【プレジデント社】
『だれが「本」を殺すのか』

佐野眞一著 



 あなたは疑問に思ったことはないだろうか。
 なぜ書店に注文した本が手元に届くのに、一ヶ月近くもかかってしまうのか。あるいは一ヶ月以上待ってもけっきょく届かなかったりするという事態が起こるのか。書店の棚でふと見つけた、ちょっと気になる本が、しばらくするとそこばかりでなく、近所の書店からも軒並み消えてしまうのはなぜなのか。書店の店員に本のある場所を尋ねてもわからない、というのはどういうことなのか。なぜ、新刊の点数は増えているのに、買いたいと思わせるような本が以前に比べて少ないのか。また、面白いと思っていた本があっけなく絶版になってしまうのはなぜなのか。そして、読書家にとってはクソにもミソにもならない本が、なぜ世の中の有名な書評家によって絶賛されたり、ベストセラーになったりするのか。

 出版業界全体がどこかおかしくなっている、というのは、本好きな人であればおそらく誰もが感じていることだろう。そして「出版クラッシュ」という名に代表される、出版業界を襲っている危機感について書かれた本は、けっこう多かったりする。私が疑問に思うのは、こうした危機感が本という形で世の中に生み出され、まがりなりにも問題提示されているにもかかわらず、なぜ出版業界は今もなお、根づまりをおこしている現状を打開することができずにいるのか、あるいはしようとしないのか、ということである。

 本書『だれが「本」を殺すのか』は、ノンフィクション作家である佐野眞一が、作家の手がける作品が読者という顧客に届けられるまでに通っていく過程――編集者、出版社、取次(出版流通)、書店それぞれの現状、および地方出版社や図書館、書評、電子出版にいたる、出版業界全体の現状について、あくまで業界内部の力関係から独立した立場で調査し、インタビューを重ねていったものをまとめたものである。けっして業界の一部分だけをピックアップするのではなく、全体の流れについてとらえようとしている点では、むしろ「プレジデント」誌に連載されていた「『本』は届いているか」というタイトルのほうがふさわしいのかもしれないが、本書あとがきにもあるように、本書は単なる業界内部の現状把握と問題提示だけに収まらないボリュームをもって書き下ろされた、非常に興味深い作品として仕上がったと言うことができるだろう。

 私はインターネット上で「褒める書評」を書く「自称」書評家であると同時に一読者であり、また取次という、ほとんどその存在すら知られていないような出版物流通の会社に勤めるSE(システムエンジニア)でもある。ゆえに、本書に書かれている、出版業界という閉じた世界が、一般の商取引の観点から見てもいかにずさんでいいかげんなものであるか、ということについては、とくに目新しいものではなかったが、それでも例えば、大手出版社による報奨金制度(特定版元商品の売上に応じて一定の金額を書店にバックする制度)によって、つまらない本がベストセラーになってしまうという仕組みを知ったときは、書店ごとのその日の売上データから売れ筋を分析する、という行為そのものの虚しさを感じずにはいられなかった。

 だが、本書の魅力は、そうした出版業界の空恐ろしくなるような実情の分析ではなく、むしろ著者がインタビューしてきた出版業界における、良くも悪くも「個性的」な人たちの存在そのものにある。

 業界最大手である紀伊国屋書店の社長であり、「日本出版業界のドン」と呼ばれる長老・松原治の、リアルな世界でつちかったしたたかな戦略、書店の棚編集のプロとして往来堂書店を切り盛りし、その実績を買われて今はオンライン書店「BK1」のコーディネーターを務める安藤哲也、出版業界の「文化人」ぶりをこきおろし、荷物を運ぶというアナログ世界の実績を生かして売上を伸ばしていくブックサービスの木村傑、同じく出版業界では異端児的存在であるどころか、さんざん非難されながらも、人を食ったようなずうずうしさで経営をつづけるブックオフの坂本孝、鋭い洞察力といざというときに迷わない決断力でこれはという作品を宣伝し、ベストセラーを生み出す幻冬舎の見城徹、読者を選別する出版社から脱却し、著者をして「わけがわからない」人物と称させたアカデミー出版の益子邦夫――著者がインタビューを試みた、出版業界のさまざまな場所ではたらく人たちに共通するのは、どのような形であれ、彼らが「本」という商品の最川下にいるのが「読者」であることを意識している、ということである。そして私が感じたのは、たとえばお題目としての「文化」の旗を振るだけでなく、実際に真の「読者」を育てようと試みている今井書店の永井伸和のような人たちがたしかに存在する、ということに大いに力づけられると同時に、そんな彼らが良くも悪くも出版業界では「個性的」な人たちとなってしまうこと自体に、出版業界の制度の疲労と限界を感じずにはいられない、ということなのである。

 本書では、出版業界そのものではなく読者そのものにも焦点をあてているが、著者の考えの根元には、そもそも読者の本に対する意識の低迷というのがあるように思える。実際、読書人口は年々減るいっぽうであり、書店で万引きした本をブックオフで売り払ったり、マンガ喫茶が大流行りするようなモラルハザードの時代は、はたして読者の本離れが引き起こしたことなのか、それとも出版業界の疲弊がそのような読者を生み出す温床となったのか――そんな意識があって、本書は書かれたのではないだろうか。

 かつて、知識人の特権的産物だった新聞が、大正時代になって一気に一般市民にまで浸透したとき、新聞に掲載されてきた小説は、それまで知識人のみに向けられていたいわゆる「純文学」から、一般市民にもわかりやすくて面白い「大衆文学」へとシフトしていったと言われている。それが現代における「純文学」「大衆文学」の区分となったわけであるが、今や世の中に溢れるように生み出されては消えていく本の洪水のなかで、何が面白いのか、何がためになるのかがまったくわからないまま呆然と立ち尽くしている読者の姿が、今の出版業界の現実ではないだろうか。そしておそらく、本書がもっとも指摘したい「出版クラッシュ」とは、他でもない、読者の本に対する意識の崩壊なのだ。

 以前、私が書評でとりあげた『日本に嫁いで11年』の著者の夫と、私はメールで何度か意見を交換したことがあるが、彼から聞かされたのは、「妻が書いた本がまったく売れていない」という、悲鳴にも似た言葉だった。本がしかるべき読者に届かない――それは、本そのものの死を意味する。なぜこんなことが起こるのか、私たちは読者の立場として、一度よく考えてみる必要があるのではないだろうか。(2001.03.09)

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