【岩波書店】
『脂肪の塊』

モーパッサン著/水野亮訳 



 戦後日本が成し遂げた奇跡的な経済復興は、「一億総中産階級化」とも言うべき、誰もがそれなりに裕福な生活水準のなかで生きていける時代を生み出した。それは逆にいえば、どちらを向いても自分と似たような、平凡な人生を送っている人たちで溢れている、均一で個人的差異のとぼしい世界に生きている、ということでもある。そして私たちは、そうした平凡な日常を、いっぽうでは退屈に感じながら、いっぽうではそこから抜け出ること、あるいはそこから落ちこぼれてしまうことに対して、極度の恐れを抱いてもいる。

 私はあまりテレビを見るほうではないのだが、最近、とくに他人の不幸をネタにするようなテレビ番組が増えているように思えるのは、あるいは私だけだろうか。テレビの普及がもたらしたもののひとつとして、相手の視線をまったく気にすることなく、じっくりと他人の顔を観察することができるということを挙げたのは、南伸坊の『顔』であるが、顔だけでなく他人の不幸な境遇――フィクションではなく、その当人にとっては間違いなく現実の問題である不幸を無遠慮に放映するテレビをまのあたりにして、私たちは必然的に、その人物と自分自身とを比較することになる。この世に自分よりも不幸な人たちが、たしかに存在するという事実――同じ人間でありながら、「自分のほうがまだマシだ」と思って安心する、という気持ちがもしあるとするなら、私たちの中にある「差別意識」というものは、意外と心の奥深いところにまで根づいてしまっているのかもしれない。

 本書『脂肪の塊』は、『女の一生』などの著作で有名な、19世紀フランスの文学者モーパッサンの処女作であるが、本書あとがきにもあるように、その内容は当時のブルジョワ階級に対する社会風刺を色濃く打ち出したものである。そのための舞台として、著者は乗合場所という狭い空間をまず用意する。

 ドイツ軍の占領下に置かれたルーアンを抜け出し、フランス軍のいるル・アーヴルへと向かう乗合馬車の客として、その狭い空間を共有することになった乗客たち――工場主や伯爵といったブルジョワ階級に属する3組の夫婦と、ふたりの修道女、民主主義者の男、そして「脂肪の塊」とあだ名される、ふくよかな体つきの娼婦という、普段であればおそらく顔を合わすことすらないであろう身分の者たちを、ひとつの馬車の中に押し込めることで、彼らの考え方や行動がより顕著なものになっていく。じっさい、馬車の中という、きわめて限定された空間において、誰がどのような身分にあるか、という点は、ほとんど無意味である。そのことを証明するかのように、「脂肪の塊」ブール・ド・シェイフが持ちこんできた食べ物は、身分の貴賎を問わず、空腹に苦しんでいる人たち全員の口を満たすことになるし、上流階級の夫人たちが持ちこんできた携帯用の足暖炉を、ブール・ド・シェイフに貸し与えたりもする。

 長い旅の時間を共有することで、にわかなものとはいえ芽生えてきた、身分を越えた仲間意識――だが、いったん馬車が旅の途中にある町に入り、馬車の中から旅館へと移ると、その仲間意識は徐々に歪んだ形をとるようになっていく。不当に彼らを足止めしているドイツ軍士官を満足させるために、ブール・ド・シェイフがおこなった犠牲的な貢献と、まさにその貢献のために彼女を甘言でもって祭り上げておきながら、再びブール・ド・シェイフを汚らわしい娼婦として蔑むことに、何の良心の呵責も感じないブルジョワ階級の者たちの姿は、たんに当時の階級風刺というものを越えて、どのような場合においても人間を序列づけせずにはいられない卑しい心を見せつけられるようで、どうにも読者を居心地の良くない気分にさせるものがある。

 そう、本書の風刺は、けっして旧世紀の、どこか遠い国の話などではない。上述のテレビ番組の例を挙げるまでもなく、私たちもまた無意識のうちに陥っているかもしれない、「差別意識」に対する風刺でもあるのだ。

 ところで、本書においてブルジョワ階級の者たちが示す「差別意識」は、たしかに同じ人間として居心地の良くないものを感じさせるものであるが、じつはそれ以上に滑稽なものでもある。というのは、そもそも彼らの国そのものが、ドイツ軍という外的要因によって無意味なものとなりつつあるからだ。町を占領したドイツ軍にとってみれば、彼らの身分がどのようなものであろうと、フランス国民である、という点においては同じものである。そのことをもっとも端的に示すのが、馬車の客を不当に足止めさせるドイツ軍士官の存在であり、だからこそ、ドイツ軍士官の気まぐれをどうすることもできなかった身分や階級、肩書きといったものに、あいかわらずしがみついているブルジョワ階級たちの存在は、滑稽であり、また醜悪でもあるのだ。

 脂肪というのは、人間が生きていくうえで必要なエネルギーの余剰の蓄えであり、体内の器官を保護する役割ももっている大切なものであるが、本書のタイトルにある「脂肪」というのは、ブール・ド・シェイフのふくよかな体についた脂肪のことであると同時に、もっと別のものを暗示する言葉でもあるのだろう。それは、一度大戦によってすべてが無となったにもかかわらず、戦前と同じような機構を置こうとする私たち日本人が持つ、悪しき「脂肪」にも似たものがある。はたして、私たちはいつになったら、こうした「差別意識」から自由になることができるのだろうか。(2002.09.28)

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