【新潮社】
『ブレイブ』

グレゴリー・マクドナルド著/安藤由紀子訳 



 アーシュラ・K・ル・グィンという作家の短編集『風の十二方位』のなかに、「オメラスから歩み去る人々」という名の短編がある。そこには、すべての人々が平和で幸福な、そして充実した生活をおくっているユートピアがあるのだが、そのすべての幸せが、じつは街外れの地下牢に閉じ込められているたったひとりの子供の、永遠の孤独と不幸の上に成り立っているものだというパラドックスが描かれており、ひどく衝撃だったのを覚えている。そして、私は考えずにはいられなかった。「もし私だったら」と。もし私がそのユートピアの住人で、その事実を知ったとしたら、私ははたしてどんな行動をとるのだろうか、と。

 私たちが今手にしている、世界全体から見てもけっして低くはない水準の生活が、多くのものの犠牲の上に成り立っていることを、私たちはあまりにもしばしば忘れてしまう。そんな私たちにとって、本書『ブレイブ』もまた、きっと大きな衝撃を与えるに違いない。そして「オメラスから歩み去る人々」を読んだときと同様に、きっと「もし私だったら」と問いかけずにはいられなくなることだろう。

 自分が愛するもののため、大切なものを不幸から救うために、みずからの命を犠牲にする、という行為は、たしかに美談だ。だが、現実問題としてその選択肢が目の前に突きつけられたとき、はたして私たちは、本当に潔く自分の命を差し出すことができるものだろうか? 本書はそうした美談にありがちな虚飾をいっさいはぎとった、生々しい「死」の現実を見せつけることからはじまる。主人公のラファエルは、ネイティブ・アメリカンの青年。打ち捨てられたコミュニティ「モーガンタウン」で、彼の仲間たちは電気もガスも水道もない、想像を絶する極貧生活をおくっている。ネイティブ・アメリカンというだけでまともな仕事にはありつけず、ゴミの山からクズを拾ってきては、わずかばかりの金に換えることで、かろうじて生きているという有様だ。コミュニティの人たち――とくに自分の妻と三人の子供たちの現状を変えるには、大金が必要である。スナッフ・ムーヴィーへの出演は、彼にとってはまさに最初で最後の、大金をつかむチャンスだった。

 スナッフ・ムーヴィーに出演すること――それは、1時間にわたって体を切り刻まれ、恐ろしい苦痛の末に殺されていく自分を撮影されることを意味する。生きながらにして指を切断され、目玉をくりぬかれ、舌をちょんぎられるというその撮影内容を詳細に説明する依頼人の言葉に、私たちは嫌がうえにもその痛み、その死を想像せずにはいられない。だが、その「死」を前にしてなお、ラファエルは出演を決意する。出演料は3万ドル、前金として300ドル、手には落書き同然の契約書。

 不思議なことに、読者はラファエルが、おそらく逃げ出したりすることなく、約束した日には撮影所に向かい、壮絶な死を受け入れるであろうことを少しも疑わない。もし、そこに「仲間の幸せのため」とか「家族の愛のため」とかいった、いかにも手垢にまみれた言葉だけがあるとしたら、おそらく私も彼を疑っていただろう。ラファエルの決断の奥底にあったもの――それは、自分の未来をはっきりとした形で確定したい、という願いのようなものではなかっただろうか。

 ふと気づくと、鏡のなかの自分が笑いを浮かべていた。そのとき、これまで知らなかったことをいまの自分が知っていることに気がついた。――(中略)――いつ、どこで、どうやって……自分が死ぬかということを。

 ラファエルは、気がついたときにはアル中になっていた。「モーガンタウン」を流れるわずかな小川は、油や化学薬品で汚れている。そしてその水を普段から使っている人たちは、次々と病で倒れていく。そうでなくともこの劣悪な環境では医者はおろか、衛生を気にする者さえいない。なにもかも、彼にはわからないことばかり……ただひとつだけわかるのは、自分もまた同じような病で倒れ、さんざん苦しんだあげくひっそりと死んでいくのだろう、ということ。それも「いつ、どこで、どうやって」かはわからない。

 自分自身、そして自分を取り巻く環境が、まったく希望のない、何の価値もないものだと認めるのに充分であるという、およそこれ以上はないという絶望――だが、それでもなお生きていかなければならないとき、その人に必要なのは希望だ。今がどんなに悪くても、先の見通しがあれば希望が生まれ、人は生きていくことができる。逆に先がまったく見えなければ、それだけ希望も薄く、未来への不安も増していくものだ。いつ壊れるかわからない、そしてどれだけもつかもわからない、ガタの来つつある体を抱えた、先の見えない人生と、1時間という限定した激痛のはてに必ず訪れる死と、このふたつを天秤にかけたとき、ほんのわずかな希望のために後者を選び、その確定事項に喜びを見出すことのできる心理――そんな激烈な心の動きを表現できる言葉を、私は知らない。

 前述したように、ラファエルは「モーガンタウン」の未来のため、妻と子供の未来のために死を選ぶだろう。かつて、イエスがみずからの死を予言しつつも、人類のすべての罪を背負って十字架にかかったように、彼も電気椅子に座るだろう。だが、その契約が本当に果たされるかどうかについてなら、私たちはきっと疑いをもつことだろう。ラファエルがあまりにも不当に警察から目をつけられ、ときには無実の罪を着せられたりする様子をまのあたりにしている以上、あの落書きのような契約がはたしてどこまで有効なのか――それ以前に、その気になればいつでも無効にされてしまうのではないか、と疑わずにはいられない。そしてラファエルは、イエスとは違ってけっして復活などしないのだ。

 本書のタイトル「ブレイブ」とは、名詞で「アメリカインディアンの戦士」という意味だが、同時に形容詞で「勇敢な」という意味も持つ。生まれてからずっと先の見えない不安のなかで生きてきたラファエルは、みずから「死」という未来を確定した、という点では、たしかに勇敢であった。はたして、私たちはどうなのだろうか。彼の抱えた底知れぬ不安を、そして自分以外の者のために残された、ほんのわずかな希望にすべてをかける心を、理解できるだろうか。(2001.11.24)

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