【筑摩書房】
『クラウド・コレクター』
雲をつかむような話

クラフト・エヴィング商會著 



 今の今までずっと忘れてしまっていた、あるひとつの記憶を思い出す。
 それは、私がまだ小さな子どもだった頃、家族で海へ出かけたときの記憶だ。

 当時も今も、海岸にはいろいろなものが打ち上げられているものであるが、そのなかでもとくに私のお気に入りだったのは、色とりどりの半透明な石だった。それらの石の表面は、たいてい白い粉をまぶしたような鈍い色をしているのだが、水の中にひたしたとたん、それらはたちまち透きとおるような赤や青、緑といった色を取り戻し、まるでちょっとした宝石のような輝きを放つようになるのだ。
 後に、それらの石の正体が、川に捨てられたガラス瓶の破片のなれの果てであることを知るのだが、この綺麗な石を拾い集めながら、これがどこから、どのような経緯でこの海岸に流れ着いたのか、ということについて、あれこれ想像をめぐらせるのは、当時の私にとってはなかなかに楽しいことでもあった。今にして思えば、いかにも子どもっぽい空想遊びだったし、その石についても、正体がわかってしまえばなんてことのないものであったのだが、それでも、少なくともかつての私にとって、その石が空想を楽しむだけの価値をもっていたのはたしかなのだ。

 あれからもうかなりの年月が過ぎ去って、私はもう社会人として自立した生活を日々過ごしているが、かつて集めたそれらの石も、それらを収めた自分だけの宝箱も、今まですっかり忘れ去られてしまっていた。おそらく、実家に戻って探しても、ほぼ間違いなく見つからないだろうと思う。はたして、私がかつて集めていた不思議な石のコレクションは、どこへ消えてしまったのだろうか。いや、そもそも私たちはなぜ物事を忘却してしまうのだろうか――。

 本書『クラウド・コレクター』は、以前紹介した『すぐそこの遠い場所』の姉妹本とも言うべき作品で、『すぐそこの遠い場所』が「アゾット」という仮想世界を事典形式で紹介するのに対し、本書では現クラフト・エヴィング商會の主人の祖父、吉田傳次郎が、じっさいにその「アゾット」へ行ったときの旅行記を紹介する、という形をとっている。以前、『すぐそこの遠い場所』を読んだとき、せっかくここまで興味深い世界観をつくりあげたのだから、「アゾット」を舞台にした物語があればいいのに、とふと思ったものだが、本書は「過客」の目から見た「アゾット」の旅行記、という形でそれを実現させたと言うことができるだろう。

 古い雑誌の広告頁に載っていた、「雲、賣ります」という奇妙なコピー文。どうやら祖父の吉田傳次郎が関係しているらしいこの商品、いったいどんなものだったのか、という疑問からはじまる本書では、まず「アゾット」なる遠国が、祖父の空想の産物であることを早々に暴露してしまっている。だが、そのことで作品全体が興ざめしてしまうかといえば、けっしてそんなことはなく、かえってなぜ祖父はこんな手の込んだ趣向をこらしてまで――それこそ「アゾット」のパスポートやら、そこで売られている蒸留酒の空き瓶やらをつくったり、さらにはわざわざ旅行記まで書いてしまうという用意周到ぶりを見せてまで、その架空の世界をでっちあげようとしていたのか、というさまざまな疑問が後から後から噴出し、ちょっとしたミステリーの様相を呈することになる。そう、本書は『すぐそこの遠い場所』ではあえて取り上げられなかった、さまざまな疑問や謎を解明していくという、「謎解き」の面白さがあるのだ。

 本書の書き手とされるクラフト・エヴィング商會は、その名前からもわかるように、商売人ということになっている。いたって現実的な打算で物事を判断する必要がある商売人としては、「アゾット」がすべてつくりばなしであるとわかった時点で、それに対する興味を失ってしかるべきところであるが、ところがどっこい、そうならないところがさすが『ないもの、あります』のクラフト・エヴィング商會のクラフト・エヴィング商會たるところだ。旅行記のなかでも吉田傳次郎は、「商業的」な目的ではなく、「芸術的探求」を目的とする「左の手袋」を最初の町で購入している。商売人を装いながら、その本質は芸術家に近い、という点こそが本書の、さらにはクラフト・エヴィング商會というものの大きな魅力となっていることが見えてくる。

 本書にはミステリーとしての面白さがある、と私は書いた。じっさい、著者は祖父の吉田傳次郎が生み出した「アゾット」が、なぜ、どのようにして成立していくことになったのかを探求する、探偵としての役割を負っている。だが、そのことであきらかになってくるのは、たとえば殺人事件の犯人が抱えていた心の闇であるとか、胸をえぐるような動機であるとかいったものではなく、じつはすぐ近くにあるのにずっと気づかないままであるもの、いたってあたり前であるがゆえに、すっかり忘れてしまっていたことだと言うことができる。

 なぜ空は青いのか、なぜ雲は白いのか、なぜ虹は七色をしていて、なぜ人は涙を流すのか、そして、なぜ私たちは、何かを忘却してしまうのか――今ではそれらの問いに、私たちはきわめて科学的な裏打ちのされた答えを見出すことができる。それは、たしかに私たち人類の成長であり、進歩でもあるだろう。だが、それと同時に私たちは、何かを置き去りにしてしまったのではないだろうかと思うことが、誰もが一度はあるはずだ。たとえば、かつて人間は、身のまわりにあるちょっとした疑問に答えを与えるために、いくつもの神話や伝説という名の物語を創造してきた。ちょうど過去の私が、海岸に打ち上げられたガラス瓶の石から、自分だけの物語を生み出していたように。だが、私たちはいつのまにか、世界に答えを与えるための物語を忘れてしまっていた。その忘れ去られた無数の物語たちは、いったいどこへいってしまったのだろうか。

 出発はいたって簡単。「ひい、ふう、みい」とみっつ数えるだけです。

 そう、本書はただの架空世界旅行記でも、ひとりの人間がどのように妄想を生み出したのかを追う話でもなく、あなたが忘れてしまった物語をめぐる旅なのだ。あるいはそれは、まさに「クラウド・コレクター」――雲をつかむような話なのかもしれない。だが、あるいはそれは、まさに「ひい、ふう、みい」とみっつ数えれば到着する場所にあるのかもしれないのだ。少なくとも私は、本書を読んでずっと忘れていたものを、たしかに取り戻したと断言できる。あなたははたして、何を思い出すことになるのだろうか。(2004.07.07)

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