【徳間書店】
『殺人チャットルーム』

スティーブン・キャネル著/日暮雅通訳 



 現在、私達の住む世界はコンピュータによって制御されている、と言っていいだろう。電気やガスなどの資源の供給、電車や飛行機といった交通機関の制御、病院や研究所といった施設のメンテナンス、また銀行の口座管理など、私達は知らず知らずのうちにコンピュータによる恩恵にあずかっているのである。もし、そうしたコンピュータを自由自在に操る力を得たなら、その者はこの世界における神に等しい力を持つことになる。警備システムに細工をして自由に施設を出入りすることも、患者のデータをすりかえて投与薬を変えることも、信号管理システムを制御して追手を巻くことも、そして指名手配犯のデータを偽造して無実の人間を犯罪者に仕立て上げることも、すべてが可能になる。

 本書『殺人チャットルーム』に出てくるレナード・ランドという男は、そうした力を持つ天才的ハッカーであり、自在にコンピュータ・セキュリティを突破してデータを改竄することで、自身に関するあらゆる痕跡も残さずに次々と女性を殺害しつづける連続殺人犯でもある。アメリカ合衆国関税局のトラブルメーカー、ジョン・ロックウッドは、その暴走的な性格から冷却期間として、犯罪プロファイラーのカレン・ドーソンの手助けをするよう命じられるが、結果的にジョンは、連邦刑務所からマラヴィータ・チャコンという囚人を連れ出す手助けをすることになってしまう。カレンが以前から目をつけていた、性的異常者が集うチャットに侵入するのに、マラヴィータのクラッカーとしての能力が必要だったのだ。
 首尾よく侵入に成功したジョンたちは、レナードが交わす異常なチャットの内容を発見する。だが、それは同時に、自分たちの存在もレナードに知られてしまうことを意味していたのだ……。

 本書の醍醐味は、なんといってもレナードとマラヴィータが繰り広げる最新のコンピュータ技術を駆使した攻防戦だろう。マラヴィータがチャット中のレナードの回線を強制切断し、再ログインさせることでユーザー名とパスワードを手に入れれば、レナードはバックフィンガープログラムでマラヴィータの侵入を察知し、パケット探査ソフトを起動してその居場所を逆探知する。また、レナードがビルのセキュリティ・システムに侵入してデータを書きかえれば、マラヴィータがそのシステムの環境ログのわずかな乱れから書きかえられたデータを復旧する――ある程度のコンピュータ知識がないと難しい話になるかもしれないが、少なくともコンピュータを操る能力が、ともすれば自分がまったく手を汚すことなく大量の人間を殺害する能力となりうる、という事実を知ることができるだろう。

 実際、レナードの反撃によって、ジョンたちはたちまち窮地に立たされてしまう。レナードの手にかかれば、コンピュータを意図的に誤動作させることによって、不運な事故を起こさせることも可能なのだ。そして、実質的な物的証拠が何ひとつないレナードに対して、ジョン以外の警察はなかなか本腰を入れようとしない、という状況――はたして、ジョンたちはレナードを捕まえる起死回生の一発を放つことができるのか……。

 私達にとってコンピュータとは何なのか――本書を読み終えて、私はあらためて考えさせられる。コンピュータによって人々の生活は格段に便利なものとなり、その技術は日進月歩の勢いで進歩しつづけている。それは確かだ。だが、それを使う人間の心は、はたしてコンピュータの進歩についていっているのだろうか。コンピュータは、たとえその性能がどんなに良くても、人間がプログラムを入れてやらなければただのハコでしかない。それは逆に、使う人間の性質によっては、コンピュータは人を救う道具にも、人を殺す道具にも化ける、ということを意味する。

 心理学という学問に精通したカレン・ドーソンが天才的ハッカーであり連続殺人犯のレナード・ランドと対決する、というシチュエーションは、そういった問題を考えると非常に印象的だ。本書がコンピュータを使った戦いを描いた作品であることは間違いないのだが、それ以上に本書は、あまりにものすごい勢いで進化するコンピュータにひっぱりまわされつつある、私達人間に対する警告を発しているように思えてならない。コンピュータを使うのは、あくまで人間であり、その人間の心を理解するための努力が今後は必要となるのではないか――本書が本当に伝えたかったのは、そういうことではないか、と私は考えるのである。(1999.04.03)

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