【講談社】
『チルドレン』

伊坂幸太郎著 



 「世界は自分を中心に回っている」などと、いかにも芝居めいたセリフを現実に口にする人間がいるのかどうかはともかくとして、そんなことを堂々と宣言するような人間にろくなヤツはいない、というのが私の意見のひとつである。だがよくよく考えてみれば、口にこそしないものの、それと似たような思考回路をもっている者は世の中にはたくさんいて、そんな人間のはた迷惑な行為にうんざりさせられたり裏切られたりするのが、すなわち人生なんだと何かさとったようなことを考えていくうちに、もしかしたら前者のほうは、まだ「世界は自分を中心に回っている」と宣言しているぶん、潔いところがあるのかもしれないと思ったりもする。

 思えば小さい頃というのは、誰もが多かれ少なかれ「世界は自分を中心に回っている」ことを信じて疑っていない黄金時代である。自分の前途には輝かしい未来が待っていて、努力は必ずむくわれるし、それゆえに不可能なことなど何もないという根拠のない自信――私たちは大きくなり、さまざまな体験を経ていくうちに、世の中は理不尽極まりないものであって、たしかに楽しいこともあるにはあるが、それ以上に不条理なことや不愉快なこと、面倒くさいことに満ち溢れていることを否応なく知ることになる。そしてそうしたネガティヴな認識は、一面には「人生経験」という生きるための知恵となるものかもしれないが、逆にそうした経験の積み重ねが、私たちの前に本来であれば広がっているはずの選択肢のいくつかを限定させていくことにもつながっていく。言い換えるなら、「余計なことに首を突っ込まない」という心理の発生は、世知辛い世間にもまれた人間特有のものだということである。

「『絶対』と言い切れることがひとつもないなんて、生きている意味がないだろう」――(中略)――「だから」陣内君は深くうなずいて、「これは絶対にうまくいく」と断言した。

(「レトリーバー」より)

 本書『チルドレン』は、表題作をふくむ5つの短編で構成されている作品であるが、著者自身も語っているように、「ひとつの長い物語」として読んでいくこともできる。その中心となるのは、すべての短編に登場する陣内というキャラクターであり、彼がもちつづけている子どもっぽい、しかし何ものにも揺るがない「信じて疑わない心」だ。

 物語の時代背景としては、大きくふたつに分けることができる。ひとつは陣内がまだ大学生のころの話で、彼はパンクロックのミュージシャンとしてバンドをやっていたりする、まあよくあるといえばよくある大学生のひとりである。「バンク」という作品では、彼の友人である鴨居が語り手となり、陣内とともに仙台市内の銀行強盗に巻き込まれたときの顛末を語っていくのだが、そのときに人質となった縁で、盲目の青年である永瀬と知り合いとなり、その後「レトリーバー」では永瀬の恋人である優子が、「イン」では永瀬が語り手をつとめていくことになる。

 もうひとつは陣内が家庭裁判所の調査官となっている三十代のころの話で、「チルドレン」「チルドレン2」ともに語り手となっているのは武藤という、彼と同じく調査官をしている男性である。そして驚くべきことに、陣内はこのときもまだパンクロックの現役ミュージシャンとして、バンド活動をつづけている。ふつう、大学でどんな活動をしていようと、社会人として働くようになれば仕事が忙しくなって、そうした活動はおのずと自然消滅していく形になるのだが、こうした一面をとらえてみても、陣内という登場人物の特異性が見えてくるというものだ。

 本書の短編集のなかではなんらかの事件が起こったり、ちょっとした不思議な出来事に遭遇したりして、結果的に永瀬や武藤が探偵役となって事件の真相に迫っていく、という形をとっており、そういう意味では死者の出ることのない、日常を舞台にしたミステリーとしての要素が大きい作品集だと言うことができるのだが、正直なところ、謎そのものはけっして難解でも奇をてらったものでも、あるいはそれまでにない斬新なものでもなく、大半は読み進めていくうちにある程度の予想がついてしまうたぐいのものでしかない。だが、それゆえに本書が駄作だということではけっしてなく、むしろ大切なのはミステリーとしての要素ではなく、そうした事件や謎に対する陣内の態度なのだ。

 陣内というキャラクターはとかく屁理屈をこねるのが得意で、どんな無茶なことも無理やりねじ曲げるようにして強引に押し通していってしまう、まさに「世界は自分を中心に回っている」の典型的な人物だ。だが、彼が他のそのたぐいの人間と大きく異なっているのは、彼のその態度が純粋に彼の本音以外の何ものでもなく、陣内の言動についてはそれ以外の何の含みも裏も存在しない、という点である。そういう意味では、彼はこの上なく純粋な「大きな子ども」なのだと言える。自分の言動が絶対に正しいと信じて疑わないという、子どもだけの特権ともいうべき心をもちつづけているがゆえに、大学時代の陣内は必ず余計なことに首を突っ込んで騒ぎを大きくしてしまうか、本来なら起こらなかったであろう事件に巻き込まれたりする。それは、彼の周りにいる人間にしてみればはた迷惑でしかないのだが、それでもなお彼にどこか憎めないものを感じるとすれば、それは彼の「信じて疑わない」性格に、一点の曇りもないからこそである。

 そして私たち読者は、陣内のそんな性格が、社会人になってもけっして変わっていないことを知ることができる。家裁調査官としての陣内は、けっして誰にも真似のできない、いっけんすると無茶苦茶なようにも思えるやり方ではあるが、結果として家裁にやってくる少年少女に信頼される良き調査官となっている。そして武藤が抱えている少年事件に対して、じつにいい加減なことを勝手に喋ったりしているのだが、そんな彼がとった何気ない行動が、やはり結果として問題を解決するきっかけとなっていくのである。

「少年の健全な育成とか、平和な家庭生活とか、少年法とか家事裁判法の目的なんて、全部嘘でさ、どうでもいいんだ。俺たちの目的は、奇跡を起こすこと、それだ」

(「チルドレン2」より)

 奇跡なんてそうそう起こるはずがないし、この世に「絶対」などと言い切れることなど存在するはずもない。それが、この世のまぎれもない現実だと言うのは簡単だが、本書を読んでいると、「信じて疑わない」がゆえに起こる奇跡というものの存在を、信じたくなってくるから不思議なものである。何の根拠もないことを、それでもなお信じつづけることができる――それは常識的に考えれば愚か者のすることなのだろうが、案外奇跡というのは、こんな人間にこそ起こすことができるたぐいのものなのかもしれない、と思わせるものが、本書にはたしかにある。(2005.07.25)

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