【ヴィレッジブックス】
『老検視官シリ先生がゆく』

コリン・コッタイル著/雨沢泰訳 



 就職や転職をするときによく耳にする「適職」というものについて、ふと考えをめぐらせることがある。私は今でこそ社内SEという職種に就いている身であるが、学生のときに何をしていたのかと言えば、ひたすら小説を書くということをしていた人間である。そもそも私は文学部の出身であり、今の会社に就職してシステム開発をしろと言われるまで、プログラミングの経験など無きに等しい状態だった。そういう意味で、当時の私にとってSEというのはとても適職とは言えない職種だったし、希望していた部署もそこではなかったのだ。だが、結果として私は今もなおその職種で仕事をつづけている。

 自分は何が得意なのか、自分にはどんな職業が向いているのかを見極め、その力を最大限生かせる職業につくことができれば、これほど幸せなことはない。だが、現実にそのような希望どおりの職に就くことができる者が、はたしてどれだけいるだろうか。いや、そもそも自分が何者で、どんなことを得意とするかなど、どこまでわかっていると言えるだろうか。自分自身に対する評価と、他人の自分に対する評価とは常に異なるし、「適職」だという思い込みと、じっさいに仕事をやってみてうまくやれるかどうかということとは別物であることも多い。
 人生というのはそうした食い違いの連続であり、けっきょくのところ与えられた環境のなかでなんとかやっていくしかない、ということでもある。重要なのは、そんなミスマッチな人生でも、人はそれなりに楽しみを見出すことができる、という事実だ。今回紹介する本書『老検死官シリ先生がゆく』には、ラオス人民民主共和国で唯一の検死官であるシリ・パイプーンという老人が登場するが、彼の今の職業は、自分の望んでいた老後とは程遠いものという設定となっている。

 ご覧のとおり。これが先生の引き継いだチームであり、望まなかった仕事であり、予想もしなかった人生だった。――(中略)――先生はまた、まっさきに自分には職務をまっとうする資格がないこと、仕事にも情熱を感じないことを明言した人間でもあった。

 本書の舞台となる一九七六年のラオスでは、共産党員による革命が起こり、ラオス王国は共和国に変わっていた。若いころにフランスで医学を修めたシリは、帰国後は共産党員としてラオス愛国戦線に入り、長年のあいだ地下に潜伏して反政府活動をつづけてきたという経歴の持ち主であるが、その動機はただひとつ、留学時に知り合った愛する女性が革命への情熱をもつ共産党員だったという理由によるものだった。それゆえに、本書の主人公であるシリは共産党員ではあるものの、共産主義を盲信するようなところはなく、またそのことを周囲に隠そうともしないという、かなり異端的な立場にいる人物として描かれている。

 本書を読み進めていくとまず気がつくのが、そうしたシリの言動のあちこちににじみ出てくる、どこか今の政府のありかたや自身の置かれた境遇を皮肉ったような視線であり、それがこの物語の暗さや陰湿さを大きく和らげる役目をはたしている。共産主義の国というと、どこか上から抑圧されるかのような、日々の生活にも余計な緊張感を強いられる体制という印象が強いのだが、齢七十二歳の老検死官の皮肉の効いたユーモア感覚は、本書の大きな特長のひとつとして物語のなかに生かされている。なにより、長年待ち望んだ革命が成ったにもかかわらず、国は困窮しており、すっかり引退する気でいたシリのような老人が、国唯一の検死官として働かなければならないという状況そのものが、壮大な皮肉の図式でもある。そう、ラオス唯一の検死官であり、また検死事務局長であると言えば聞こえはいいが、ようするに深刻な人材不足の裏返しであることを、シリは誰よりも心得ているのだ。

 検死解剖のための道具は旧式のものばかり、検査のための薬品は常に不足し、助手といえばダウン症の屈強な青年と、資本主義国の雑誌を読むのが好きな看護婦のふたりだけ。しかもシリ自身はといえば、検死官となってまだ一年にも満たないという有様。だが、彼が検死官として役立たずであるかといえばけっしてそんなことはなく、むしろその死体に刻まれたかすかな痕跡から、どのような経緯によってこの物言わぬ死体が死体に成り果てたのかを洞察するだけの気骨と根気を持ち合わせている。

 たとえば本書の冒頭で、彼は昼食中に突然死したニトノイ夫人の検死解剖をおこない、彼女が自然死ではなく、毒物による他殺の可能性を見出すのだが、彼が報告書を書く前に、ニトノイ婦人の夫である上級共産党員が早々に妻の遺体を取りあげていってしまう。もしシリが本当の役立たずであるか、有能ではあっても組織におもねるような人物であるのなら、上級共産党員の決定をそのまま受け入れてしまうはずである。だが、シリのけっして楽なものではなかった長い人生において培われたある種の老獪さは、こういうときにこそその反骨精神を発揮するという困った一面があるのだ。そして、この共産主義国家において異端的な反骨精神ゆえに、彼はのちに政治的な陰謀に巻き込まれて、何度も命の危険にさらされてしまう。

 自分の今の仕事がけっして自分にとっての「適職」と考えているわけではないにもかかわらず、シリがあくまで検死官としての職務に忠実であろうとするのには、一応の理由がある。それは、彼には反政府組織の軍医であった時代から、彼のもとにおとずれる死者の言葉を聞くことができるという特殊な能力を有している、というものである。それはいかにも東南アジアを舞台とする物語らしい設定であり、じっさい本書のなかで、シリ先生は論理では説明のつかないような出来事を何度も体験することになる。そういう意味では、本書は正式なミステリーとは言いがたいものがあるのはたしかであるが、重要なのは、そうした非論理的、非科学的な事柄に対しても、それが現実の事件解決のために有効であるなら、あえてそれを否定するのではなく、逆に受け入れてしまおうというシリの柔軟な思考である。そしてそれもまた、シリ・パイプーンというキャラクターの魅力として私たち読者の心に残ることになる。

 これがきみの頭に復讐心をかきたてただけなら、わたしが七十二歳だということを言っておくよ。この国の平均寿命より二十二歳も年上だ。――(中略)――いままでの人生で、すでにきみの思いつきそうな罰はすべて経験している。ようするに、わたしはこれっぽっちの恐怖も感じないということだ。

 上述のような、上司に対する気骨溢れるセリフというのは、並々ならぬ人生を生きた老人だからこそ絵になるものであるし、またシリという人物がそれだけの重みある人生をおくってきた、ということでもある。次々と運ばれてくるいわくつきの死体たち、そして検死解剖を依頼しておきながら、いっぽうでその邪魔をするような動きを見せ、さらにはシリ先生を亡き者にしようとさえする勢力の存在――死者の言葉に耳を傾け、また死体の状態から真実を見極める検死官としてのシリ先生が、どのようにして今回の一連の事件に立ち向かっていくのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2013.02.28)

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