【世界文化社】
『赤い薔薇ソースの伝説』

ラウラ・エスキヴェル著/西村英一郎訳 

背景色設定:

 映画の話になってしまうが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「海の上のピアニスト」という作品がある。これは、大西洋航路を行き来する大型客船に捨てられ、船の中で育った天才ピアニストの生涯を描いた物語であるが、けっきょく最後まで船から下りることのなかった彼にとって、船の中はいわば全世界に匹敵する場所であり、また彼がまぎれもない彼自身でいることのできる唯一の場所でもあったと言える。もし仮に、彼が船から下りてピアノを弾く機会があったとしたら、おそらく彼は素晴らしい演奏を披露することはできただろう。だが、はたして作中にあったような奇跡的な演奏を再現できたかどうかとなると、たぶん無理だろうとも思うのだ。ナインティ・ハンドレットというピアニストが生み出した「魔法」は、船という「場」なくして成立しえないものなのだ。

 世界は広い。そして、そんな広い世界をまたにかけて活躍している人たちがいる。だが、だからといって彼らが世界中を自分のホームだと考えているわけでないのは、言うまでもないことだ。人にはそれぞれ、分かちがたく結びついている「場」というものがある。そして人によっては、その「場」から一歩も外に出ることのないまま、しかし世界中を旅する人たち以上に情熱的に、自分の人生を駆け抜けていく。それが「海の上のピアニスト」のナインティ・ハンドレットであり、また本書『赤い薔薇ソースの伝説』のティタという人物である。

 その日から台所がティタの世界になった。彼女はそこでお茶と、とうもろこしのおもゆで育てられた。料理へのティタの深いひらめきを培ったのはそのような環境だった。――(中略)――朝の煮えている豆の匂いや、昼間の鶏の羽を毟り取るために用意された水の気配や、オーブンに入れる夕食のパンで、食べ物をねだる時間がきたことを察知するのだった。

 玉葱の匂いのただよう台所で産声をあげ、台所女のナチャの手で育てられたティタは、ガルサ家の古くからのしきたりによって、末娘であるという、ただそれだけの理由で、母親であるエレーナの世話を死ぬまでしなければならないと決められてしまっていた。ティタにとっては何の益もない、理不尽極まりないこの家の掟は、お互いに永遠の愛を誓い合ったはずのペドロ・ムスキスとの結婚をティタに許さず、エレーナはなかば強引に長女のロサウラとペドロとを結婚させてしまう。本書は、本来なら個人の自由意思であるはずの感情や、情熱的な恋心を押さえつけ、縛りつけようとする悪しき因習に対して、ティタがどのように戦い、そしてねじ曲げられてしまったペドロの愛を、そして自身の正直な気持ちをどうやってとり戻していくかを描いた、一種のラブロマンスだと言うこともできるだろうが、この物語の中心を成しているのはティタの恋心だけではなく、その恋心と分かちがたく結びついた彼女の料理と、その料理を食べた者にもたらさせる数奇な運命も含まれており、またそれこそが本書の最大の特長だと言うことができるのだ。

 じっさい、ティタにとっての台所は、古いしきたりそのものであるエレーナの支配下にない唯一の「場」であり、その聖域で彼女の手によって生み出されていく数々の料理は、彼女の激しく揺れ動く感情をストレートに表現する手段として成り立っていた。ペドロと結婚できないティタの深い悲しみを代弁した杏子のウェディング・ケーキ、ペドロの愛が今もなお自分に向けられていることを知ったティタの喜びを封じ込めた赤い薔薇ソース――ティタの料理は、いかなる言葉よりも雄弁に、彼女の気持ちを人々に共有させる力を秘めていた。赤い薔薇ソースは、次女ヘルトゥルディスの心に激しい恋の炎を燃やし、戦場で闘っていた革命軍の兵士を呼び寄せたあげく、その兵士と駆け落ちさせてしまうし、本来は心の病を癒すはずの牛の尻尾のスープも、ティタの料理に猜疑心を抱くエレーナにとっては、耐えがたい苦味をもたらすものにしかならなかった。恋の炎が本物の炎となって建物を全焼させたり、死んだ人間が亡霊となって生きている人間に干渉してきたり、あるいは豆が怒っていつまで経っても煮えなかったりする、ある意味でファンタジックな世界において、ティタは料理という名の「魔法」の使い手であり、それは「海の上のピアニスト」のナインティ・ハンドレットが、ジャズピアノの第一人者との対決で見せた驚異的な演奏と、同質の雰囲気を持つものである。もっとも、ティタは彼とは異なり、けっして意図してその「魔法」を用いることはないのだが。

 しかし、穢れていないとはどういうことなのだろう? 心から欲しいものをすべて諦めることなのだろうか。大きくもならず、ペドロと知り合わなければよかったのだろうか。彼の子供を授からないように気持ちを抑える必要がなかったら。母親が苦しめたり、叩いたり、自分の態度を責めたりしないでくれたら。

 主顕節のケーキ(ロスカ・デ・レイエス)をつくるさいに、ティタがその中に入れる人形にさまざまな願いを込める場面がある。ティタは本書のなかで、その人生のほとんどすべてを台所と、その裏戸に接するわずかばかりの中庭や果樹園といった、驚くほど狭い世界のなかで過ごすのだが、しかし読者は本書を最後まで読んだとき、これらの願いがさまざまな紆余曲折を経たあげく、すべて叶えられていることにはじめて気がつくことになるだろう。彼女が唯一、まぎれもない自分でいられた場所である台所から生み出された願いは、大いなる「魔法」となって、自分も含めたその家にかかわったすべての人間の運命を翻弄するにいたった。そういう意味で、本書の主人公はティタだけでなく、彼女と、台所と、そして料理そのものなのである。

 台所で生まれ育ち、料理をもちいて強烈な自己主張をおこないつづけたティタが、心惹かれる物語とともに残した料理レシピを、じっくりと味わってもらいたい。(2003.03.02)

ホームへ