【新潮社】
『シェル・コレクター』

アンソニー・ドーア著/岩本正恵訳 



 今でこそ一読書家としてこのようなサイトを開設していたりする私であるが、だからといって子どもの頃から物語が好きでたまらなかった、というわけではなかった。そのころの私は、どちらかといえば小説や絵本といったものよりも、カラー大図鑑を眺めているほうが好きな子どもだった。動物や植物、魚、昆虫、あるいはさまざまな鉱物や天体――フルカラーで印刷されたそれらの図鑑は、おそらく当時の私にとってはきらきらと輝く神秘に満ちた宝石箱のようなものだったに違いない。この世界のいたるところに、ミクロの視点においてもマクロな視点においても、じつに多種多様な――まさに多種多様なとしか言いようのない生き物や物質が存在しているという事実は、そのままこの世界を系統づけている大自然の驚異でもある。いったいこの世に、何種類の蝶がいるのだろう。あの鳥のくちばしは、なぜあのような形をしているのか、深海魚のあのグロテスクな体は、どんな意味をもっているのか。そのカラー図鑑にはもちろん、それぞれのページにちょっとした解説めいた文章がついていたりしたが、たとえどれほど多くの文章を費やしたところで、これら大自然が生み出した神秘そのものを説明するには足りない。そういう意味では、私たち人間が発達させてきた科学技術や知識はまったくもってちっぽけなものでしかなく、せいぜいできることといえば、これまで私たちが発見したものをカラー大図鑑におさめていく程度のことでしかない。しかも、そうして集めたものにしたところで、それですべて、というわけですらないのだ。

 貝を見つけ、触れ、なぜこれほど美しいのか言葉にならないレベルでのみ理解する。彼はそこにかぎりない喜びを見いだした。そこには純粋な謎だけがあった。(「貝を集める人」より)

 本書『シェル・コレクター』は、表題作を含む(じっさいの表題作は「貝を集める人」と日本語訳されている)8つの短編を収録した作品集であるが、どの短編にも共通しているのは、人智をはるかに絶する大自然がほんのつかのま垣間見せる神秘や驚異が書かれている、という点である。しかし、その描かれ方はけっしてドラマチックなものではなく、あくまで物語の登場人物を含めた全体を、まるで絵画か写真として切り出したかのように平静なものだ。

 表題作「貝を集める人」は、ケニア沖の孤島に住み、日々その豊かな自然のなかで生きるさまざまな貝の神秘を堪能する盲目の老貝類学者が登場するが、彼はすでに軟体動物学の権威として、このあまりに不思議で、あまりに美しい生物が秘める数々の謎を解明したいという欲求を、とっくの昔に放棄してしまっている。そこにあるのは、私たち人間もまた、大自然が織り成す複雑な秩序のなかで生きるものの一部でしかない、という一種の境地であり、本書の短編集に登場する人々は、そんな自然の驚異を前に、ただただ翻弄されていく。「貝を集める人」では、老貝類学者の住む島に迷い込んだ女性の難病が、猛毒をもつはずのイモガイに刺されることによって偶然治ってしまい、その奇跡を聞いて大挙してやってきた人々が、彼の平穏な生活を大きくかき乱していくのである。

 大自然の複雑な秩序、と書いたが、私たち人間はそうした秩序よりも、むしろ大勢の人々が同じ場所で生活を営むことによって生じる社会的秩序に縛られているし、また誰もがその社会的秩序の恩恵を受けている、という意味で、私たち人間はすでに、純粋に自然の秩序にしたがって生きることができなくなった生き物だとも言える。だが、それは私たちの生活が変化しただけであって、大自然という大きな枠組みのなかにおいて、私たちのいるべきポジションが変化したわけではない。そして、ときに猛威をふるう自然災害によって、私たちにそうした大自然の秩序を思い知らされることになる。

「ハンターの妻」に登場するハンター、あるいは「ムコンド」に登場するナイーマは、どちらも人里離れた僻地で暮らしており、狩りをしたり、あるいは自らの野生を解き放ってジャングルを走ったりと、どちらかといえば私たちよりもより自然の秩序によりそった生きかたをしているのだが、それは別の見方をすれば、厳しい自然によって社会的秩序、人々とのつながりから切り離された状態にいることが多い、ということであり、それゆえにハンターもナイーマも、自分の生活を他の誰かと比較する機会をもっていない。「ハンターの妻」では、巡回マジックショーで奇術師の助手をしていた女性と結婚するが、長く人間社会をめぐって生きてきた妻が大自然にかこまれた生活のなかで、生きとし生けるものたちの夢想を読み取る不思議な力を開花させるいっぽう、ハンターがその奇跡をかたくなに信じようとしないという齟齬が生じてしまう。「ムコンド」のナイーマもまた、アメリカから化石発掘のためにやってきたワードと結婚し、彼とともにアメリカへ渡る決心をするが、彼女がもともと生きてきた、ジャングルに囲まれた場とはあまりにもかけはなれたアメリカでの生活は、かつてワードに感じていたはずの野性味を失わせたばかりでなく、彼女自身の心さえも徐々にむしばんでいってしまう。

 本書の短編集では、「七月四日」や「もつけた糸」のように、ごく短い期間の物語もあるが、基本的には数ヶ月とか、あるいは何十年という長い年月をその内に収めているものが多い。短編でありならが雄大な時間の流れを感じさせる、ということも本書の大きな特長のひとつであるが、「たくさんのチャンス」のドロテアように、新しい環境のなかで自分の周囲にある自然の恵みを発見し、それを励みに生きていこうとする姿や、「世話係」のジョゼフのように、故郷を遠く離れた場所で、孤独に生きながらも自分だけの菜園を育てることで希望をつなぎとめようとしていく姿こそが、本書の主要なテーマだろう。それは、自然の秩序から遠く離れてしまっていながらも、それでもなおその自然のなかで生きていくことを渇望している私たち人間の心の声であり、またどれだけ汚されながらも、それでもなお変わらない秩序ですべての生き物を包み込もうとする大自然のやさしさでもある。

 彼が世界と――木の幹や、列になって行進するアリや、回転するように土から顔を出す緑の芽と――分かち合っているものを、まだ目にしていなかった。それは生命だ。生命こそが、すべての生きものを日々世界に漕ぎださせる最初の光だった。(「ムコンド」より)

 大自然の秩序、人間社会の秩序、そしてある特定の人々との結びつき――それらさまざまな関係や因果にもてあそばれながら、それでもその日その日を懸命に生きていく人々の、素朴ではあるが力強い生が、そこにはたしかにある。(2004.10.19)

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