【新潮社】
『消されかけた男』

フリーマントル著/稲葉明雄訳 



 私たち人間は、とかくイメージというものにとらわれがちであることを、認めなければなるまい。たとえば、「スパイ」という言葉から大部分の人たちがイメージするのは、おそらく007シリーズに登場する英国情報部員、不死身のヒーローであるジェームズ・ボンドの姿ではないだろうか。最新兵器を自在に操り、甘いマスクで美女たちにはモテモテ、ド派手なアクションでピンチを切り抜け、悪人をやっつける情報部員の姿は、あるいは山田風太郎の各種忍法帖シリーズや、あるいは横山光輝のマンガ『伊賀の影丸』に代表されるような忍者――驚異的な身体能力を持ち、さまざまな忍術を駆使して任務を遂行するスーパーマンとしての忍者のイメージと、どこか似通ったところがあるかもしれない。

 実際問題として、敵国に密かに侵入して情報を収集したり、あるいは重要人物を闇から闇へと葬ったりすることを生業としているスパイや忍者が、いかにもそれらしい格好や振る舞いをするはずがないのは当然のことであり、いみじくも阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』にも「スパイは特異な存在である自己を社会においては常に平凡な存在として仮構していなくてはなら」ない、とあるように、いかにもどこにでもいそうな、目立たない人物だと誰からも思われることこそが、スパイや忍者の根本的な資質だと言える。

 そういう意味で、本書『消されかけた男』に登場する英国情報部員のチャーリー・マフィンは、まさにプロのスパイとして扱われるべき人物だと言わなければなるまい。なにしろ彼の姿は、すっかりすり減ってくたびれた靴、何年か前にデパートで買ったよれよれの背広に身を包み、髪型などにはおよそ無頓着で伸び放題、おまけに汗っかきで不潔そうに見えてしまうという、どこから見ても冴えない中年男というイメージをまとっているのだ。しかしながら彼こそは、その鋭い洞察力と用心深さで今まで生き残ってきた英国情報部のベテランであり、かつてKGBの大物、ソ連のスパイ組織の頂点に君臨していたアレクセイ・ベレンコフを逮捕し、その情報網に壊滅的なダメージを与えた経歴を持つ、凄腕のスパイなのである。

 そんなチャーリーであるが、そのプロ意識ゆえに、現在の英国情報部における彼の立場がかなり危ういものとなっていることも事実である。なにしろ物語の冒頭から、そのタイトルどおり、いきなり「消されかけ」そうになるのだ。それが彼を快く思っていない英国情報部の新任部長をはじめとする、内部の陰謀であることは明らかだったが、チャーリーは持ち前の経験と機転でその危機を乗り越えていく。

 チャーリーにとって居心地の良い場所だった、かつての組織――過去の作戦失敗の責任をとって総退陣させられた旧組織に代わって、新しく組織を改変させるべくやってきた頭でっかちのエリートたちとの確執を前面に押し出すことになった本書は、その解説にも書かれているように、東西冷戦の緩和にともなって、かつては極めて特殊な職業であったスパイの役割が大きく変化したことを象徴するような作品となった。そして当然のことながら、チャーリーは旧来の、エリートたちに言わせれば「古臭い、時代遅れの」スパイということになるのだが、そんな彼が新組織の人間たちの陰謀を逆手にとり、見事に出し抜いて自分に有利になるように流れを変えていく様子は、たとえスパイの情勢について何も知らない人であっても、まさに胸のすくような展開であること請け合いである。

 それにしても本書の大きな特長として取り上げなければならないのは、物語全体にわたって維持されていく一種の緊張感であろう。ちょっとした動作やしぐさ、何気ない会話のはしばしにまで注意深い洞察の視線を向け、さまざまな情報を引き出したり、一見するとただの世間話のように思える会話のなかに、非常に重要なメッセージを差し挟んだり、あるいは盗聴されていたり、監視されていることを逆手にとって相手を自分の思うように動かしたりする心理戦の数々は、まさにスパイ小説の醍醐味とも言うべきものであるが、そのなかでもひときわ秀逸なのが、主人公のチャーリーと、西側への亡命を望んでいるKGBの大物であり、ベレンコフの無二の親友でもあるワレーリ・カレーニンの、一連の行動だ。このソ連の重要人物――これまで一度として公の場に姿を見せることのなかった、なかば伝説のカレーニンの動きに、英国情報部のCIAも当然色めき立つことになるわけだが、しかしこの二人のプロのスパイによる、本書の最後に仕掛けられたとんでもないどんでん返し――英米両秘密組織のつばぜり合いが児戯のごとく見えてしまうその一世一大の仕掛けを知ったとき、読者はきっと度肝を抜かれることだろう。そして本書をもう一度頭から読み返してみたい、という欲求から逃れられなくなるだろう。恐ろしいまでに緻密な計算のもとに成り立つ情報戦の様子を、小説の世界で見事に表現しきった著者の筆力に、まさに脱帽する他はない。

 ところで、ソ連の崩壊によって東西冷戦が大きく揺らぎ、世界の各地で地域紛争や民族闘争の嵐が吹き荒れるようになった現代において、スパイの役割は、どのように変化していったのだろうか。私には、本書の中でチャーリーが置かれている立場が、それを饒舌に物語っているように思えてならない。かつて、群雄割拠の戦国時代のなかで活躍し、徳川家康による天下平定とともに、まるで役目を終えたかのように姿を消していった忍者――スパイという特殊な職業もまた、アメリカとソ連の二大大国による冷戦構造の緊張感のなかでのみ、その存在を許されていたようなところがある。実際、西側と東側のスパイどうしが連絡を取り合い、なかば意図的にお互いの情報をリークさせることで、東西冷戦の危うい均衡を守ってきたとも言われており、そういう意味でスパイとは、東西の緩衝材的な役割を果たしていたと言える。だが、その緩衝材も、今や意味をなさなくなってきている。

 もはや時代遅れのものとして、組織の消耗品という立場に追いやられつつあるプロのスパイとして、チャーリーとカレーニンの関係は敵味方という区別を越えて、どこかで共通の認識を持っていたとしても、まったく不思議ではないだろう。あるいは本書における彼らの活躍こそが、スパイという名の異端を背負った者の、かつての味方であった組織への最初で最後の抵抗であり、スパイとしてはけっしてあってはならないはずの、自己主張の姿だったのかもしれない。(2000.12.19)

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