【新潮社】
『ぶっぽうそうの夜』

丸山健二著 



 故郷、ということばを聞いて、みんなは何を想像するだろうか。まず思い浮かぶのは、どこかしらノスタルジックな雰囲気だろう。とくに、地方の出身で現在東京などの大都市で暮らしている人にとっては、特別の意味を持つことばではないだろうか。なつかしい自然、なつかしい街並、子供のころのいろいろな思い出……とくれば、誰でも多少のノスタルジーを感じずにはいられない。あるいはまた、故郷の閉鎖性やその地域独特の風習といったものにあまりよくない思い出を育んでしまった人は、嫌悪感を抱くことばかもしれない。だが、どちらにしろ、小さい頃に生まれ育った土地というのは絶大な力を持ち、たとえ何年も故郷を離れていても、その力からはなかなか逃れられるものではない。

 本書『ぶっぽうそうの夜』という小説は、良くも悪くもそういった故郷――Countryとしての故郷というものを描き切った作品と言える。登場するのは五十五歳で会社を自主退職した男。その男が故郷に戻ってきてからの行動や心理が、一人称でひたすら書かれている。ここで特記すべきなのは、一人称の男以外の登場人物がほとんど登場しないことだ。つまり、ほとんどその男のことしか書かれていないのである。正直言って、読むのが非常に苦痛だ。何が楽しくてオッサンの言動をひたすら追わなければならないのか。読みながら、いったい何人の読者が最後まで読めるだろうか、とそのときは思った。
 だが、よくよく注意して読んでいくと、男一人のことばかりが書かれているわけではないことがわかってくるだろう。男は河の中に飛び込み、木登りをし、釣りをし、蛍や星の光を眺め、そしてさまざまな自然の音に耳をすませる。もし、男のほかに主要な登場人物がいるとすれば、それは故郷の自然だと言えよう。また、それと同時に、その男の家庭をおそった不幸な過去も明らかになっていく。何者かによってむごたらしい最期をとげた妹、激情にかられて、まったく関係ない人を犯人と間違えて殺してしまった弟、そのショックで自殺した母……そしてそんな不幸な出来事に足をひっぱられ、妻とも離婚したあげくに病におかされた男は、自分を不幸にした故郷とのしがらみを激しく嫌い、家族の死に辟易しながらも何かの力に導かれるようにして故郷へと引き寄せられていく。作中で男は何度か故郷から逃げ出しているが、最後には必ず故郷に戻ってきているのだ。
 前者が明としての故郷だとすると、後者は陰としての故郷だ。男は故郷の光と影とに接していくうちに、第二の登場人物とも言える故郷から何らかの答えを得るための行動をはじめる。そして、ぶっぽうそうの声が山に響く。

 ひと昔前のドラマに出てくるの教師のことばを借りるまでもなく、人間はひとりでは人間ではない。人と人が交流することによって人間になる。そしてそこから物語が生まれる。さっきも書いたが、『ぶっぽうそうの夜』はひとりの男と故郷との壮大な交流であり対決であり、その意味で言えばれっきとした物語である。ただ、その対話に興味を持続できる読者がいったいどれだけいるだろう。それに、ラストに持っていくまでの時間があまりにも長い。けっきょくは男の独白のようなものが多数を占めるために、小説世界の時間の流れがどうしても緩慢になる。こうしてあげるとキリがないほど、この小説には欠点が多い。ただし、数ある「故郷をなつかしむ物語」のなかでは異彩を放つものであることに間違いはない。普通に物語を楽しみたいという人にはあまりお勧めしない小説である。(1998.11.14)

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