【メディアワークス】
『僕の血を吸わないで』

阿智太郎著 



 たとえば、ちょっと想像してほしい。
 あるのどかな朝に、「遅刻遅刻ー」とか言いながらパンをくわえて駆けていく、ドジでおっちょこちょいで、元気だけがとりえの女子高生の姿を。
 それは現実に考えるなら相当に珍妙な光景なのだが、その女子高生に「ごく普通の」という形容がなされたりするのは御愛嬌だ。おそらく、その「ごく普通の」女子高生はこの後、道の曲がり角で知らない少年と正面衝突し、倒れた拍子にパンツを見られてしまうという醜態をさらすことになるだろう。そしてすったもんだのあげくにギリギリ遅刻を免れて教室に入った彼女の前に、その少年が転校生として紹介されてお互いに驚くことになるのだ。しかも、なぜか彼女の隣には席が空いていて、少年は彼女の隣の席につくことになっちゃったりする。

 これは、某アニメの最終回でもちょろっと使われた、今ではあまりにベタすぎて誰も使えなくなってしまった、少女漫画の王道とも言うべき出会い方のひとつで、この後、女の子が徐々に男の子に惹かれていくというドキドキのラブコメディーな展開が待っていると考えてもらってほぼ間違いない。そして世の中には、リアリティーなどほとんどゼロであるにもかかわらず、さまざまな物語のなかでよく見受けられるがゆえに「お約束」となってしまった展開というものが数多く存在する。

 君は「お約束」が好きか? たとえば高橋留美子の漫画『うる星やつら』のように、鬼っ子宇宙人が空から降って来たり、藤島康介の漫画『ああっ女神さまっ』のように、天界の女神たちが居候したりするような、そんなベタベタな展開が好きか?
 OK、OK。私も好きだ。君は本書『僕の血を吸わないで』を読む資格がある。

 明るさだけがとりえの高校生、花丸森写歩朗(はなまる・しんじゃぶろう)の部屋に文字どおり飛び込んできたひとりの少女――ジルと名乗るその少女は、じつはハンターに追われる吸血鬼だった。人間の血を吸うことで同族を増やしていくという妖怪を目の前にして当惑する森写歩朗だったが、追われ傷ついたジルに同情し、当面のあいだ彼女をかくまうことにする……。

 当然、この後吸血鬼を狩る組織のハンターたちが襲ってきたり、ジルとの同居が周囲にバレないよう四苦八苦したり、ジルの姉や父親(もちろん吸血鬼だ)がやってきたり、森写歩朗に想いを寄せるジルが、そうした感情にはとんと鈍感な森写歩朗にやきもきしたりといった、ハプニングだけには困らない状況がつづくことになるのだが、本書が人間と吸血鬼という、寿命も能力も立場も異なる種族どおしの出会いをあつかっていながら、そこに当然起こるべき悲劇的な要素をまったくといっていいほど感じさせないのは、本書のなかに溢れているコテコテのラブコメディー的な展開とけっして無関係ではない。

 たとえば、女の子の胸を見て大量の鼻血を噴射して倒れるという、超純情少年の「お約束」。
 たとえば、180年近くも生きているくせに、男女の恋愛に関しては10代の少女のようにウブだったりする人外少女の「お約束」。
 たとえば、吸血鬼を狩るという、ある意味冷酷非道な組織でありながら、肝心なところでどこか間が抜けているハンターたちの「お約束」。
 たとえば、ほんのちょっとした誤解がとんでもない噂に発展して主人公を困らせるという「お約束」。
 たとえば、なんだかんだあったとしても、最後には結果オーライですべてがまるく収まってしまうという「お約束」。

 そう、あえて言ってしまうなら、この作品においてジルというヒロインが吸血鬼である必要はまったくないのだ。可愛い女の子という「お約束」さえ満たしていれば、ヒロインが宇宙人であっても、天使や悪魔であっても、ロボットであっても、あるいはただの幼馴染であってもいっこうに問題ない。重要なのはむしろ、吸血鬼なら吸血鬼と決定したキャラクター設定で、どこまで「お約束」の展開ができているか、ということである。

 大塚英志は『キャラクター小説の書き方』という本の中で、いわゆるライトノベルにおけるキャラクターにリアリティーなどなくて当然、ということを述べている。問題なのはキャラクター設定が、物語の要素の一部としてきちんと整合性がとれているかどうかであって、人間としてリアルかどうかではない、というのだ。現実の人間というのはしばしば言動不一致であったり挙動不審であったりすることがあるが、ライトノベルの世界で、たとえば内気な性格の少女が、なんの理由もなく内気とはいえない言動をしたりすることこそが間違いなのである。

 本書は、たとえば小野不由美の『屍鬼』のように、吸血鬼という設定を物語のなかにしっかりと生かしているわけではないし、「ダレン・シャン』シリーズのように、吸血鬼という種族をほぼオリジナルに近いものにまで掘り下げているわけでもないのだが、ただひとつ「お約束」という一点に関しては、間違いなく他の作品の追随を許さない面白さがあると言えるだろう。「お約束」とは、これまでさんざん使われてきた、手垢のついた展開だ。万人ウケするいっぽうで、ちょっと使い方を間違えば、たちまち物語が色あせてしまうという諸刃の剣でもあるがゆえに、最近のコメディーものというと、既存の「お約束」をパロディーにしてしまうという路線が横行しているが、ここまで「お約束」を堂々と繰り広げ、なおかつラブコメディーとして笑えるというのは、ひとつの才能として評価すべき要素である。

 あるのどかな朝に、「遅刻遅刻ー」とか言いながらパンをくわえて駆けていく、ドジでおっちょこちょいで、元気だけがとりえの女子高生――そんな、ベタでもいいから安心して笑えるような物語が読みたい、という人に、本書はオススメする。(2003.11.06)

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