【講談社】
『世界は密室でできている。』

舞城王太郎著 



 理不尽な死というものは、時としてそれをまのあたりにした人の心情に大きな影響をおよぼすことがある。「死」という絶対的事実の重さを考えるなら、それはごくあたりまえのことだと想像するのは簡単だが、私たちはふと気がつくと、「死」など自分の人生とは無関係なのだという顔で日々を過ごしていたりするものだ。明日も明後日もその次の日も、今日と同じような日常が当然のようにやってきて、私たちは「ああ今日もとくに変わったことはなかったなあ」などと思いながら、テレビのワイドショーを見ていたりする。そしてそこでは、毎日のように誰かが殺されたとか、行方不明になったとかいう報道がなされているのだ。
 そう、今日もどこかで誰かが理不尽な死を迎えている。だが、私たちの人生において、人の「死」というものを、いったい何度まのあたりにすることがあるだろうか。それも、葬式とかいった形式的な死や、テレビや新聞などで流される情報としての死ではなく、かつてはたしかに私たちと同じように生きていたはずの人間が文字どおり死体となっていく様子を目にする機会が、どれだけあると言えるだろう。ただでさえ直接的な「死」を日常から遠ざけようとする傾向にあるこの社会において、もっとも生々しく剥き出しにされた「死」と直面するのは、ある種の恐怖でもある。

 少年と死という要素の組み合わせは、スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』以来、青春小説におけるひとつの王道であるが、「死」についてまわる恐怖や禁忌の念といった束縛を乗り越え、あえてその「死」を正面からとらえることができるのが、すでに人生を達観した老人か、あるいはいまだ社会の枠にはめることのできない少年や少女だけであることを考えると、少年と死という組み合わせは、ある意味似たような何かをもっているのかもしれない。

 本書『世界は密室でできている。』は、そのタイトルが指し示すとおり、密室殺人を扱ったミステリーということになる。だが、本書が他のミステリーと大きく異なっているのは、その密室殺人を取り巻く狂気とくだらなさの絶妙なブレンド具合である。おそらく、密室と死体を使って個人的なストップモーションアニメが録られたり、あまつさえオチのついてない四コマ漫画がつくられたりするのは、世界広しといえども本書くらいのものだろう。そういう意味では、清涼院流水の『コズミック−世紀末探偵神話−』の壮大な馬鹿っぽさにも匹敵するものがあると言えるだろう。

「こういう訳の判らん事件では、訳の判らん発想が必要なんやって友紀夫」

 舞台は福井県の西暁町、「僕」こと西村友紀夫と、本書における探偵役の「ルンババ」こと番場潤二郎は、家が隣どおしの古くからの親友で、男は頭を丸坊主にしなければならない中学校に通う少年である。会うたびに阿呆で無意味なギャグや冗談をとばしあっては、馬鹿みたいに笑ったりする、いかにもどこにでもいそうなうるさい中学生、というノリなのだが、その冒頭はいきなりルンババの姉である涼子の飛び降り自殺という、かなり重いシーンからはじまる。

 本書は著者のデビュー作である『煙か土か食い物』に登場する名探偵「ルンババ12」の少年時代を描いた作品であり、そういう意味でこの涼子の飛び降り自殺とその真相は、ルンババが「ルンババ12」という名の探偵となる、ひとつの大きな転機となった事件でもある。じっさい、12歳のルンババが姉の飛び降り自殺の真相を明らかにしてから、友紀夫がまのあたりにしたものは、中学生にして東京の警察にも一目置かれているらしい「ルンババ12」の姿だったが、友紀夫にとってはあくまでルンババはルンババであって、まるで漫才コンビのように軽妙な会話でボケとツッコミをくりかえす大切な親友として書かれている。そういう意味では、本書におけるミステリーの要素は、涼子の死の真相以外は、いわば付録のようなもので、むしろ少年の心の成長を描いた青春小説という位置づけこそが正統ではないかと思うのだ。

 とかく人をナメたような密室殺人ばかりが起こってしまう本書であるが、ルンババ当人や、修学旅行先の東京で知り合った井上椿・榎姉妹をはじめ、登場人物はみんなどこかエキセントリックで、言ってみれば変人ばかり、会話文もマシンガンのごとく切れ目なく続いたり、まるで独り言のような地の文が頻発したりと、どこか毒をはらんだ作品であり、それゆえに読者によっては大きく好き嫌いが分かれてしまうところだろうが、少なくとも本書における大きな特長は、密室というミステリーの要素が、たんなるミステリーの要素を超えて、少年少女が抱えている息詰まるような閉塞感を象徴するものとして、ルンババや友紀夫の成長に大きく絡んでくるところだろう。そしてそのことによって、登場人物たちのエキセントリックさが、世間一般の常識からどうしてもはみ出してしまう強い個性の持ち主として、読者の共感を誘うことになるのだ。

 ルンババの姉、番場涼子は、何の前触れもなく、遺書さえも残さずに、家の二階の屋根から飛び降り、その結果膝から突き出した足の骨で喉を突き刺して死ぬという最悪の最期をとげた。だが、その自殺が自殺でなく、登校拒否をつづけ、次第に密室のようになっていく家から抜け出して家出をつづけていた姉の、追い詰められた行動が起こした事故であることをつきとめたとき、私たちは『世界は密室でできている。』というタイトルの本当の意味を知ることになるだろう。そして、ルンババ12という探偵が事件を推理するのは、そうした理不尽な死を死ぬことになった人間を、他ならぬその理不尽さから救うためのものである、ということも。

 涼ちゃんは落ちて死んだ。十九歳で。
 今、僕もまた十九歳だ。ルンババもすぐに十九歳になろうとしている。
 でも僕もルンババも今日は死なない!

 ルンババは探偵という役を負わされた者であるが、けっして何もかもお見通しの、神のごとき存在ではない。数々の密室殺人に対して異例のスピードで推理し、謎を解明してしまう力をもっているが、同時に、だからといって想像のできないような理不尽な死をすべて防ぐことができるわけでもないことを自覚している。そういう意味では、ミステリーという世界における変人探偵は、あるいはもっとも人間らしい探偵と言えるのではないだろうか。(2003.08.13)

ホームへ