【東京創元社】
『ストリート・キッズ』

ドン・ウィンズロウ著/東江一紀訳 



 ロバート・B・バーカーのスペンサーシリーズ、ローレンス・ブロックのスガターシリーズ、レイモンド・チャンドラーのマーロウシリーズ――「ハードボイルド」と呼ばれるジャンルの魅力が何かと考えたとき、それはけっきょくのところ、物語のなかで活躍する私立探偵をはじめとする、登場人物たちの魅力に尽きると言うことができるだろう。とくに、主役たる私立探偵の存在は重要だ。探偵のプロフェッショナルである彼らが、引き受けた依頼を成し遂げるのは、ハードボイルドの世界ではなかば必然のことであるが、読者はソツのない事件の解決を求めているわけではない。読者が期待しているのは、私立探偵がいかに「依頼の遂行」以上のことをやってくれるか、ということなのだ。たとえば『初秋』において、離婚した夫から息子を取り戻したスペンサーが、依頼人である母親に息子を返すのを拒否し、心を閉ざした少年を一人前の男として鍛えなおすことを決意する、といったふうに。

 現在、ハードボイルドの主人公としてはアル中探偵や女探偵、あるいはオカマの探偵まで登場しているこのジャンルにおいて、いかに主人公の個性を確立し、その個性を引き立てる事件を組み立てるかが成功の秘訣となってくるわけだが、そういう意味で本書『ストリート・キッズ』は、そのふたつを文句なく満たした力作だと言うことができるだろう。

 本書の主人公であるニール・ケアリーは、コロンビア大学の院生でありながら、同時に「朋友会」と呼ばれる、主として政財界の大物たちが持ちこんでくるトラブルを秘密裏に解決する機関の探偵としての顔も持ち合わせている。もともとニューヨークのストリート・キッドで、スリをして食いぶちを稼いできたところを、「朋友会」の雇われ探偵であるジョー・グレアムに見込まれ、直々にさまざまな探偵術を叩きこまれたという過去があり、今では「朋友会」とは、大学の学費をすべて援助してもらう代わりに、恋人にも秘密で探偵稼業をする、という関係をつづけている。そして、ジョー・グレアムに対しては師としてよりも、むしろ父親への情愛にも似た親しみを覚えてはいるものの、自分が「朋友会」の犬であり、けっして好きではない権力者のために動いている、という事実に、どこか割り切れない不満を抱えている。

 将来は英文科の教授になることを望んでいる、この異色の探偵について、こうした背景を理解したうえで本書の物語を読みすすめていくことは、物語全体の深みを味わうのに重要なことだ。もっとも、そうしたことを気にせずとも、本書ではニールの過去について――ジョー・グレアムによって、それまでのすさんだ生活から、自分を律し、正しく生きることを皮肉混じりに、しかしあたたかく教えられていく過程がちゃんと書かれているので、心配は無用だ。そして読者はそこに、様々な探偵術――尾行術からはじまって、探索や潜入、記憶術、格闘術など、じつにさまざまな技術が非常に具体的に書かれていることに驚くことになるだろう。

 じっさい、本書の大きな特長のひとつに、固有名詞を多く使った圧倒的な情報量で、まるで読者自身がニールになったかのように思わせようとしている点が挙げられる。もっとも、主人公への感情移入という点では、会話文の後ろにしばしば地の文で差し挟まれるニールの皮肉まじりの言葉による効果のほうが大きいのだが、たとえば探偵術の講義ひとつとっても、単純な説明的文章ではなく、ニールが何度も失敗しながらも、自分の体で覚えていくという形をとっているので、わかりやすいだけでなく、読者はいつのまにかニールという人物に引き込まれてしまうのだ。それに加えて、片腕の探偵ジョー・グレアムの、人を食ったようでいて、しかし誰よりもニールを大切に思っているやさしい心遣いも、心憎い演出である。

 誰よりも自分を大切に思ってくれる人として、両親を挙げることができない、ということ――ニールは父を知らず、小さい頃から麻薬に溺れた母親を見てきた。母親をヤク中にしたのは、強い者たちの利己主義であり、母親自身の弱さであったことを、彼は知っている。ニールはけっしてスペンサーのように強くはないが、だからこそ、弱い者が強い者たちに不条理に踏みにじられることに関して、人一倍敏感であると言うことができる。そして、今回ニールが試験を断念して引き受けることになる、行方不明になった民主党上院議員の娘――十七歳でヤク中の問題児を見つけだして連れ戻す、という依頼の奥に、副大統領候補としてのしあがるために、選挙アピールのために、自分の娘を嘘の家族団欒の道具に使おうという、強者の論理を見出すのだ。

 弱肉強食がこの世の真実であることを知りながら、しかしけっしてそれだけではない、ということを、ジョー・グレアムという人物から教わったニールは、上院議員の娘アリーを見つけるために、ロンドンへ向かう。だが、ニールがけっして権力の犬とはなりえないことは、冒頭で述べたとおりである。依頼主、アリーを飼っている麻薬組織、そして「朋友会」の思惑までからんで、ニールは正真正銘、自分の力だけを頼りに戦いを続けなければならなくなる。はたして、ニールはどのようにしてこの危機を乗り越え、ただ依頼を果たすだけではない、アリーの傷ついた心をも癒す最上のエンディングをもたらすことになるのか――ぜひとも本書を読んで確かめてもらいたい。(2001.09.04)

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