【小学館】
『限界集落株式会社』

黒野伸一著 



 金を稼ぐという能力の優劣が、そのままその人間の価値を決定するわけでないことは重々承知していることではあるのだが、そうはいってもこの社会が経済原理によって動いている側面がある以上、ともあれ金をよりたくさん稼ぐことができるということが、その社会における大きなステータスとなっていることも意識せずにはいられない。べつに金を稼げずとも、あるいはお金をもっていなくとも、直接的にその人間の生存と結びついているわけではないのだが、それでも借金や会社の倒産といった出来事を苦にして自殺する人が絶えないことを考えると、このステータスの影響力は、私が考える以上に大きいものである。

 金がこの世の価値観のすべてではないし、また金が稼げるかどうかで自分を測られたくもないが、いくばくかの収入がなければ、この社会に存在するさまざまなサービスを受けることも叶わない。そしてこの「サービス」には、たとえば電気やガスといったインフラやごみの収集など、私たちがふつうに生活していくためになくてはならないものも多く含まれている。今回紹介する本書『限界集落株式会社』では、全戸数が四十にも満たない止村という限界集落が物語の舞台となっているが、若い人が出ていくいっぽうの、過疎化していく町や村のかかえる問題が浮き彫りにされている。ある町や村が過疎化していくこと、それは、経済原理で動いている人間社会において、本来であれば循環していくはずの金の流れのサイクルから切り離されてしまうことを意味する。そしてそれは、人間社会における死に等しいものでもある。だからこそ、本書の冒頭はこんな文句からはじまるのだ。

 マクドもない、スタバもない、セブン-イレブンさえない。――(中略)――
 ここは本当に日本か? 自分は本当に現代にいるのか? 向こうの林からいきなり、Tレックスでも飛び出してきそうだ。

 本書はそんな何にもない限界集落がいかにして復興していくかを描いた作品であるが、麓の役所ですらなかば見捨てようとしているこの村に、ふたたび人と金の流れを呼び込むためには、それ相応の改革を断行する必要がある。そのための中心人物として登場するのが、多岐川優という男であるが、彼はもともと銀行の審査部出身で、融資先の企業の経営に介入し、その業績を次々と改善させていったという経歴の持ち主でもある。海外でMBAを取得し、また今は独立してあらたな事業を興すことも計画している、いわば経営のエリートともいうべき人物を止村と結びつけたのが、そこが彼の先祖代々暮らしてきた土地であるという、およそ彼の経歴からはもっとも遠いところにありそうな、古臭く感傷的な理由である点に、本書の特長がよく表われている。

 止村にあるのは、豊かな自然と農業だけだ。そして農業という産業は、リスキーで不確定要素が多いわりに利益を出しにくい、企業で言うなら典型的な不採算事業である。儲けにならない部分、続けても赤字にしかならない部分は有無を言わさず切り捨てる――それが多岐川優の、それまでやってきたことであり、経営を立て直すという意味で間違ってはいない。だが、今回彼が成りゆきで手がけることになった限界集落の復興には、それまでとは異なるものがあった。それは、止村が企業ではなく「集落」、つまり人がじっさいに生きて生活する場であるという点である。

 たとえば会社では、業績悪化を切り抜けるためにリストラを行なったりする。そしてそのための方法のひとつとして、ときには不要とみなした社員を早期退職させるということも断行される。だが、会社を辞めざるを得なかった人たちは、その気にさえなれば他の会社に転職することが可能だ。彼らにとって会社とは、あくまで収入を得るための場でしかないからである。だが、本書のケースはそうではない。人口が限りなく減ったとはいえ、そこは人々が暮らす集落である。そこで生まれ育った人にとって、故郷と言えるのはそこだけなのだ。会社のように乗り換えるというわけにはいかない、という事情がある。

 多岐川優の場合、たしかにそこは祖父が暮らしていた場所であり、家屋も土地もまだ残されている。だが、彼はその村で生まれ育ったわけではない。それゆえに、下手な同情心に振り回されることなく、止村の再起をはかるための計画を断行できると思い込んでいた。もちろん、現場で働いている農家の人々からは異論や反発があり、とくに典型的な現場主義者である大内美穂とは何度となくそのやり方で対立することになるのだが、そのあたりのことは、これまでの経験からも想定できたことではある。

 営農組織を立ち上げて土地を有効活用することからはじまり、利益の出にくい稲作から比較的利益の出しやすい野菜などの畑作への転向、農協を頼らない販売ルートの確立、オリジナルキャラクターによる付加価値をつけ、ふつうなら捨てられるだけのくず野菜をネット販売するなど、本書を書き上げるにおいて相当の調査や知識の吸収を行なってきたと思われるリアルさがあって、なかなかに面白い。だが、そのアイディアは彼ひとりだけのものではなく、村人の反発ゆえに妥協した部分が予想外の売り上げを出したりといったこともあり、企業の経営を再建するのとはまた違ったダイナミズムがある。そして何より異なるのは、上述したように、そこが企業ではなく集落であるという点だ。

 つまり止村の住人にとって、そこが失われればもう後がない、ということである。そしてそれを象徴するのが、止村の老人や子どもたちといった、社会的弱者の存在である。本書にはこうした役割を担う登場人物たちが多数いるが、そのなかには都会で居場所を見つけることができず、地方での農業に活路を見つけようとする流れ者の若者たちや、財産のほとんどを失って路頭に迷っている家族といった者たちも含まれる。こうした人たちのなかで、それでも以前のやり方を貫こうとする多岐川優の心境がどのように変化していくのかも、じつは本書の大きな読みどころである。

 経営者を気取っていた銀行員時代は、実は単なる金貸しに過ぎなかったんだ。だが今は違う。自ら経営責任を負っている、営農組織の代表だ。営農組織の代表は、農家をリストラするためにいるんじゃない。復興させるために采配を振るうんだ。

 経済原理によって回っていく社会において、金の有無は重要な要素である。だが、たんに金を持っている、あるいは金をたくさん稼ぐことができるという点だけが重要視されるのは本末転倒だ。稼いだ金を何のために使うのか――そこには、きわめて健全な金の流れをあらたに生み出した、文字どおりの「限界集落株式会社」の理想像がある。(2014.10.09)

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