【講談社】
『コインロッカー・ベイビーズ』

村上龍著 
第3回野間文芸新人賞受賞作 



 昔、高校の生物の授業で習った、脳のはたらきについてふと思い出す。それは人間の脳が階層構造を成している、というもので、脳の発生順序からいうと古いものにあたる、生物としての本能や、生を維持していくために必要な器官の外側を、人間としての複雑な感情や思考をつかさどる大脳が包み込むようにして人間の脳が構成されている、ということだった。教科書に載っていた、異様に発達した巨大な大脳が、その他の脳の器官を包み込んでいる人間の脳は、見方によってはより古くて原始的な、しかし生のエネルギーに満ちた部分が、人間の理性によって閉じ込められているようにも見える。

 意識を獲得し、複雑な思考で未知のことを想像する力を持ち、社会という集団の中で理性的に生きつづける私たち人間は、ひとりひとりではまったくの無力であることを知っているがゆえに、多くの他者の力を借り、その代償としてさまざまな欲求を押さえつけなければならなくなった。人によっては、自分が何かを我慢しているという意識すら忘れてしまっていることもけっして少なくはないのだが、村上龍という作家の作品は、常に私たちが忘れ去ってしまった原始的な欲求を刺激するような何かがある。

 そう、本書『コインロッカー・ベイビーズ』は、読者に強烈に訴えかけてくるのだ。お前は何に閉じ込められているのか、いったい何を我慢しているのか、と。

 そういう意味では、生まれたばかりの赤ん坊をコインロッカーの中に捨てるという行為は、非常に象徴的なものがある。主人公のキクこと関口菊之と、ハシこと溝口橋男は、仮死状態でコインロッカーに捨てられながら、奇跡的に息を吹き返した孤児である。完全な人工物である鉄のロッカーは、言わば大脳がつかさどる人間としての理性や秩序そのものであり、生まれたばかりの、体と命しか持たない、人間というよりも生物に近い赤ん坊にとって、それはまったくもって理不尽な檻でしかないのだ。

 だが、キクとハシの生へのエネルギーは、コインロッカーという理性を凌駕した。その時点から、彼らは選ばれたと言うことができるのかもしれない。それは、この世のあらゆる人間的なもの――ふたりを閉じ込めようとするものすべてを破壊する権利を与えられた、ということであり、おそらくふたりは、すべての秩序が破壊されたあとの廃墟のなかでも、以前と変わらず生きていくことだろう。そうした無秩序に惹かれる傾向は、幼年期を過ごした島にある廃鉱、あるいは東京の無法地帯である、毒物に汚染された薬島が物語の舞台となることで示される。そう、キクとハシにふさわしいのは、整然とした、人工的の光に溢れる虚飾だらけの街並ではなく、何もかもがむきだしにされた後の、荒廃した世界であり、人間としての理性ではなく、より本能に近い場所であるべきなのだ。

 ――新宿で見た親子連れの乞食、あいつらも殺してやりたかった。子供を虐待する親への怒りではなく、赤ん坊や子供は弱いものだという当り前のことが我慢できなかったのだ。泣くだけで、何もできない。閉じ込められても言うなりになって何もわからずに体を震わせ泣くだけだ。

 別に赤ん坊に限ったことではない。人間そのものがひとりでは無力であるという絶対的な現実――キクはその事実に対してどうしようもない苛立ちを覚える。キクの意識は常に外側へと向けられている。ハシの意識は、逆に内側へと向かう。コインロッカーという胎内から生還したふたりの孤児の性格は両極を成している。キクは体内のエネルギーを爆発させ、より速く走り、より高く跳ぼうとする。そして自分を今もなお閉じ込めておこうとするものを打ち破るために「ダチュラ」という科学兵器――人間の心の奥にひそむ破壊衝動を呼び覚まし、目に入るものすべてを壊し、生あるものを殺しつづけるまがまがしい力を求める旅をはじめる。一方、ハシの興味は音へと向かう。かつて自分の心に平安をもたらした至福の音を求めるハシの旅は、おもいがけず彼をロック歌手として大成させることになるが、それはハシの体内のエネルギーを過去の惨めな自分への破壊へと向かわせ、それゆえにますます周囲からがんじがらめにされてしまう。

 まったく違った方向へと流れていくことになるキクとハシのベクトルは、しかしその出発点が同じ場所であることを忘れてはならない。その鍵となるのは「心臓の音」である。それはたんに、キクとハシが幼い頃に精神医のところで無自覚なままに聞かされた、自閉症治療のための音楽であることを超えて、この世のすべての動物が生まれる前から耳にしてきたはずの、生をつかさどる音でもある。そして心臓の音が、自分の体内で脈打つ自活的なビートであると同時に、自分をかつて胎内ではぐくんできた母親の生命の音でもあることに気がついたとき、キクは自分を含めたすべての個人のなかにある生のエネルギーを解放させ、すべての虚像を破壊する方向へと向かわせようとし、ハシは弱々しい人間のなかに溢れている力――孤児でオカマである自分のなかにも流れている生のエネルギーから、まさに生きるための歌を唄いはじめることになる。

 何一つ変わってはいない、誰もが胸を切り開き新しい風を受けて自分の心臓の音を響かせたいと願っている、渋滞する高速道路をフルスロットルですり抜け疾走するバイクライダーのように生きたいのだ、俺は跳び続ける、ハシは歌い続けるだろう――(中略)――夏の柔らかな箱で眠る赤ん坊達が紡ぎ続けたガラスと鉄とコンクリートのさなぎが一斉に孵化するだろう。

 創造から破壊へ、そして破壊から創造へ――『共生虫』で現実という名の嘘を破壊する方向を描き、『希望の国のエクソダス』で新たな価値観を生み出す方向を描いた村上龍が、かつて本書という、そのふたつを内包する作品を完成させていたことは、驚くべきことだと言わなければならない。それは創造と破壊、生と死が、同じ本質を持つ表裏であり、歴史が隆盛と滅亡の繰り返しであり、私たちが創造し、そして破壊する生き物であることを如実に表わしている、ということでもあるのだ。

 コインロッカーという理性から生還したふたりの孤児が見せる、爆発的な生のエネルギーの輝きから、あなたはきっと、自分を閉じ込めようとするものを打ち破るための力を垣間見ることになるだろう。(2002.02.07)

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