【角川書店】
『冷静と情熱のあいだ』
−Rosso−

江國香織著 

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 流れていく時の前にはすべてのものが平等であるが、それを受け止める人の心は、必ずしも時の流れに従順なわけではない。過去の記憶のなかに生きる者、未来の可能性を見つめて前へ進む者、そして「今」という瞬間の積み重ねを大切にしようとする者――人は常に変化していく絶対的な時間ではなく、自分がもっとも心地よいと感じる相対的な時間の中で生きている。

 本書『冷静と情熱のあいだ−Rosso−』の語り手であるあおいの心は、「今」という名の檻の中に閉じ込められている。厚く雲がたれこめ、雨によってすべてが塗りこめられていくミラノ、現在形によって語られていく、ゆるやかで静かな日常生活、そして、自分を愛してくれる、誠実で、恋人としては完璧なマーヴィン――だが、あおいはそんな彼の愛を受け止めることはできても、それと同じ愛を返してあげることができない。

 人は今を生きている、とはよく使われる言葉であるが、本当に「今」だけを見つめて生きていけるほど、人は強くはない。流れていった過去を、確定された事実として振り返り、予想することのできない未来のなかに無限の可能性を抱いてこそ、「今」という瞬間が生き生きと光りかがやくものとなるのだ。あおいがおくる、金銭的に裕福で、愛情にも満たされた生活は、たしかに「今」を積み重ねていく作業ではあるが、そこには過去からの成果物は何ひとつ反映されておらず、また来るべき未来に対する土台にもなっていない。過去からも、未来からも切り離された結果として、唯一残った「今」のなかに、時間の概念は存在しえない。

 あおいの心の中にある時間は、阿形順正と別れたときから、ずっと止まったままなのだ。

 時間と変化とは、常に密接な関係にある。時の流れは変化の度合いによってのみ推し量られるものである以上、変化することを拒否すれば、当然のことながら時間は止まってしまうことになる。どんなことがあっても、けっして変化しないこと――恋愛というものが、お互いを誰よりも理解し、お互いに今よりも幸福になる、という変化を前提としたものであり、マーヴィンの愛はまさにそうした健全なものであるにもかかわらず、あおいの時間は動き出すことがない。その温度差――それはけっしてマーヴィンの愛の情熱と、あおいの凍りついた時間の冷静さばかりでなく、立ち止まりつづけることに費やされるあおいの情熱と、そんなあおいをけっして無理に引っ張ろうとせず、じっと見守る姿勢を崩さないマーヴィンの冷静さでもあるのだが――が引き起こす、日常のなかのちょっとした違和感が、さりげない情景描写のなかに見事に生かされているのは、さすが『神様のボート』の、狂気にも似た愛の形を描いた江國香織だと言わなければなるまい。

 とくに秀逸なのが、ふたりが特別な日に空けたワインのコルク――そこには、マーヴィンの愛の言葉が書かれている――をひとつずつ瓶から取り出しながら、不意に襲ってきた自分の過去を冷静に心の奥底に押しやっていくシーンで、ふたりがこれまで築いてきた過去を確かめながらも、そこから無為な「今」を必死に維持しようとする姿勢が垣間見えてしまうのが、なんともせつないかぎりなのだが、こうした違和感が大きくなるにつれて、かつて阿形順正とおちいった恋の激しさ、深いところで結ばれたはずのふたりが、どうすることもできないことが原因で永遠に別れなければならなかった不幸の大きさに、読者の心はしだいに引き寄せられていくことだろう。そして、物語はほんのわずかな希望――冗談のように口にした、ある約束へと収束していく。

 フィレンツェのドゥオモ、その屋上、二〇〇〇年五月二十五日、あおいの三十歳の誕生日。昔の芸術を維持するために時間を止めてしまった街で、もっとも天に近い場所、そして、愛する人どおしがのぼる場所――はたして、阿形順正はその約束を覚えているだろうか、そしてあおいは、10年という、おそらく元に戻るにはあまりにも長すぎる時の隔たりを前にして、けっして振り払うことのできない過去にどのような決着をつけるのか。

 本書はもちろん、この一冊だけでもひとつの物語として成立はするが、まったく同じタイトルの小説『冷静と情熱のあいだ−Blu−』という小説と対になってはじめて完結する、深く激しい恋愛小説だと言うことができる。ちなみに、辻仁成が書いた方は、阿形順正を語り手としたもので、そこにはふたりが別れてしまったあとの、あおいの知らない人生を過ごしてきた阿形順正が描かれている。そして、物語のなかでふたりは何度かすれ違ったり、同じ場所を時間差で訪れたりする。恋愛小説の内容としてはごくありふれたストーリーでありながら、かつて恋人どおしだったという要素だけをもとに、男と女の視点からそれぞれの物語を、ふたりの作家が書くことで、物語そのものが深みを持つことになったのは、まさに画期的なことではないだろうか。

 かつて、運命に導かれるままに情熱的な恋におちた男と女がいた。まるで、引き裂かれてしまった自分の半身を見出したかのようにお互いのすべてをさらけ出し、激しく愛し合い、その愛は永遠につづくと信じて疑わなかった。しかし、情熱だけで満たされていた時期は、もう過去のものとなった。悲しい誤解が生んだ10年という歳月を超えて、ひとつのささやかな約束が果たされたとき、あおいの心にもたらされるかつての情熱と、失われてしまったものの大きさを認めずにはいられない冷静さ――あなたはあおいのなかの「冷静と情熱のあいだ」に、何を見ることになるだろうか。(2001.12.29)

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