【集英社】
『コンビニ・ララバイ』

池永陽著 



 コンビニエンスストアの普及と、結婚の高年齢化、あるいは少子化、離婚率の増加といった社会現象とのあいだには、はたして因果関係はあるのだろうか、ということをふと考える。

 24時間、365日まったく休むことなく営業を続けるコンビニエンスストア――ファーストフードや弁当から生活雑貨、酒やタバコ、はては宅配や公共料金の振込まで、およそ今の世の中で人が生きていくのに必要なものをすべて取り揃えたこの「便利屋」は、今の時代のライフスタイル、多種多様でより個性的な生活を営む人々の圧倒的な支持をとりつけ、それこそあっという間に全国に広がっていった。

 私は未婚の男性であるが、結婚という人生の重大イベントが、必ずしも双方の愛情だけを動機にして発生するものでないことくらいは知っているつもりである。あくまで私が男であることを承知したうえで書くのだが、昔であれば、夫婦という社会の構成単位を組むことで得られる社会的権利はもちろんのこと、じっさいの生活全般においても、何もかもをひとりでやるより、ふたりで役割分担したほうがメリットは大きかった。だが、日本が経済的に豊かになり、科学技術も進歩し、社会の価値観すらめまぐるしく変化していくなか、結婚によって得られるメリットの大半が、結婚以外の何かで補えるようになった、というのが現状だろう。そして、こうした「結婚以外の何か」を象徴するのにもっともふさわしい存在こそ、コンビニエンスストアなのだ。

 そんなふうに考えたとき、コンビニエンスストアの普及は、やはり人々の結婚という制度を大きく変えた要素のひとつであり、私たちは必然的に、結婚以前にあるであろう男女の恋愛感情、誰かを好きになるという感情について、もっと真剣に考え直さなければならない時期にあるのかもしれない。

 本書『コンビニ・ララバイ』は、1軒のコンビニエンスストアを舞台にした物語である。といっても、大手のチェーン店に加入しているわけではない。あくまで自分流の店づくりにこだわった、世界でただ1軒のコンビニエンスストア「ミユキマート」――だが、その店のオーナーである堀幹郎は、ちっとも商売に身を入れないばかりか、どこか投げやりな、いつつぶれてもかまわないと思っているような雰囲気を漂わせている。なにより今ではあたり前となっている終夜営業も、セブンイレブンのおでんのようなファーストフードもやっていないという、コンビニエンスストアとしてはなんとも中途半端な店を抱えた幹郎の心は、ともすると死んだ一人息子と妻のことにとらわれてしまうのだ。まだ小さかった息子の突然の交通事故死から立ち直ろうと、ふたりでできる仕事ということで「ミユキマート」を開店させたのもつかのま、たった2ヶ月後にあっけなくこの世を去ってしまった妻の有紀美は、いったい自分にどんな感情をいだいていたのだろうか、と。

 そんな幹郎をはじめ、「ミユキマート」開店当初からアルバイトとして働いている治子、そしてそんな店に寄っていく、さまざまな悩みを抱えたお客さんたちが織り成す小さな人間ドラマは、なかにはかなり血なまぐさい壮絶な話も混じっているにもかかわらず、全体をとらえたときに、まるでその舞台となる「ミユキマート」のようにこじんまりとした印象を読者に与える。だが、それはけっして物語が陳腐だということではなく、むしろこじんまりとしているからこその味わい深さをかもし出している。そして、その味わい深さの元となっているのは、著者の文章力の巧みさと、絶妙な物語構成だと言うことができるだろう。

 たとえば、冒頭。どの物語も大抵、唐突な事物の描写からはじまる。小さな駐車場の真ん中に立てられたコーラの空き缶、古ぼけたリアカーにつながれた茶色の雑種犬、コミカルな動きでラジオ体操第2をつづける4人の中年サラリーマン――物語はそこを基点として、少しずつその全容を明らかにしていく、という形で展開していくのだが、冒頭に仕掛けたインパクトで読み手をつかみ、情報を小出しにしていくことで物語の世界へとひっぱり込んでいくそのやり方はけっして嫌味ではなく、いかにも短編を書き慣れた者の熟練を感じさせるのだ。そして冒頭に限らず、本書ではじつに印象的な小道具の使われ方がされているのだが、その巧みさもまた、本書の大きな特長だろう。さらに言うなら、本書の中にある最大の「小道具」は、「ミユキマート」そのものである。

「賑やかだけど乾いているから……」

 死んだ妻の有紀美が、夫婦でできる仕事としてコンビニエンスストアにこだわった理由が上述の言葉であるが、そうした意図とはうらはらに、「ミユキマート」にかかわる人たちは、誰もが一様に人間関係――男と女のあいだに生まれる複雑で微妙な感情に思い悩んでいる。それを恋愛と呼んでしまえば聞こえは良いのかもしれないが、本書で描かれているそうした関係は、けっして格好良いわけでも、潔いものでもなく、むしろどろどろとした醜さ、人間の精神的な恥部をむきだしにするような関係である。本書のなかの人間ドラマとは、ときに傷つき、醜い修羅場を演じながらも、それでもなお生きつづけ、誰かを愛さずにはいられない、まぎれもない人間の姿を描いたものでもあるのだ。

 そういう意味で本書の舞台「ミユキマート」を見たとき、完璧な運用マニュアルもない、終夜営業もしていない、いかにも不完全なこのコンビニエンスストアは、だからこそどこか人間臭く、そしてそんな人間ドラマの生まれる場所としてふさわしく思えてくる。人を愛すること、体が欲情することは、けっして理屈ではないということ、そして生きていくことは恥をかくことでもある、ということを本書はあらためて私たちに教えてくれる。

 この書評の冒頭で、私はコンビニエンスストアと結婚との因果関係について述べたが、では結婚することのメリットの大半が「コンビニエンスストア」によって代用できるようになった今、それでも男と女が結婚する理由があるとすれば、それはやはり「好きだ」という感情があるからではないだろうか。コンビニエンスストアはたしかに人々に結婚をためらわせるひとつの要素なのかもしれないが、逆にだからこそ人々は、結婚するということの意義に、理屈では説明することのできない恋愛感情というものを結びつけるようになったのではないだろうか。そういう意味でも、本書は現代を生きる人たちの心を見事に映し出した作品だと言えよう。(2002.11.05)

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