだろうか。(2012.08.07)

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