【東京創元社】
『チェシャーチーズ亭のネコ』

カーメン・アグラ・ディーディ&ランダル・ライト著/山田順子訳 



 彼はすべての雄ネコのなかで最高の雄ネコだった。
 彼はすべての雄ネコのなかで最悪の雄ネコだった。

 今回紹介する本書『チェシャーチーズ亭のネコ』の冒頭を飾るこの文章は、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズのファンであればピンと来るものがあるに違いない。そう、この文章はあきらかに、彼の著作である『二都物語』の冒頭を意識したものであるからだ。そして本書のなかにも、物語の登場人物としてディケンズが出てくる。時はヴィクトリア朝時代のイギリス、彼は作家としてはスランプ状態にあり、アイディアはあるもののなかなか小説の出だしを書くことができずにいる。

 こんなふうに書評を書くと、まるでディケンズが物語の主役であるかのように思われてしまうかもしれないが、彼の有名な作品とは異なり、本書で「最高」で「最悪」なのは「時代」ではなく「ネコ」である。フリートストリートの野良ネコとして登場するスキリーは、ふとしたことから「チェシャーチーズ亭」のことを知り、うまくそこのネズミ退治役として収まることに成功する。「チェシャーチーズ亭」は、その店の名前が物語るように、イギリスでも最高のチーズを饗することができるパブ――となれば、そこにはチーズを好物とするネズミたちも出入りしているはずで、ネコにとってはこのうえない狩場ということになる。

 本書はそんなネコのスキリーと、「チェシャーチーズ亭」を住処とするネズミのピップを中心に織り成される物語であり、動物たちが人間のごとくものを考えたり、あるいは人間以外の動物と会話したりするという意味では、動物を擬人化したファンタジーとしての要素の強い作品でもあるが、本書を特徴づけているのは、むしろ彼らを含むいくつもの謎や伏線であり、またその伏線がどのような形で物語のなかに結びつくことになるのか、という点である。そしてこれは、ファンタジーというよりは、ミステリーの手法に近いものがある。

 たとえばスキリーには、ある秘密がある。それは彼がネコでありながら、じつはネズミよりもチーズのほうが好物だという、ネコとしてはいささか「みっともない嗜好」であるが、その秘密が明らかにされたとき、スキリーが「チェシャーチーズ亭」に狙いをつけたのは、ネズミを狩るためではなく、好物のチーズにありつけるかもしれない、という思いがあったからだということに読者は気づくことになる。そうなると、ネズミにとってスキリーは天敵ではなくなるばかりか、うまくすればお互いの最大利益のために手を組むことさえできる可能性が出てくるわけだが、そんな大胆な発想は、当然のことながら並のネズミの頭脳ではおよびもつかない。

 本書のもうひとりの主人公であるピップには、じつは人間の書く文字――アルファベットや、それらの羅列によって構成される単語や文章を理解できるだけでなく、自分の尻尾をペン代わりに、文字を書くこともできるという特技をもつネズミである。その背景には、かつて彼を保護し、ことのほか可愛がっていた「チェシャーチーズ亭」の娘であるネルの存在が大きいのだが、この、ネズミにしてはオーバースペック気味な能力は、しかし天敵であるはずのネコと協定を結ぶ、さらには、天敵同士という枠を超え、友情によって深く結びつくという展開を、読者にスムーズに納得させるのにひと役買っている。

 こうして見ていくと、物語の最初のほうは、いくつもの思わせぶりな伏線はあるものの、目に見えない部分に何が隠されているのかよくわからないまま展開していき、上述のような秘密があらわになることで、はじめてその裏にある事情が見えてくるという構成が本書の特長であり、また読みどころということになる。何より巧みなのは、本書の主人公が人間ではなく、あくまでネコやネズミといった動物たちであることを、最大限活用している点だ。たとえばピップは新聞を読むことができるが、スキリーはそうではない。ゆえに、彼の主体のときに、ピップがある新聞記事にひどく興奮し、どこかへ跳んでいったとしても、その原因が何なのかスキリーにはわからないのである。文字の読めない彼に、新聞という情報源は無価値に等しいからだ。

 同じようなことは、人間と動物との関係にもあてはまる。本書の舞台となる「チェシャーチーズ亭」は、ディケンズをはじめとする多くの作家たちがよく集まる場所でもあるのだが、彼らにとってネコはネコでしかないし、ネズミはネズミでしかない。ネコはネズミを食べるもの、ネズミはチーズを狙うもの、という常識は、彼らの目を曇らせてしまうものだ。人よりすぐれた洞察力をもち、スキリーとピップの関係性について推察してのけたディケンズさえ、秘密のすべてを見通せるというわけではない。だが、そうした種族的な違いが、日常のなかから秘密や謎を生み出す役に立っているのは間違いない。

 スキリーは思う――このパブは、ネズミたち以上に秘密をたくさん抱えている、と。

 ネコにしか見えない世界、ネズミにしか見えない世界、そして人間にしか見えない世界――通常であれば交わるはずのないそれぞれの世界が、小さな謎によって少しずつ結びついていき、最終的にはひとつの大きな流れとなっていくのが、この物語の醍醐味でもある。はたしてスキリーとピップとの思わぬ邂逅が、どのような大きな物語へと結びついていくことになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2014.11.25)

ホームへ