【新潮社】
『百年の孤独』

G・ガルシア=マルケス著/鼓直訳 

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 小説というものを極限まで簡略化していくと、最終的には三つの要素によって要約できることがわかる。すなわち、「誰が」「どこで」「何をした」という要素であるが、これらをそれぞれ「キャラクター」「舞台となる時代や場所」「ストーリー」というふうに置き換えると、この三つの要素のどこに重点が置かれているかによって、その小説の特色や味わいも大きく異なってくることが見えてくる。

 魅力的な小説というものは、少なくともこれら三つの要素のどれかひとつに、どこか魅力的な要素を含んでいるものであるが、「キャラクター」や「ストーリー」ではなく、「舞台となる時代や場所」に魅力のある小説、言い換えれば、舞台そのものが主題となっている小説とはどのようなものかと考えたとき、まず思い浮かべるのは、たとえばベヴァリー・スワーリングの『ニューヨーク』やエドワード・ラザファードの『ロンドン』といった、実在の都市の歴史を物語として織り上げていくたぐいの作品だ。そこに登場するキャラクターは、それこそ何世代にもおよぶ壮大なものとなり、それゆえにダイナミックな物語展開を仕掛けることも可能となるが、何よりその舞台となる都市そのもの――その場所がたどっていく大きな変遷に魅力がなければならないのは言うまでもない。そういう意味では、たとえばイアン・マクドナルドの『火星夜想曲』のように、現実にはありえない、SFやファンタジー的な要素をもつ舞台のほうが、より大きな魅力を秘めやすいものがあると言える。

 さて、今回紹介する本書『百年の孤独』であるが、ここで中心になっているのは「マコンド」という名の架空の町である。同著者の短編集『ママ・グランデの葬儀』のなかでも一貫して登場するこの町の、その誕生から消滅までの百年間を描いたという意味では、間違いなく「舞台となる時代や場所」をメインとする作品ではあるが、同時にこの町は、ブエンディア家という一族と深く結びついている町でもある。もともとホセ・アルカディオ・ブエンディアが、ちょっとした諍いによって殺してしまった男の亡霊に悩まされたあげく、妻ウルスラと数人の友人を連れて新天地を目指した結果として建てられた村がマコンドであり、当初は彼が村長としてあらゆる事柄を仕切っていたことからして、ブエンディア家の集落と言ってもいいような性質をもつものではあったのだが、問題なのは、この場所がブエンディア一族にとってどのような意味をもつものであったのか、という一点にこそある。

 その晩、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは鏡の壁をめぐらした家が立ちならぶにぎやかな町が、この場所に建っている夢をみた。ここは何という町かと尋ねると、マコンドという、それまで一度も聞いたことのない名前が返事としてかえってきた。それはまったく意味のない言葉だったが、夢のなかでは神秘的なひびきを持っていた。

 本書を読み進めていくと、マコンドの住人として登場する者たちには、いずれも大きく二方向のベクトルに沿って動いていくことが見えてくる。ひとつはマコンドの外へと出ていくベクトルであり、もうひとつはマコンドの内へととどまり続けるというベクトルだ。そして、ブエンディア一族としてつらなる者となった登場人物は、常に内側へのベクトルに属し、それ以外の住人については、その逆のベクトルに属することになる。

