【講談社】
『蒼いみち』

小澤征良著 



 ときどき、自分はこのままでいいのだろうか、という不安に駆られることがある。

 現状の生活において、とくに不満なところはない。会社に就職し、しかるべき仕事をこなし、社内での地位や技術の向上、ひとつの仕事をやりとげたという充実感もある。人間関係も悪くはない。もちろん、なかには面倒なことや気に入らない人間によるストレスもあるが、それはおそらくどこで何をしていても起こりえることだ。給料だって高いとは言えないものの、きちんと月々貰っている。少なくとも今のところ、収入を得る手段を失い、明日の食べ物にも事欠くような生活を強いられているわけではない。

 だがそうした現状から、自身のこれからのことに思いを馳せたときに、本当に今の生活をつづけていくことが正しいのだろうか、という漠然とした不安が頭をよぎる。とくに、古い友人が思わぬ方面で活躍しているという知らせを受けたり、同じ会社の同僚が会社を辞め、新しい会社を起こしたりするのをまのあたりにしたときなどは、漠然とした不安が焦燥感へと変わることさえある。そうした心の揺れ動きは、おそらく自分自身がしっかりと見えていないからこそのものだ。自分が何が好きで、どんな夢をもっているのか、自分が本当にやりたいこと、やるべきことが何なのか――そうしたものがはっきりしていて、その思いに迷いがないというのであれば、人は目標に向けて進んでいくことができる。だがそうでなければ、私たちはあてもなく彷徨いつづけるしかない。そしてその道のりは、もしかしたら同じ場所をぐるぐる回っているだけなのかもしれないのだ。

 本当はどこにいて、どこへ向かっているのだろう。――(中略)――まわりの人たちが進んでいるのに、蠢く世界のなかで自分だけが止まってしまったような。自分が存在していると思い込んでいるのは私だけで、実は自分はここに存在していないかのような。そんなふうに思えてならなかった。

 本書『蒼いみち』に登場する励奈は、南青山にある服飾関係の会社に入社して三年目になる。忙しいながらも充実した毎日を過ごし、金曜日には幼なじみの草野冬彦と行きつけのバー「Far Away」で晩御飯を食べ、そのままのんびりとした週末をおくり、次の週に備える――というのが、彼女の生活パターンであり、それは本人も「うーん別に」と思ってしまうような、なんでもない毎日の繰り返しとなっている。冬彦はあくまで幼なじみであって恋人というような関係ではなく、かといって、他の男との恋愛に発展しそうな出会いもなければ、心弾むような出来事もとくにない。それは、安定してはいるものの、どこか味気ない、何かが欠けているような生活であることを、心のどこかで認めている。

 そんなある日、携帯電話を自宅に置き忘れてしまった励奈が、急遽公衆電話で冬彦に連絡をとろうとしたところ、偶然べつの電話番号にかけてしまい、しかもその留守番電話に、アパートへの道順が英語で吹き込まれているのを聞いてしまう。本書は、そうした思いがけない出来事をきっかけとして、彼女の内でどのような変化が生じることになるかを描いた作品であるが、読み進めていってまず気がつくのは、励奈を語り手とする物語――ということは、彼女自身の物語ということでもあるのだが――の流れのゆるやかさと、励奈という人物のある種の特徴のなさという点である。

 流れのゆるやかさという点で言えば、励奈がしばしば過去を思い起こしている、ということがある。それは冬彦やその母親のことであったり、今はドイツにいる父のことや、小さい頃に肺ガンで亡くなった母のこと、あるいは小学校のころに仲の良かった友人のことだったりするのだが、そのせいで、物語全体の流れが停滞し、なかなか先に進んでいかないような印象を読者にもたらすことになる。だが、それはけっして嫌な感じの停滞ではない。少なくとも、前に進まなければという強迫観念に駆られているわけではなく、どちらかといえば、それが彼女のスタンスという感じが強いものだったりする。

 もうひとつの点については、励奈が自分自身のことよりも、自分の周囲にいる人たちのことをより多く気にかけている、という意味合いがある。じっさい、彼女の周囲にいる人たちは、しっかりとした目標なり信念なりをもって行動しているところがあり、それが人物としての魅力ともつながっている。そのもっとも良い例が草野冬彦だ。雑誌記事の下請け会社に勤める彼は、ずっと前から海外サッカー関連の記事を書きたいという夢があり、本書のなかでその念願がかなってヨーロッパへ行くことになるのだが、そんな冬彦をはじめとする登場人物たちと比較したときに、どうしても励奈の、まぎれもない励奈らしさの希薄さが目立ってしまうことになる。

 そういう意味で、本書の基本的な要素は停滞していること――物語としても、語り手の励奈自身の向かう先としても、しっかりと定まっていないという印象が先行することになる。言い換えるなら、流されるままに生きる、ということになるだろうか。そして、少なくともそれまでの励奈にとって、それがごくふつうの生活であったのだ。たとえ、そのことにふと疑問や不安が浮かんだとしても、日々の仕事の忙しさに埋没してしまうたぐいのものでしかなかった。

 だが、たまたま間違った番号にかけてしまった電話の留守番メッセージが、励奈の「それまで」を変えてしまう。

 英語で吹き込まれた、部屋の鍵の場所まで含めた、アパートへの道順を語るメッセージ――それは、ふつうに考えれば不特定多数の誰かを自分のアパートに引き寄せかねない、おそろしく無防備な行為である。だが逆に言えば、それは励奈にとってはまったくもって無関係の、ただのメッセージでしかない。無視したければいくらでもそうできるし、本来であればそうすべきたぐいのものでしかない。だが、けっきょく彼女はその道順をたどり、アパートまで足を運んでしまう。そしてそれは、本書のなかではじめて、励奈自身が意識して、自発的に行動したことでもある。今まで流されるままに生きてきた彼女だからこそ、このささやかな行動は、非常に重要なものとして物語のなかで生きてくることになる。

 「Far Away」の舟木さんは、語る。

 僕がこの年になってやっとわかったことはね――これは確信しているんだけど――、世の中で一番恐ろしいことは自分で自分の声が聞けなくなる、ということだ。ちょうど若いころの僕みたいにね。

 はたして、励奈はたどりついたアパートの部屋で、何を見つけたのか。そしてそのことによって、彼女のなかの何が変わったのか。人生における転換というには、あまりにもささやかなで地味な出来事ではあるが、そのさりげない変化、心のなかの微妙な変化をきちんと描いていこうとする意思が、本書のなかにはたしかにある。自分がまぎれもない自分であるための、最初の一歩を踏み出した励奈の物語を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2010.01.26)

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