【新潮社】
『武士の家計簿』
「加賀藩御算用者」の幕末維新

磯田道史著 



 友人と遊びに出るとか、会社での付き合いとかいった特別な場合をのぞいて、ほぼ自炊率100パーセントを達成している私は、よく料理の材料を買いにスーパーにおもむくのだが、買い物を終えて精算のためにレジにつくと、たいていその前に並んでいる人の買い物カゴの中身が目に入ってくることになる。べつに、特別見ようと思って目を向けるわけではないのだが、なんとなく他人の買い物カゴを覗いているうちに、その内容によってその人が現在どんな暮らしをしているのか、おおよそながら見当がついてしまうことに気づいた。

 とにかく肉や野菜を大量に買い込む中年女性であれば、おそらく大家族を養っているのだろうと想像がつくし、ビールとちょっとした惣菜だけを買っていくサラリーマン風の男であれば、単身赴任か妻と別居中か、なんらかの理由でひとりで食事をしている姿が浮かんでくる。同じ酒を買うにしても、その他につまみやお菓子など大量に買う若者であれば、近くに誰かの家があって、そこでパーティーでもするのだろうとわかるし、ことさら割引されたものばかりねらって買っている人であれば、家計がちょっと苦しいのかもしれないと考える。スーパーにしろコンビニにしろ、あるいは他の量販店にしろ、もし誰が何を買ったのか、という正確な情報が手に入ったとしたら、その人の性癖や嗜好もふくめた生活の様子が、ほぼあきらかにされたも同然だと言える。人の捨てたゴミがその人に関する情報源となるのと同様に、人が何を買ったのかという記録もまた、その人のことを雄弁に物語る資料となりうるのだ。

 本書『武士の家計簿』という本は、文字どおり江戸時代から明治時代にかけて、30年以上の長きにわたってほぼ絶え間なく書き付けられた、ある武家の家計簿に焦点を当てたもので、その古文書を神田の古書店で発見した著者によって、そこから垣間見えてくる当時の一般的な武士の生活の様子や、その一家のたどった歴史、伝統や因習、そして幕末の激動期に武士の身分にある者たちが何を考え、どのような決断をし、行動していったのかなどが丁寧に解説されている。そういう意味で、本書はちょっとした研究書という体裁をとっているが、本書を読んでいくと、これがたんに私たちがこれまで知らなかった武士の生活習慣について紹介した本、というだけでなく、発見された古い家計簿をつうじて伝わってくる、その家族たちの物語――江戸から明治という、すさまじい社会経済の変動をその身に体験した者たちの、たしかな息遣いさえ聞こえてきそうな物語を再現してみせた本であることがわかってくる。

 あなたは今、家計簿をつけているだろうか。私などは家計簿も日記もまったくつけていない、いたってずぼらな人間であるが、それは江戸時代の武士たちも同様であったらしい。著者はこうした「武士の家計簿」が何十年分も保存されていること自体を「異常」とさえ評しているが、本書ではまず、なぜこのような詳細な収入・支出記録が残されることになったのか、という点に焦点をあてている。そして、この家計簿の主である猪山家が、代々加賀藩で「御算用者」と呼ばれる会計処理の専門家として仕えていたことを起点として、物語は当時の加賀藩が算術に重きを置いていたこと、しかし武士のあいだでは軽んじられる技術であったこと、そして給料の様子からどのような出世をとげていったのか、にもかかわらずなぜあちこちから借金をして首がまわらなくなっていったのか、といった、けっして平穏とはいえない猪山家の暮らしぶりを、あくまで発見した資料をもとにして描き出している。

 猪山家の家計簿には、何をどんな目的で購入したのかも細かく記されているため、たとえば当時の冠婚葬祭がどのようなもので、どれくらいの費用がかかったのかが一発で見えてくる。猪山家は一度、積もり積もった借金をなんとかするため家財道具のいっさいを売却しているにもかかわらず、結婚や葬式、年中行事や先祖の供養、また子どもたちのための通過儀礼行事などといった「交際費」にかんしては、かなりの費用を支出しているが、このことから、こうしたさまざまな交際費が武士にとって必要不可欠な「身分費用」であり、下級武士にとっては大きな負担となっていたことを指摘している。また、夫の給料の分配について、親や妻への割り当てがきっちり決定され、また借金をその妻からしていることから、当時の女性が自立した財産権をもっており、そのことによって当時の人々の寿命が短いがゆえに起こりやすい死別、あるいは離婚といった出来事にそなえるという意識が強かったことがわかっている。

 こうした資料から見えてくる、当時の武士の生活ぶりは、ともすると私たちの今の生活感覚をうかがわせる部分も多く、読んでいて非常に興味深いものがあったのはたしかだが、それ以上に、発見された武士の家計簿――当然、現代語訳されているわけでもないその古文書を、私たちにも理解できるように読み解き、丁寧に解説していった著者の力量、そのために使われた時間と労力には、素直に感服せざるをえない。とくに、当時の貨幣基準である「石」や「匁」が、現在どれくらいの価値があるのかだけでなく、現代感覚でどのくらいの値段になるのかを試算した表まで作成する、という徹底ぶりだ。私たちは本書を読むことによって、銭形平次が投げた寛永通宝が何円だったのかまで知ることができるのである。

 著者が発見したのは家計簿ばかりでなく、明治初年の家族の書簡や日記も含まれていた。本書の後半に書かれている、幕末から明治維新にかけて、武士が士族としてどのように社会に適応しようとしていったのか、に関する記述は、この書簡や日記に因るところが大きいようだ。猪山家の男たちは、武士としていわばリストラされた身でありながら、算術という技術を生かして維新政府の海軍へと転職を果たしているが、こうした雇用不安や資産運用、また海軍という花形職に子どもを就かせるための親の教育熱心さなどをまのあたりにするにつけ、たしかに著者の指摘どおり、今の日本がかかえているさまざまな問題に対するひとつの答えが、あるいはこの古文書のなかにあるのではないか、と思わずにはいられない。

 言ってしまえば、たかがある家族の家計簿である。 だが、そのたかが家計簿から、著者は間違いなくひとつの物語を紡ぎだすことに成功した。過ぎ去っていく時間のなかから、思いがけず浮かび上がってきた、ある武士の家族の生き様――けっして歴史の教科書では知ることのできない、その時代を生きた人たちの生の声が、本書にはつまっている。(2004.06.06)

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