 たとえば、ブエンディア家のグランドマザー的存在であるウルスラは、かつて息子のホセ・アルカディオがジプシーとともに失踪したさい、その行方を追ってマコンドの外へと出て行ったことがあるのだが、五ヶ月ほどでマコンドへの帰還をはたしている。その失踪は、ジプシーたちがもたらす文明の利器への憧れから、マコンドの外にある世界とのつながりを持とうとして果たせなかった夫に代わって、外との交易の道を発見するという副産物をもたらし、それ以降、マコンドは多くの人々が行き来する大きな町へと発展していくことになるのだが、その後百歳を越えてなおブエンディア家のぬしとして君臨することになるウルスラ自身は、死ぬまでマコンドの内側にとどまるベクトルに取り込まれることになる。また、ホセ・アルカディオも数年後には巨大な体躯をもつ青年となってマコンドに戻ってくるし、ウルスラのもうひとりの息子であるアウレリャノは、アウレリャノ・ブエンディア大佐となって内乱へと身を投じる戦いに赴くが、彼もまた最終的には敗戦の将としてマコンドへ舞い戻ってくる運命にある。それどころか、彼が外の町のあちこちでこしらえることになった十七人の子どもたちさえも、まるで何かに引き寄せられるかのように何度もマコンドを訪れるのだ。

 逆に、ブエンディア一族と親族的、血族的結びつきを持たない者たちは、たとえ一時的にマコンドに住み着くことになったとしても、最後には何かに弾かれるかのように、マコンドの外側に向かうベクトルによって押し流されていく。そのもっとも典型的な例が、とあるアメリカ人によって建てられることになるバナナ工場である。ブエンディアの屋敷でたった一度、彼にバナナを振舞ったことがきっかけとなって展開するこの一大事業は、そもそもアウレリャノ・ブエンディア大佐の十七人の息子のひとりによって鉄道が敷かれたことでもたらされたものであるが、その会社は結果としてホセ・アルカディオの孫にあたるホセ・アルカディオ・セグントによる労働紛争を引き起こし、さらにその後四年近くも降りつづける雨によって撤退してしまう。また、マコンドの住民たちの教化のために神父が派遣され、教会が建てられたりもするが、その本来の目的をはたせないまま別の神父と交代させられたりしてしまう。

 四年以上にわたって雨が降りつづける「大洪水」をはじめ、記憶喪失をともなう伝染性の不眠症が蔓延したり、神父がチョコレートを使って空中浮遊したり、あるいは死んだはずの人間が亡霊となって登場したり、かと思えば白痴の美少女がある日空の彼方に昇天したりと、マコンドではどこか魔法めいた出来事がしばしば起こる。それがあたかも他の現実的な出来事と同じような調子で入り混じって書かれているところから、マジックリアリズムの先駆けとして本書は有名ではあるのだが、こうした物語を決定づけるベクトルを考えたとき、マコンドという場所が、まるでブレンディア一族をひとつの場所に隔離し、世界に拡散させないための呪いであるかのように作用していることに気づく。

 じつはそのあたりの伏線は、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラがいとこの間柄にあり、近親者どうしの血が混じることの不幸――尻尾の生えた子どもが産まれるといったタブーに属するものとして、ふたりの結婚が一族から反対されていたというところにも表われているのだが、じっさいにこのふたりの男女を頂点とするブレンディア家の家系図は、兄弟がふたりともひとりの恋人と関係をもち、正式な妻ではない女性の子どもを引き取ることになったり、残ったひとりの結婚がさまざまな理由で成立しなかったりといった例外的なことが、何代にもわたって繰り返されていく。それゆえに、彼らの家系図は下に行くほど拡散していくのではなく、むしろ先細りしていくかのように収束していくことになるのだが、このどこにも広がっていかない家系そのものが、そのままマコンドのもつ内側のベクトルの力だと言うことができる。そして、それが「呪い」に近いものであることは、本書のタイトルにつけられた「孤独」という言葉からも見て取れる。

 はたして、この「マコンド」という名の呪いはどのようにして始まり、そしてどのような形をもって終焉することになるのか――来るべき終焉を予言したとされる、メルキアデスの書き残した羊皮紙の謎や、ウルスラが屋敷のどこかに隠したとされる黄金のありか、そして、かつてホセ・アルカディオ・ブエンディアが夢にみた、鏡の壁をめぐらせたマコンドの意味するものもふくめて、まるですべてが運命であったかのように語られていくマコンド百年の栄枯盛衰を、ぜひまのあたりにしてもらいたい。(2013.02.13)

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