【幻冬舎】
『コンセント』

田口ランディ著 

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 今、この世界は大きく揺らいでいる。教育も家族も、人間が生まれながらに持っていた性別さえ、今では解体しつつある。それまで絶対不変であったはずの価値観は容易にその価値を失い、あらゆるものがものすごい勢いで変化していき、確かなものなど何ひとつなく、誰もが来るべき新しい未来に希望を見出すことができないでいる。自分たちが生きている、唯一の世界――どこにも出口のない、袋小路のように閉塞してしまったようなこの世界のなかで、私たちの誰もが心のどこかを病みながらも、それでも社会のルールからはみ出さないよう、普通の人として生活を営みつづけている。この世界のもたらす個人への干渉は、ますます強く、辛辣になっていく。そして、その干渉に精神が耐えられなくなったとき、あるいは精神病や分裂病と診断されて精神病院に隔離され、あるいは突然キレて、無差別に人を殺していき、あるいはこの世界とのあらゆる接点を自ら遮断して、自分の内側へと引きこもっていく。

 あなたは、自分が生きているこの世界を生きがたいと感じているだろうか。この無秩序で、絶えずさまざまな異物による刺激を受け、ときには人を傷つけ、あるいは傷つけられたりしながら、徐々に自分そのものが磨耗していくようなこの世界で生きることに、しんどさを感じているだろうか。もしそうなら、あなたにも「コンセント」になる才能が隠されているかもしれない。

 本書『コンセント』に登場する、金融雑誌の雇われライターである朝倉ユキのもとに、兄が死んだという報せが届いた。引きこもりだった十歳年上の兄は、自分で借りたアパートの部屋で、まるである日突然に生きるのをやめてしまったかのように、衰弱しきったあげくに腐乱死体となって発見された。それは、どうしても普通の社会人として生きていくことのできない兄をユキが引き取り、その兄がある日を境に行方不明になってから、二ヶ月後のことだった。そしてそれ以来、ユキはことあるごとに死臭を嗅ぎとってしまう幻臭と、死んだはずの兄の姿を見かけるという幻覚に襲われるようになる。

 兄の部屋で目にした、コンセントにプラグを差し込んだままの掃除機――今まさに掃除をしようとしていながら、スイッチが切れるがごとく生きることをやめてしまった兄に、いったい何が起きたのか? 幻臭と幻覚とで自分がおかしくなりそうに感じたユキは、兄が最後に語ったコンセントの話をもとに、兄の死の原因と自分の精神的障害の原因をつきとめようと、かつて大学時代に教えを乞うた心理学の助教授のもとにカウンセリングを受けに行くが……。

 引きこもりを題材にして書かれた小説に、村上龍の『共生虫』があるが、引きこもりという現象について両者に共通しているのは、引きこもりをけっして、現実の社会に適応できない弱い人間の現実逃避の一手段としてではなく、必要以上に関わりあいをもってこようとする世間から自らを遮断することで、自分を偽ってまで生きることをやめるための手段として、肯定的にとらえようとしている点である。ただ『共生虫』のほうが、もうひとつの現実としてインターネットという仮想世界を設定したのに対し、本書のほうはより精神的な世界へと目を向けている。

 死んだユキの兄は、感受性が人一倍強く、望まないのに他人の意識とシンクロしてしまう種類の人間であったことを、カウンセリングや学生だった頃の友人との話などを通して、ユキは徐々に思い出していく。世界が投げかけてくるさまざまな異物に過度に反応し、次第に自分が食われてしまうことを恐れた兄は、自分を守るために、はたから見ると常軌を逸した行動をさんざん試したあげく、まるでコンセントを抜くようにしてこの現実世界から意識を遊離し、もうひとつの世界へとシンクロしていったのではないか。そして自分もまた、兄と同じように「もうひとつの世界」へとつながろうとしているのではないか、と感じるようになる。

 じっさい、朝倉ユキという女性に関して言えるのは、その妙にバランスのよくない、ちぐはぐな印象だ。パソコンを持ち歩き、その日の株の動きをチェックし、数字の羅列のなかに世界の裏側を動かす法則を見出していく非常に理知的、合理的な性格でありながら、男と寝るときはまるで別人のように快楽をむさぼる。男を誘惑しておきながら、そのくせセックス以外のときには男に興味を持つことがない。そして株に興味があるくせに金そのものには無頓着という、ちょっと不思議な、危うい感じのする女性として、本書では描かれている。そこにあるのは、自分というわけのわからない存在を何とかして論理的に理解したい、理性で世界をとらえることで、直観的な自分自身を覆い隠してしまいたい、という、この現実世界を生き抜くための苦肉の策だ。だが、それは同時に自分自身――自分の成すべき役割から遠ざかる行為でもあった。自分が何者なのか、それを知るのにユキが必要だったのは、けっして心理学の知識ではなかったのだ。

 世界はパラレルに存在している。どこかで、誰かが世界を支えている。何らかの役割を担って。――(中略)――ある者はお金で世界を支え、またある者は魂を送ることで神話的世界を支えているのだ。
 私はいったい、どういう世界でどんな役割を果たすために存在しているのだろう。

 ユキの大学時代のゼミ仲間で、今は精神分析医となっている山岸峰夫は、「人格が解離したり、分裂したりしている人間は優しい」と語る。この世界でまともに生きている人間と比べて、心がピュアだと。そしてユキが兄の死をつうじて知り合った葬儀屋や、死体の置かれた部屋を専門に清掃する会社の青年など、死んだ人間と関わっている人たちも、生きている世界の人々の騒々しく、歪んだ利己的な雰囲気とは対照的に、落ち着いた、物静かな優しさに包まれていた。そして本書のラストでユキが見たものを考えたとき、私は思わざるを得ないのだ。私たちは、本当は誰もが、この現実の世界で生きることに疲れすぎているのではないのか、と。普通に生きているようでいて、じつは普通に生きることを演じており、そのことすら忘れてしまっているのではないか、と。

 世界は永遠不変のものではない。絶えず移ろい変わっていくものだ。そしてそうである以上、いつ、いかなる時にも、この世界には常に「今、生まれつつあるもの」が存在する。それはあるいは醜く、不恰好なように見えるかもしれないが、既存の事物にはない、新しくて瑞々しいエネルギーに満ちている。そして、既存の古い価値観を打ち壊し、まったく新しい世界を築いていく原動力となるのは、えてしてそのようなエネルギーであったりするのだ。本書が描いた、現実とは違うもうひとつの世界の可能性を、ぜひ見てほしい。(2000.11.21)

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