【集英社】
『ツィス』

広瀬正著 



 20年ほど前に見た「ゴースト ニューヨークの幻」という映画は、幽霊になってもこの世に残り、愛する人を守りたいと願う男の物語なのだが、当初その男性は、幽霊であるがゆえに誰の目にも見えず、またこの世にあるどんな物体にも干渉することができない状態にあり、とてもじゃないが愛する人を守るどころではなかった。ところがその後、別の幽霊が物に触れて動かしているのを目撃したのをきっかけに、努力とか根性とか強い思い込みとかいったものを発揮して、なんとかこの世の物体に干渉する力を手にすることができるようになる。

 本書『ツィス』を読み終えたときに、私のなかでまずこの映画のことが思い浮かんできたのは、何をもって真実とするのかを決めることができないという曖昧さが、本書のなかにも表われているからに他ならない。「ゴースト ニューヨークの幻」のなかで、幽霊の男性はこの世の物体に干渉することができるようになった。だが、もし彼が別の幽霊が物を動かす光景を目にすることがなければ、あるいはずっとこの世に干渉できないままだったかもしれない。幽霊であってももともと世界に干渉することができるのか、あるいは彼の強い思い込みが従来の法則をねじまげ、世界への干渉を可能にしたのか、いずれが真相だったのかは、じつのところはっきりしていないし、私たちにはたしかめようもないことなのだ。なぜなら、私たちの目には幽霊は見えないし、実証するすべもないのだから。

 本書には、物語の中心となる登場人物は特定されていない。しいて挙げるとすれば、それは人間ではなく音、「ツィス音」と名づけられた557ヘルツの純音だと言うことができる。はじまりは、ある女性による耳鳴りの訴えだった。ごく小さい一定の音が、四六時中響いてくる、しかも、神奈川県C市のある場所に行くと決まってその音がする。その話を受けた精神科医の秋葉憲一が、とくに聴覚に敏感な患者に実験してみたところ、何人かの患者もまた、同様の音が聞こえてくるという。そこで、音響学の権威である日比野教授に話が行き、専用の機器をもちいてその真偽を判定してもらうことになったのだが、調査の結果、ある重大な事実が判明することになる。出所は不明ながら、たしかに発せられているこの謎の「ツィス音」は、時が経つとともに音が大きくなり、それにともなって音が聞こえる範囲もどんどん広がっていく、というのだ。

「早急に、もう一度大規模な調査を行い、早く原因を発見して、手を打たねばなりません。もし、このまま手を束ねていたら、ツィス音はやがて、とんでもない公害になりかねません。いや、公害というより、災害というべきでしょう。たいへんな災害に発展するおそれがあるのです」

 もともとはノイローゼ気味の女性の耳鳴りに過ぎなかった「ツィス音」が、しだいにテレビ局などのメディアを巻きこんで、最後には日本全体を揺るがす事態になる過程を描いた本書は、たとえば大規模な地震や津波といった自然災害が引き起こすパニック小説として分類することができるかもしれないが、その災害のもととなっているのが正体不明の「ツィス音」であるという点が、本書の大きな特長であり、またそれがこの物語の最大のキーポイントでもある。最終的には人が住むことさえ困難な状態にまで音が大きくなるという日比野教授の説を、民放テレビ局が「ツィス情報」として放送するのだが、その音の災害が数ヶ月単位で移行する、非常にゆるやかなものであるせいか、当初はテレビ局も視聴率獲得のために「ツィス音」をまるでキャンペーンか何かのように扱っていたり、各企業が関連商品の販売に熱を入れたりといった、なんとも暢気な状況なのだが、そのうち耳栓なしには生活できなくなるがゆえに、本来なら気づくべき危険の兆候を見落としたり、注意力が散漫になって事故が続発するなど、徐々に人々の日常生活にも支障を来たすことになる。

 そして物語は、ある段階からひとつの転換期を迎える。それは、後天的に聴覚を失ったイラストレーターの榊英秀の視点で、事実上物語が動いていくという展開である。もともと音が聞こえない彼にとって、「ツィス音」は何の障害にもならないものであったのだが、やがて東京じゅうの人々が外出のさいはかならず耳栓をつけるようになるに到って、それまで障害者としていろいろと不当な扱いを受けていた彼が、にわかに優位に立つという逆転現象が起こるのだ。こうした、「ツィス音」をめぐる人々の悲喜劇や思わぬ出来事などを、さまざまな角度からリアルにとらえ、しだいに音によって浸食されていく首都圏の様子を書いていくことに成功した本書であるが、この物語を最後まで読み、まさに天地のひっくり返るような驚愕の事実をまのあたりにしたとき、本書はそうした事実を巧みに隠蔽し、良い意味で読者をだましていくために、じつに注意深く物語を進めていっていることに気づくことになる。そして、そのなかでもとくに巧妙なのが、榊英秀の存在ということになる。

 彼の役割は、たんに「ツィス音」が首都圏を席巻する世界にリアルさを与えるための添え物というだけではない。重要なのは、彼には「ツィス音」を聞くための手段がなく、そんな彼が本書の後半では中心となって物語が進んでいく、という点なのだ。彼は当初、「ツィス音」にはまったく関心がなかった。それはごく当然のことだ。だが、メディアを通じて「ツィス音」のことが知らされ、関連商品のイラストの仕事が持ち込まれ、同居しているダイアン稲田も耳栓をするようになる、という外からの情報によって、否応なく彼も「ツィス音」のことを信じるようになっていく。もし、彼が完全にひとりであったら、「ツィス音」のことなど意識することもなかっただろう。そういう意味では、「ツィス音」は本書の主人公とも言うべき存在だが、本当は「ツィス音」ではなく、「ツィス音」が聞こえると信じ込んだ人々の強い思い込みこそが、本書の真の中心だと言える。

 それまで不可能だと思われていた陸上100mの10秒台の壁が、一度誰かに破られると、その後は次々9秒台で走る選手が出てきた。そこにはスポーツ科学的にいろいろな進歩もあったのだろうが、何より不可能が不可能ではない、という人々の思い込みこそが、その原動力となったのではないか。私たちが世界を認識する唯一と言うべき方法である、私たちの五官――視覚や聴覚といったものは、ときに私たちにありえないものを見せ、ありえない音を聞かせることがある、という意味で、本書は私たちの寄って立つ土台が、いかに脆く疑わしいものであるかということを、あらためて認識させる作品である。はたして、あなたの耳には本当に「ツィス音」は聞こえてくるのだろうか。(2008.10.28)

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