【バジリコ】
『ブラバン』

津原泰水著 



 青春時代に何かひとつのことに夢中になるというのは、けっして悪いことではない。中学、高校、あるいは大学時代、社会に対して大きな責任があるわけでもなく、また急いで何かになる必要もないモラトリアムな時代だからこそできることというのは、たしかにある。幸いなことに、私にも夢中になって打ち込めるものが、少なくともひとつはあった。だが、それが私の人生のすべてだ、生涯をかけて打ち込むべきものだと無邪気に信じていたあの頃を思い返すのは、今になっても正直きつい。私にとって、その想い出に目を向けるというのは、自分がいかに無知で世間知らずな甘ったれにすぎなかったかを思い知ることであり、それはけっきょくのところ自身の挫折と敗北の歴史でもある。できることなら、そんな過去はきれいさっぱり消し去ってしまいたいとさえ思うこともあるのだが、逆にそうした過去のすべてがなければ、今の自分もここにはいないということもたしかであり、私はとりあえず、今だけを見つめて生きていくしかなくなる。そして、大人になるというのは、こういうことなのかと実感する。過去の自分に目を向ける今の自分の視線は、なぜこんなにも冷徹で厳しいのだろうか、と。

 およそ恋愛でも趣味でも、何かひとつのことに夢中になると、えてして周囲の事柄に目が向かなくなるものだが、私の場合、そのことを思い知るのは、たいてい同じサークルや部活の誰と誰が交際しているとかいう事実をまのあたりにしたときだったりする。これは私がその手のことについて特別鈍感なのか、あるいは何かに深く打ち込んでいたからこそなのか、正直なところよくわからない。ただ、そうした事実に私がなんとなく裏切られたような感覚をいだいてしまうのは、同じサークルや部活という、同じような目的をもって集まったはずのメンバーが、かならずしも自分と同じような思考や情熱をもっているわけではないという事実を、そこに見出してしまうからだろう。人が自分と異なるというのはあたり前のことであるし、そんな私の当時の感情を嫉妬、恋人のいない者の僻みだととられても仕方のないことであるが、それだけそのサークルや部活が、私にとって特別なものだったということでもある。たとえ、それがひとりよがりなものであったとしても。

 十代の日々を思い返しながら生きるのは自虐だ。スナップ写真のような、テレビCMのような麗しい青春時代を送りえた人が、人類史上に一人でもいるだろうか。まともな知性に恵まれながら、十代の夢はすべて叶ったと高笑いできる大人はいるだろうか。

 本書『ブラバン』というタイトルが意味しているのは、ブラスバンド、つまり吹奏楽のこと。この物語の語り手となる他片等は、かつて県立典則高校の吹奏楽部に所属していた。そして彼が1980年からの高校時代の思い出を語りはじめたのには、それなりの理由がある。同じ吹奏楽部に所属していたメンバーのひとり、桜井ひとみが、自分の結婚の披露宴にかつてのメンバーを集め、何か演奏させるというアイディアを持ち込んできたからだ。

 四半世紀も前の吹奏楽部を再結成する、と書けば、そこに漂うのが過ぎ去った青春時代に対するノスタルジーであることを想像するのは難くない。だが、物語の語り手である他片のなかにあるのは、純粋なノスタルジーへの感傷ばかりではない。そういう意味で、本書が皆本優香の死をその冒頭にもってきているのは象徴的だ。彼女は高校時代、他片を吹奏楽部に引き入れた張本人であり、ブラスバンドとのかかわりの始点となる意味でも、他片にとって特別な存在である。彼女の死は、吹奏楽部の再結成がもとより完全な形で実現することがありえないという事実を、読者に突きつけていると言うことができる。

 高校時代の回想と、40代の中年となったかつての部員たちが、吹奏楽部の再結成のために動き出す現代を行き来する本書の構造は、そのまま他片の心の拠り所の揺れ動きでもある。現在の彼は小さなバーを経営しているが、その経営はけっして良好とは言いがたいものがある。他片の言葉を借りれば、自分を許容してくれる「穴蔵」が欲しかった、ということになるのだが、社会とのかかわりに背を向けるようなその生き方は、かつて音楽に興味津々で、吹奏楽部ばかりか、バンドを主体とする軽音楽同好会にも所属し、夢中になってコントラバスやエレキベースをかき鳴らしていた高校時代の、まばゆいばかりの頃の自分と正逆の位置にある。

 そう、他片にとっての高校時代とは、彼がもっとも輝いていた時代に他ならない。本書のなかに溢れている音楽や楽器に関するさまざまな薀蓄、とくに、1980年代という時代をひときわ強調するかのように繰り返し話題になる当時のニュースは、そうした輝かしくも懐かしい時代をよりいっそう引き立てる装置として機能するが、そんなふうに過去が美化されればされるほど、彼が現在所属している今という時代の厳しい現実もまた、強調されることになる。

 はたして、ブラスバンドのメンバーはどれくらい集まるのか、そして集まったとしても、ちゃんとした演奏をすることができるのか。高校卒業とともに楽器から離れてしまった者も多く、再結成の道はなかなかに険しい。このなかば形の見えない夢が実現するかどうか、というのが本書のメインであることは間違いないが、重点が置かれているのはその結果ではなく、その過程において思い知らされる思い出の「喪失感」である。中学時代からの友人である来生は商社の仕事であちこち飛びまわっていてなかなか連絡がつかず、幾田はその繊細な神経が災いして精神を病み、家にひきこもっている。リーダー格だった小日向は失業中、舞台においてひときわ目立っていた辻は、事故で腕を失っていた。そして他片が一年の時の顧問だった安野志保子は、すでに教師を辞め、不安定な生活をつづけている。皆本優香の死からはじまった本書は、進むにつれて他片がその記憶にとどめていた青春が、どうあっても取り戻せないものであることを強調していく。そしてその喪失感は、彼の過去そのものについても、認識をあらためることを強いる。

 ブラスバンド再結成の当初から、他片はこの夢が実現することはないだろう、となかばあきらめていたところがある。だが同時に、そのために尽力することを止めたりすることもない。登場人物たちにとっての現実は厳しく、たとえメンバーを集めたとしても、当時の面影はそこにはない。失われたものは、永遠に失われたままであるという事実に変わりはない。だが、それでもブラスバンド再結成という夢は動き出した。おそらく、動き出すことそのものが、他片や桜井たちにとって重要だったのではないか。なぜなら、それはいったんは完全に止まってしまい、完全に過去の遺物と化してしまった思い出が、ふたたび息を吹き返すことに他ならないのだから。そして一度動き出した以上、そこにどのような結果が待っていようと、それを見届けなければ、すべては終わらないし、また終われないのだ。

 過去と現在の、自分同士の泥仕合に終止符を打つ方策が、しかしここにあった。双方を連結してしまうのだ。連続させるのだ。バンドを再結成するのではなく、長く休んでいたことにする。そうすればすべてが未完の夢だ。

 他片が担当していた楽器はコントラバスであるが、その楽器とはじめて邂逅したときの描写などは、なかなか印象的だ。だが、じっさいに多くの楽器に混じってしまうと、コントラバスの音は容易にその陰に隠れてしまう。楽器はこのうえなく大きくて目立つのに、その音はあまりにも目立たないコントラバスの担当だった、同じようにパッとしない人生をおくってきた他片にとって、音楽とは、ブラスバンドとは、そして青春とは何だったのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2008.01.13)

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