【角川書店】
『青の炎』

貴志祐介著 



 人を殺してはいけない。私たちは小さい頃から、誰にともなくそんなふうに教えられ、また自分でもそのことを受け入れて育ってきた。だが、今「なぜ人を殺してはいけないのか」という子ども達の質問に、大人たちは戦々恐々としているという。

「殺人を許せば社会が成り立たなくなる」というのが、大人たちの本音だろう。それは同時に、「殺されたくないから殺さない」という消極的不干渉の現われでもある。それゆえに、社会そのものを崩壊させかねない「殺人」という行為を、日本の法が「死刑」という形で合法的に認めている、という事実を前にして、日本人は消極的不干渉の名のもとに判断停止をしたまま、深く考えることを避けてきたと言うことができる。だが、それでは今の社会にはもちろんのこと、自分の命にさえ価値を見出すことのできない者たちを納得させることはできない。

 人の命を一方的に奪ってしまう、ということ――だが、全能の神でもない人間が、いったいどうやってその判断をくだすことができるというのだろう。人を殺すのは悪いことなのか? 社会の秩序を乱す者は悪人なのか? 人の命を奪う、という事実は、たしかにあまりにも重い。だが、「死刑」を含む刑法がきちんと機能しているはずのこの日本という国で、なぜ今もなお大勢の人がいわれのない不幸を背負い込まなければならないのか。そして、なぜ今もなお悪賢い人間が裁かれることなく、のうのうと生きつづけているのか? 今の社会は、命の価値のわからない人間と同様に、不幸によってがんじがらめに縛られてしまった者たちにとっても、納得のいく答えを出してはくれないのだ。そう、たとえば本書『青の炎』に登場する、櫛森秀一のような人間には……。

 秀一と、母の友子と、妹の遥香の三人で築いてきた、ささやかではあるが、幸せな家庭――毎晩の夕食は必ず三人でとることを、ごく自然なこととして受けとめることのできる三人の平和な生活は、離婚したはずの父親、曾根隆司が家に転がりこんできたためにメチャメチャにされてしまった。怠け者で酒乱、ギャンブル中毒で女癖も悪いという、最悪の男を絵に描いたような曾根隆司は、家のものを勝手に私有化し、友子からあたり前のように金や酒をせびり、弱い者に暴力を振るうことに何の呵責もいだかない、櫛森家にとっての疫病神、寄生虫のような存在と化していた。警察も弁護士もあてにはならない、頼れるのは自分の力だけであると悟った秀一は、母と妹を理不尽な不幸から守るため、そしてそれまでの平和だった家庭を取り戻すために、曾根隆司の命を「強制終了」させることを決意する。弱冠十七歳の秀一が、その知恵をしぼって編み出した殺人計画「ブリッツ」――それは、かつてないほど奇想天外でありながら、完全犯罪を成立させるための要素をすべて満たした、まさに「電撃作戦」であった……。

 おそらく、目の肥えた読者であれば、最初の数ページを読んだだけでおおよその結末を予想できるのではないか、と思われる。それだけストーリーとしては使い古されたものであるにもかかわらず、不思議なことに私は、ページを繰る手を止めることができなかった。それは、本書をつうじて感じられる臨場感が圧倒的な力となって読者をつかみ、離れることを許さない迫力に満ちていたことを示している。

 ひとつの殺人を計画し、そのための準備を整え、遂行する、という一連の流れ――そのときそのときの状況を、思考錯誤や実験などにいたるまでこと細かに描写し、さらにそのとき秀一の心に宿った、さまざまな感情や葛藤がめまぐるしく変化していく様子を、普段と変わらない高校生活を一方で演出しながら表現することで、読者を容易に秀一の立場へと感情移入させることを可能にした著者の文章に対する力量に、まず驚かされる。しかも、秀一はしたくてそんな決意をしたわけではない。曾根隆司を排除しないかぎり、いつか自分の愛する人達が犠牲になってしまう、というどうしようもない崖っぷちに追い込まれた彼の、いわば捨て身の反撃なのだ。だが本書の、あくまで秀一の目から描かれた世界のなかで展開される一連の悲劇を、もしまったくの第三者の目から眺めることができたとしたら、印象はどんなふうに変化するだろうか、ということをどうしても考えてしまう。それは言いかえると、曾根隆司に対する憎悪が彼を殺人という行為に走らせたのか、あるいは殺人という行為を考えていくうちに、必要以上に曾根隆司に対する憎悪を募らせることになったのか、ということである。

 もちろん、ある耐えがたい事件がきっかけで、秀一は曾根隆司の殺害を決意するわけであり、曾根隆司はどこをどう見ても悪人である。だが、本書はあまりにも秀一に対する感情移入を強くするように書かれたものであるだけに、曾根隆司もまたまぎれもないひとりの人間である、という視点がどこか弱いように思えるのだ。秀一は冒頭から、いかにして曾根隆司を葬ることができるのかを考えていた。そして、曾根隆司の態度に関して何度か考え直すための機会――彼は、ただ金欲しさに戻ってきたのか、あるいはもっと別の理由があったのではないか、という機会も、確かにあった。

 だが、秀一はあえてその思いを振り払うかのように、まるで呪文のごとく曾根隆司に対する憎しみを募らせていったように感じられる。そして、そのような読者の疑問もまた、著者にとってはすでに計算づくであったろうと思われる。それを端的に示すのが、秀一の級友「無敵の」大門が語った言葉だ。

「瞋恚は、三毒の一つなんだよ」――(中略)――「一度火をつけてしまうと、瞋りの炎は際限なく燃え広がり、やがては、自分自身をも焼き尽くすことになるって」

 大門のあだ名「無敵の」という枕は、けっして敵をつくらないがゆえの「無敵」である。もし、彼が秀一と同じような立場に立たされていたら、あるいはもっと違った結末があったのではないだろうか、と思わずにはいられない。

 秀一が心のうちに燃やした憎悪の炎は、激昂に駆られて燃えさかるような紅蓮の炎ではなく、意志のもっとも深いところで静かに、しかしより高熱を発して燃える青い炎だった。だが、一度青い炎を宿してしまうと、高熱であるがゆえにそう簡単に消火することができないばかりか、ちょっとした気のゆるみでも容易に延焼し、あっという間にすべてを焼き尽くしてしまう。青い炎の激情に徐々に支配されていく秀一が、そのラストにおいて選んだ道がどういうものだったのか――たとえ答えがわかっていたとしても、確かめずにはいられない力に満ちた本書の魅力に、ぜひ一度触れてもらいたい。(2000.06.10)

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