【朝日新聞社】
『白光』

連城三紀彦著 



「プロパビリティの犯罪」という言葉をご存知だろうか。もともとは、かのミステリの大家、江戸川乱歩が、谷崎潤一郎のある作品を紹介するためにわざわざ生み出したミステリ用語だと言われているが、これは、ある特定の人間に殺意を抱く者が、その相手を故意に事故の起こりやすい場所へ行かせたり、危険なことをさせたりすることで、蓋然性としての死を引き起こすことを狙った犯罪のことを指している。

 自らの手を犯罪に染めるのではなく、あくまで偶然の事故死をあてにしなければならないため、犯罪の成功率はかなり低いのだが、もし成功すれば、たとえどれだけ相手を殺す動機が充分揃っていたとしても、警察がその人間を罪に問うのは難しくなる。そうした特徴をもつ「プロパビリティの犯罪」が、厳密な意味での「犯罪」と言えるのかどうかは定かではないが、ひとつだけたしかなのは、それが殺人のように積極的、突発的な行動ではなく、「死を待つ」という消極的な行動であるがゆえに、多分に根気と忍耐を必要とする犯罪であること、そして「プロパビリティの犯罪」を狙う人間は、法によって罰される可能性が少ない代わりに、それが成功しても失敗しても、非常に長い期間にわたって、自分の心のうちにある「殺意」という名のどす黒い感情と向き合っていなければならない、ということである。

 本書『白光』を読み終えて私がまず思ったのは、この「プロパビリティの犯罪」という言葉だったのだが、本書の中でおこったある少女の死は、事故死ではなくあきらかな殺人、という形をとっている。そして殺人事件である以上、そこには必ず犯人が存在し、なんらかの方法で少女を殺した、ということになるのだが、本書の場合、問題になってくるのは誰が直接少女に手をかけて殺したのか、という点ではなく、誰が少女に対して殺意を抱いていたのか、そして誰が誰の殺意を焚きつけて、殺人にいたらしめたのか、という点だと言える。

 高円寺にある一軒家で、4歳の少女直子が何者かに絞殺され、その遺体が庭に埋められる、という事件が起こった。直子の母である幸子はその時間、カルチャースクールに通っており、そのために直子を姉の聡子の家にあずけていたのだが、その聡子もまた、娘の佳代を歯医者に連れていっており、そのとき家の中には、聡子の舅にあたる桂造と直子のふたりしかいない状態だった。事件の唯一の目撃者であり、「若い男が直子を埋めた」と供述している桂造は、しかし2年ほど前から痴呆の傾向があり、しょっちゅう妄言を吐いたり、突発的に狂暴になることがある、という理由から、警察は当初、この桂造が犯人ではないかとにらんでいたのだが、その後の捜査で桂造の証言を裏づける「若い男」の目撃情報が集まるにいたり、事件は外部犯の可能性も色濃くなってきていた……。

 はたして、直子を殺したのは本当に外部の人間によるものなのか、それともこの一家の中に実行犯、あるいは実行犯を手引きした共犯者がいるのか――物語はその後、聡子、その夫の立介、幸子、その夫の武彦、さらに幸子の愛人である平田という男のそれぞれの立場から、事件の裏に隠されたこの一家の複雑で醜悪な人間関係が徐々に明らかになっていく、という形で展開していくことになるのだが、その結果読者に見えてくるのは、恐るべきことに、直子となんらかの形で親戚関係にあるすべての登場人物が、直子を殺害する可能性を秘めている、ということである。

 本書の中でおこった犯罪が非常に複雑で、まるでいくつもの蔦が絡み合うかのような錯綜を示しているのは、誰もが直子殺害の動機をもち、また誰もが直子を直接的あるいは関節的に殺害できる立場にあった、というそのときの状況ばかりでなく、幸子、武造、聡子、立介、佳代、直子によって綴られる表向きの血縁関係と、その裏にある心理的な関係が交錯し、それぞれの証言がどこまで本当でどこまで嘘なのか、その嘘も意図的なものなのか、勘違いや思い込みによるものなのかが見えにくくなっている、というのもある。そして何より重要なのは、立介の父である桂造がかかえている過去の因縁が、桂造の痴呆という現象によって、過去と現在との境目を超えてこの事件に大きな影響を及ぼしてきている、という点である。

 たとえば、精神錯乱で死んだ父親をもつ子どもは、その親子という血縁関係ゆえに、自分もまた父親のように錯乱して死ぬのではないか、という漠然とした恐れを抱くものだ。それがたとえ、遺伝的な病気でないとわかったところで、血のつながりというものは、そんな科学的な根拠を寄せ付けない、何か呪術的なものをもっているのである。過去の日本の文学作品には、そうした血のつながり、世代を超えて繰り返される過ちをテーマにした傑作がいくつもあるし、それゆえにそれは、日本文学における主要なテーマのひとつとさえ言えるのだが、本書もある意味では、そうした系列に並べられるべきミステリなのだ。

 かつて、桂造は最初の妻によって手ひどい裏切りに遭い、その憎悪の念が彼に、戦時中のある島でひとつの殺人を犯させることになった。そして今、自分の次の世代にあたる者たちが、同じ親戚どおしでありながら、過去の裏切りの加害者と被害者をともに演じようとしている――本書のなかでおこった殺人事件は、たしかにひとつの殺人事件でありながら、すべての真相があきらかになるにつれて、まるでその一家の総意が、結果として直子を死にいたらしめたとしか言いようのない説得力を帯びてくることになる。それは「プロパビリティの犯罪」というよりは、むしろ「起こるべくして起こった犯罪」なのかもしれないが、おそらくそうした意識こそが、本書のもっとも戦慄すべきところではないだろうか。

 いったい、この殺人事件の一番の被害者は誰なのか、あるいは一番の加害者は誰なのか、いや、そもそもこれは本当に殺人事件だったのか――人間の理性など無視して何もかも真っ白に塗りつぶしてしまう光を前に、あなたは何を思うことになるだろうか(2003.08.09)

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