【太田出版】
『ボックス!』

百田尚樹著 



 それまでできなかったことが、日々の鍛錬や練習によってできるようになっていく、というのは、一種の快感でもある。今でこそ膝の故障で無理はできなくなってしまったが、中学時代に陸上長距離(じっさいには中距離)をやっていた関係で、一時期5kmや10kmといった距離をいかに早く走るか、ということに凝っていたことがある。最初は運動不足解消のためのジョギングという感覚だったのだが、それでも毎日走りこんでいくことで、より長い距離をより短時間で走ることができるようになる。走れば走るほど、鍛えれば鍛えるほど、自分の体がそれに応えて強くなっていくというまぎれもない実感は、それが目に見えるものであるだけに、一度ハマってしまうと走ることそのものが楽しくて仕方がなくなってくるのだ。

 ところで、スポーツにはそれぞれ厳密なルールというものが存在する。それゆえに、ルールを知らないままにスポーツを何気なく見ることと、多少なりともルールを知ったうえでスポーツを観戦するのとでは、その面白さも格段に違ってくるだろうというのは、想像に難くない。もちろん、凄い選手のプレイというのは、ルール関係なしに観客の心を湧かせるものがあるのはたしかであるし、純粋に贔屓の選手やチームが勝つということに執着する、という観戦の仕方もあるとは思うが、ルールを知っていれば、それだけプレイする選手の技量をより的確に知ることができるし、具体的にどこがどう凄いのかもわかってくる。だからこそ、テレビのスポーツ中継などには「解説者」という、そのスポーツの専門家がつくことが多いのだが、じつはスポーツをやってみるというのも、スポーツを観戦するというのも、それまでわからなかったものがわかるようになる、できなかったことができる、という意味では同じような部分があると言うことができる。どちらも、その人の認識する世界をあらため、より広い視野をもたせてくれるものである。

 本書『ボックス!』は、高校で行なわれるアマチュアボクシングを題材にした小説であるが、相手をノックアウトするという、観客にもわかりやすい勝敗を意識しているプロのボクシングとは多少ルールの異なる、けっしてメジャーとは言えないスポーツの魅力を表現するために、本書ではふたりの登場人物の主体を必要に応じて切り替えていく、という方法をとっている。

 物語は、大阪環状線を走る電車内で、マナーの悪い若者五人をたったひとりで颯爽と打ち倒す、というインパクトのあるシーンからはじまる。彼は恵比寿高校に通う鏑矢義平という高校生で、中学からボクシングジムに通い、高校でもボクシング部に入り、活躍がおおいに期待されている人物であるが、そのとき鏑矢の活躍の場に居合わせていたふたつの視点が主体となって、物語が展開していく。ひとつは同じ高校の生徒で、鏑矢とは幼なじみでもある木樽優紀。彼は高校の特進クラスにいる優等生、それも学費免除で入学した生徒で、当然のことながら成績優秀。ただ、ケンカはもちろんスポーツもあまり得意ではないのだが、なぜか鏑矢とはウマが合い、冒頭のシーンでも彼の圧倒的な強さに憧れさえいだいていた。

 もうひとつの視点は、同じ高校の教師である高津耀子で、マナーの悪い若者に絡まれていた人物でもある。彼女は後に木樽をつうじて鏑矢と知り合うが、お調子者で下品なギャグをとばすかと思えば、まるで瞬間湯沸かし器のように頭に血がのぼったりする鏑矢に、当初感じた魅力は崩れ去ってしまう。だが、鏑矢をつうじてボクシングの世界を知ることになったふたりは、あるいはボクシング部の副顧問という立場で、あるいは自身がボクシング部に入部することで、よりその世界に入り込んでいくことになる。そして、それは同時に鏑矢という人物の属する世界に迫っていく、ということを意味する。

 先生も素敵やと思いませんか? あんな風に五人も相手にして、絶対に自分が負けるはずがないって思うこと。もしかしたらそれは錯覚かもしれへんけど、その錯覚を疑いもせずに行動出来る男って、やっぱり素敵やと思うんです。

 三人称ではあるが、あきらかに主体と思われる人物をふたり配することで、物語の核となるボクシングを語るにあたり、言ってみればボクシングを観戦する耀子と、ボクシングを選手として経験する優紀、というふうに、それぞれに役割分担させた本書は、たとえばいかに多くのパンチを相手に当てることができるか、という技術面が重視されるアマチュアボクシングのルールをはじめ、殴りあうといういっけん野蛮な行為のなかにある、じつはきわめて科学的、近代的な技術、厳密な重量による階級分けや事前検査の意味などについては、おもに耀子がボクシング部顧問である沢木をつうじて語ることになり、いっぽうでボクシング部に入部した優紀については、そのハードな練習に苦しみながらも、徐々にボクシングの技術――いかにして相手にダメージをあたえるパンチを出すか、相手のクセをいかに読み取るか、といったことを覚えていくという過程をつうじて、まさにボクシングをすることの楽しみを語ることになる。

 全身がバネのかたまりのようであり、驚異的な運動神経と速さで相手を圧倒する天才肌の鏑矢と、当初は才能などまったくないと思われていたにもかかわらず、不屈の努力の結果として、見事自身に埋もれていた才能を掘り当て、大きく成長していく優紀――その関係は、たとえば佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』における、連と新二の関係にも似たものがある。だが、本書において顕著なのは、なにより優紀の飛躍ぶりだ。

 物語当初の優紀にとって、鏑矢は太陽のような存在だった。あまりに強すぎて、けっして届かない相手――だが半年、一年と経ち、優紀がその独自の才能を開花させていくにつれて、鏑矢との差は劇的なまでに縮まっていき、最後には具体的に彼と戦うことを想定し、負けたくないとまで思わせるほどの成長をとげることになる。しかも、優紀がそこに到るまでの過程はけっしてご都合主義的なものではなく、その努力の様子――ジャブならジャブだけを、ストレートならストレートだけを、一日何千回もくり返すという愚直なまでの練習や毎朝の走りこみ、はじめてマスボクシングをしたときの、なかなか自分の思いどおりにいかないというもどかしさといった部分がきちんと書き込まれている。だからこそその成長ぶりに、私たち読者は素直に感動することができるのだ。

 その一方で、鏑矢のほうにも転機が訪れる。才能だけでは突破できない大きな壁――玉造高校の稲村の存在が、これまで経験したことのない挫折感をともなって、鏑矢の心を折ろうとする。それまで敗北を知らなかった男が心底打ちのめされたとき、そこから何を思い、どう這い上がっていくのか――そういう意味では、いずれもボクシングをつうじて人間の成長を描いた作品であり、このうえなくすがすがしい青春を描いた作品だとも言える。

 本書のタイトルである『ボックス!』とは、試合のときにレフリーが両方の選手にかける言葉のひとつで、「戦え」ということ。そして「ボクシング」という言葉は、まさにこの「ボックス」という言葉から生まれたものでもある。四角い箱のなかで、お互いがまさに相手を打ち倒すために戦うボクシング、そのハードなスポーツを、高校生の青春と結びつけた本書の世界を、ぜひ楽しんでもらいたい。(2009.02.11)

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