【文藝春秋】
『武士道セブンティーン』

誉田哲也著 



 私が新渡戸稲造の『武士道』を読んだのはもう30代も後半にさしかかった頃のことで、武士道がおもに日本独自の道徳観の基盤として、西洋の宗教と似たような役割をはたしているという趣旨に、読んだ当時はなるほどと納得した記憶がある。だが「武士道」が文字どおり、何よりもまず「武士」でありつづけるための道であると解釈すると、その道程はけっして容易なものでないということが、最近になってより深く理解できるようになっている。ここで重要なのは、「何よりもまず」武士であるという点だ。それは当然のことながら、個人が個人であることよりも武士であることを優先するということを意味する。まぎれもない自分自身というものに囚われてしまっている現代の私たちにとって、それは個性を否定することにも等しいものであり、だからこそその困難さが際立つことにもなるのだが、そうした個人の事情に左右されない道徳観というのは、存外今の私たちがもっとも必要としているものではないか、とも思っている。

 そしてあたしにとっての、現時点での「武士道」とは――。
 とりあえずあたしのいる「国」あるいは「藩」である、東松高校女子剣道部に忠義を尽くすこと、なのである。

 ふたりの女子剣道家である磯山香織と甲本早苗――あらゆる面で対照的であるふたりの青春と成長を描いた三部作の二作目にあたる本書『武士道セブンティーン』であるが、前作『武士道シックスティーン』が、ふたりにとっての「武士道」の立脚点であるとするなら、本書はそれぞれにとっての「武士道」を模索するというのが主たるテーマとなっている。とはいうものの、本書の冒頭で早苗は九州への引っ越しが決まっており、前作のように直接剣道で競い合うという展開とはならない。言うなれば、ふたりのあいだには一定の距離が置かれたことになるのだが、そうして距離を置くことで、いっけん正反対のように見えるふたりの歩む道の共通点が強調されることになる。

 別れぎわに「もう剣道はやらないかも」などと言ってしまったものの、じつはその時点で早苗は、剣道においては強豪校である福岡南高校に、他ならぬ剣道のスポーツ推薦待遇での編入が決まっている。それまでいた東松学園高校の女子剣道部とは勝手の違うところもあり、とまどいながらもついていこうとする早苗であるが、次第にその「勝手の違い」は、彼女の考える剣道の意味合いの食い違いから生じていることに気づきはじめる。いっぽう東松学園高校に残った香織は、剣道に対する姿勢はあい変わらずではあるが、あくまで個人が強くなるということへのこだわりは鳴りを潜め、少なくとも部活上では後輩である一年の育成に力を入れるようになっていた。

 本書における香織の姿勢は、東松学園高校女子剣道という団体を強くしていこうという明確な意図があるわけだが、そうした意識は前作における早苗の与えた影響が大きい。それを象徴するものとして出てきたのが、「五輪書」から「武士道」への愛読書の切り替えであるが、同じように注目すべきなのは、むしろ早苗のほうで意識しつつある「武士道」の意味合いである。もちろん、試合に勝つことよりも、むしろ試合をつうじて得られるものを楽しむという剣道に対する姿勢は変わらないが、福岡南高校の目指す剣道は、ひたすらスポーツとして試合に勝つための剣道であり、その象徴として登場するのが黒岩伶那である。

 じつは彼女、香織が今なおこだわりつづけている全国中学校剣道大会の決勝戦での対戦相手であり、まさにライバルという言葉がふさわしい登場人物であるのだが、同じくライバル同士といっていい早苗と香織との関係との違いは、早苗がふたりを比較することではじめて意識することのできるものだったりする。そういう意味で、香織と早苗が別々の高校に通い、お互いに距離を置くという展開が意図されたものだと言うことができるが、その最大の効果は、むしろ早苗自身のなかにある「武士道」を意識化させるという点である。そしてその武士道は、間違いなく香織のもつ剣道を意識したものである。

「あの人の、磯山さんの剣道には、少なくとも、魂があったわ。乱暴だし、滅茶苦茶な人だったけど、それでも……あの人の剣道には、間違いなく、武士道があったわ」

 磯山香織にはあって黒岩伶那にはないと早苗が語る武士道とは何なのか、いまだ戦うということの先が見えていない香織にとっての武士道とはどういうものなのか――「武士道」というタイトルを冠する本シリーズであるが、本書になってようやくその意味するところが見えてきたところがある。それは同時に、本書がたんなる女子の剣道を題材としたスポーツ小説であるという枠組みから、一歩抜け出すことを意味する。じっさい、本書を読んでいくとわかってくることであるが、香織にしろ早苗にしろ、おのおのにとっての「武士道」を実感するのは、剣道の試合のなかではなく、それ以外の場面だったりする。そして同時に思うのは、本書に書かれている武士道とは、香織と早苗のふたりがいてこそ成立する「武士道」であるという点である。

 繰り返しになるが、本書のなかでふたりが直接会う機会は、前作と比べて格段に少なくなっている。だが、にもかかわらずふたりはそれぞれの地で、ふとしたときにお互いのことを考えていたりする。携帯電話がもはやあたりまえのものとして普及しつつある今の時代において、たとえ距離的に離れていたとしても、連絡を取り合うこと自体はけっして難しいことではない。だが、本書のふたりは、それこそ物語の中盤あたりまでなかなか連絡を取り合ったりしないのだ。そこにはなかば意図したものとして、相手と距離を置こうという気持ちが垣間見られるのだが、距離を置きつつも意識するという関係についても、たんなる友だちとは異なった、まさにふたりだからこその関係性だと言うことができる。それをあえて言葉で表現するならば、同じ道を志す同士、ということになる。

 ふたりで進んでいくからこそ見えてくる、独自の道――おそらく次の作品では、お互いの見いだした「武士道」を剣道でぶつけることになるのだろうという予感が大いにしているのだが、今はまだ、ふたりがそれぞれ目指すべき武士道の形がどのようなものとなるのかを、ふたりの精神的な成長とともにぜひたしかめてもらいたい。(2013.05.25)

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