【白水社】
『人喰い鬼のお愉しみ』

ダニエル・ペナック著/中条省平訳 



 たとえば、本屋で欲しいと思った本を注文することを想定してみる。あるいはリアルな書店ではなく、Amazonなどのオンライン書店で本を注文するというのでもかまわないのだが、注文したさいは「二、三日で届く」と言われていたにもかかわらず、一週間経ってもまだ届かないということになれば、注文した人の怒り心頭に発したとしても、仕方のないことではある。なぜなら、そのお客はたんにその本が欲しいというだけでなく、「二、三日で届く」という情報を加味したうえで、それならお金を払って購入するだけの価値があるという判断のもと、本を注文するからだ。

 モノを購入するさいに、それに支払われた金額に見合わないという思いは、けっして気分のいいものではない。本来であれば無縁であったはずの怒りややりきれなさといった感情は、どこか捌け口を求めずにはいられない。発生してしまった負の感情は、モノに対してお金を払うという行為とは逆のベクトルで、それ相応の対価を要求し、その結果がクレーマーとなって、たとえば販売店に直接怒鳴りこんでいったり、サポートセンターに抗議の電話をかけるという行為へと走らせることになる。だが、往々にして販売店は商品を仕入れて売る場であり、すべての商品についてその品質を保証できるわけではないのも事実である。上述の例でいえば、注文した本が届かないのは、何も本屋の怠慢というわけではないのだ。本屋側からすれば、不当な罵声を浴びせられたわけであり、お客から受け取った負の感情は、けっきょくは注文先の取次か出版社へのクレームという形で引き継がれていくことになる。

 通貨という約束手形でさまざまなモノを交換するという経済の仕組みは、ある意味で今の人間社会の象徴ともいうべきものであるが、それは同時に、支払ったお金に見合わないことが発生したさいの負の感情の流通という、マイナスの仕組みを生み出すことにもなった。生産から販売まで、さまざまな分野のさまざまな人がたずさわることで成立している今の社会において、問題が生じたときの責任の所在を明確化することが困難なことも多いのが現状だ。そんなとき、発生してしまった負の感情は、めぐりめぐって最終的に誰がどのようにして消費していくことになるのだろうか。

「あなたがいかれたスケープゴートの仕事をしているのは、マゾだからだと思っていたのよ、マロセーヌ。でも違う。あなたは一種の聖人ね」

 本書『人喰い鬼のお愉しみ』に登場するバンジャマン・マロセーヌは、パリのデパートに勤めている青年であるが、彼の仕事は商品を売ることではなく、デパートに持ち込まれる客のクレームを一手に引き受ける苦情処理係である。苦情処理といっても、とくに相手の怒りをなだめすかす対話能力があるわけでも、商品の技術的知識が豊富というわけでもない。客がなんらかのクレームをつけるためにデパートに訪れると、上司はバンジャマンを品質管理担当として「お客様ご要望コーナー」に呼び出し、客の前で彼をこっぴどく罵倒してみせる。その途方もない面罵にひどく恥じ入り、深く絶望したあげく、あられもなく泣き出す哀れな姿を客に見せることこそが、バンジャマンの仕事なのだ。

 彼みずからが「スケープゴート」と語るこの仕事は、たんに奇妙な仕事というインパクトばかりでなく、バンジャマンというキャラクターの属性という点でも、また彼の勤めるデパートで起こった連続爆破事件との絡みにおいても、非常に重要な位置を占めている。まず物語の全容から見ていくと、本書ではデパートでの連続爆破事件という出来事が生じ、その時点で必然的に、犯人が誰で、どのような動機があって事件を起こしたのか、あるいはどのようにして爆弾を持ち込み、対象を爆破したのか、というミステリーとしての要素が発生する。

 そして、本書はバンジャマンの一人称によって語られていくがゆえに、彼は今回の事件を解決する探偵役となって、物語を牽引していくことを宿命づけられることになるのだが、彼に与えられたキャラクター属性は「探偵」ではなく、あくまで「いけにえの羊」であるというのが象徴的である。じっさい、連続爆破事件は彼が現場にいるときにかぎって発生しており、そのせいでバンジャマンは有力な容疑者のひとりとして警察から目をつけられることになってしまうのだ。まさに今回の事件においても、彼はスケープゴートという役割を担わされそうになるのだが、バンジャマンも人間である以上、スケープゴートの役割をこのうえなく巧みに演じることができるというたぐいまれな才能はあるものの、そんな損な役回りなど請け負いたくはないというのが本音である。

 繰り返しになるが、バンジャマンは探偵ではない。だが、スケープゴートであるがゆえに、否応なく事件の解明に乗り出さざるを得ないという状況が彼を待ち構えている。そしてそうした自身の立場に対する複雑な思いが、物語全般を通じて算出する、どこか皮肉を含んだユーモラスな語り口へと現われている。じっさい、彼は物語のなかでいろいろなトラブルに巻き込まれたり、逆境に立たされたりする場面があるが、そうしたときにこそ、自身の立場をまったくべつの表現に置き換えて茶化してしまうというユーモアセンスが冴え渡ることになる。

「いけにえの羊」としてのバンジャマンという語り手は、間違いなく本書を特徴づける大きな要素であるが、同じデパートの日曜大工売り場の主任であるおかまのテオや、そんな彼を慕って集まってくる修繕の得意な老人たち、万引き癖のある雑誌社の女編集長や、彼を怒鳴る役を受け持つレーマンなど、彼を取り巻く登場人物についても個性派ぞろいである。とくに、バンジャマンの家庭環境は複雑で、何年かおきに家出をしては、父親の知らない子どもを産んで戻ってくるという母親を筆頭に、星占いに狂っている妹や学校内で爆弾作りをしでかす弟、人食いサンタの絵を描いてばかりいる小さなクララや、交際相手の子どもを孕んでしまってノイローゼ気味の大きなルーナ、癲癇もちの飼い犬もふくめて、じつに手のかかる問題児ばかりであり、連続爆破事件とはべつに、バンジャマンは一番年上の兄として彼らの面倒を見なければならない状況なのだ。

 以前紹介したクリス・バラードの『バタフライハンター』には、なかなかに破天荒な業務内容を天職としている人たちが登場するが、貨幣経済によって生じてしまう負の感情の捌け口――言ってみれば、現代社会の歪みを象徴するような立場が「天職」であるというバンジャマンは、今回の連続爆破事件のこともふくめ、かなりハードな生き方をしており、そういう意味ではハードボイルド的な要素も強い作品である。はたしてバンジャマンの嫌疑は晴れるのか、そして彼の人生に明日はあるのか? その奮闘振りをおおいに楽しんでもらいたい。(2011.06.17)

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