【理論社】
『カラフル』

森絵都著 



 ひとりで過ごす時間がとても好きなのに、ときどきどうしようもなく誰かがそばにいてほしいと思ってしまう自分。大声で怒鳴ったり感情をあらわにするのが嫌なくせに、ときどき何もかもぶちこわしてやりたいという衝動に駆られることのある自分。自己中心的で他人のことなどどうでもいいと考えているのに、いっぽうで誰かの力になってやりたいと真剣に考えている自分。ともすると「この世で自分ほど嫌な人間はいないんじゃないか」とネガティブな思いにとらわれる自分がどうしようもなく嫌いなのに、心のどこかでそんな悲劇の主人公じみた自分の姿に酔いしれてしまっている自分――もうかれこれ30年の付き合いになる「自分」であるが、いったいどっちが本当の自分なのか、私はいまだに答えを出すことができないでいるし、時と場合によって何色にも染まってしまう自分自身をいまだにもてあましてもいる。そして、自分のことさえままならないのに、他人のこととなればますますもって定めがたいし、そんな彼らと付き合いをつづけていくことは、正直ものすごく疲れる作業でもある。そんな人づきあいについて、「だからこそ面白いんだ」と屈託なく答えることができる人を、私は心の底から尊敬したい。

 けっして何物にも揺るがされることのない、確固とした信念がほしい、とずっと思っていた。自分はこれが好きなんだとか、あれだけは絶対に負けないとか、とにかくこれこそが自分なんだ、というたしかな手ごたえ――だが、さすがに30年も生きていると、あちらこちらに揺れ動いたり、すぐ何かに感化されてしまったりする、そのすべてをひっくるめたすべてが「自分」なんだということに気がついてくる。そして、それは他の誰にもとってかわることのできない、まぎれもない自分だけのものなのだ、ということも。そんなのは絶対に嫌だと考えている自分と、でもしょうがないじゃんと考えている自分――本書『カラフル』は、一度死んでしまった「ぼく」の魂が、小林真という別の人間の体を借りて「再挑戦」なる修行を受けることになる、という一種のファンタジーであるが、死ぬ以前のすべての記憶をなくしたまま、下界で知らない人物を演じなくてはならなくなった、というシチュエーションを考えれば、彼はまったく純粋に「ままならない自分」を意識さぜるを得ない状況に置かれたのだと言える。

「おめでとうございます、抽選にあたりました!」

 死んだはずなのに、「抽選」とやらにあたったせいで、どこか胡散臭い天使プラプラをガイド役に、ふたたび下界の生活をおくるはめになった主人公は、一年という限られた時間のなかで、自分が何者なのか、そして自分が前世で犯した「大きなあやまち」とは何なのかを思い出さなければならない。そういう意味ではちょっとしたミステリーでもある本書だが、それはあくまで本書がもつ要素のひとつであって、謎そのものや謎を解くことがメインとなっているわけではない。重要なのは、主人公が「気づく」という行為なのだ。

 大量の睡眠剤を飲んで自殺した中学3年の小林真の代わりとして、彼の体に入った主人公は、プラプラから小林真を自殺に追い込んだ周囲の状況を聞く。人の不幸を喜ぶ父、フラメンコ教室の教師と不倫している母、ことあるごとにつっかかってくる意地悪な兄、そしてひそかに想いを寄せていた桑原ひろかが援助交際していたという事実――主人公はそんな状況を、まるで悪魔の巣窟にでもいるかのように嘆いてはいるものの、おそらく読者の大半は「なんだこんなものか」と拍子抜けするのではないだろうか。そう、私たちはこれよりももっとひどい家庭環境をいくらでも知っている。だが、少なくとも主人公はそうは思っていない、という点から、主人公の前世がどういう人間だったのかが自然と見えてくるのだ。

 ともあれ、主人公はあくまで仮の肉体でしかない小林真として懸命に生きるつもりなどさらさらなく、かなり適当にその日その日をやりくりしていくのだが、自分とは直接関係ない他人のことだからこそ、その状況が客観的に見えてくる。そして彼は、小林真のことについて、いろいろなことに「気づく」ことになる。

 人間というのは、自分自身のことを客観的にとらえるのはなかなか難しいが、他人のことというのは、案外よく見えたりするものである。もう絶対にとり返しのつかないこと、やりなおしのきかないことだと思い込んでいた事柄も、他人の目から見れば、べつにどうってことのないものだったりする、というのはよくあることだ。もちろん、当事者でないから好き勝手なことが言える、というのもあるだろう。「お前なんかに俺の気持ちがわかってたまるか」という心情も。だが、そもそも人間とは主観の生き物である。客観性など誰も持ち得ないし、誰もがそれぞれの主観で生きていくしかないのだ。だからこそ人はしばしばすれ違い、食い違い、誤解しあう。それは、まるで自分がこの世でたったひとりであることを認めてしまうようで、とても寂しく感じられることであるが、同時にふとしたきっかけで、そうしたすれ違いや食い違いや誤解に「気づく」ことだってありえるのだと言える。

 だが、それも生きていれば、の話だ。一度死んでしまったら、その人は絶対に「気づく」ことはありえない。そこにだけは「絶対」という言葉を付け加えることができる。そう、本書は主人公が、小林真が誤解していたさまざまな事柄について「気づく」物語であるが、そのなかでもっとも大切なのは、死がまさにとり返しのつかない事柄だと「気づく」ことなのだ。

 真。やっぱりおまえ、早まったよ。
 すべてが遅すぎるわけじゃない。
 おまえが早まりすぎたんだ……。

 なぜ人を殺してはいけないのか、なぜ自殺してはいけないのか、という問いかけがある。自分も含めた命というものに、なんら価値を見出すことができずにいる子どもたちが、まるで大人を試すかのように口に出す問いかけ――本書の著者は、物語という虚構の力で、その問いかけに対する明確な答えを導き出すことに成功した作家だと言うことができるだろう。「死ぬ権利」うんぬんを主張するうかつな人間に、「死ぬな」とはっきり答えてやるためにも、ぜひ本書を読んでみてほしい。(2004.04.28)

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