【早川書房】
『俺たちの日』

ジョージ・P・ペレケーノス著/佐藤耕士訳 



 友情は、壊すためにあるわけじゃない。約束は、破るためにあるわけじゃない。大切なものは、失うためにあるわけじゃない。

 いったい、私たちはいつから友情や約束といったものに胡散臭い目を向け、信じることを忘れてしまったのだろうか。いったい、いつから価値観は流動的なものとなり、個人の自由という名のもとに、モラルも倫理も無くしてしまった人々の自己中心主義や、未来に何の希望も見出せない閉塞感から生まれた虚無感や、刹那主義が我が物顔で横行するようになったのだろうか。「この世は弱肉強食だ」としたり顔でうそぶく者がいる。なるほど、たしかにそれは食物連鎖で成り立つ自然界における、ひとつの真理なのかもしれない。だが、少なくとも想像力という無限の可能性を秘めた人間として生まれてきた以上、ただ強いだけでは充分ではない。「強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格がない」という有名なセリフは、人間としてあるべき姿の、ひとつの理想の形なのだ。

 たとえ、どんなに時が流れ、時代が移り変わろうと、けっして変わることのない大切なものは、たしかに存在する。本書『俺たちの日』に描かれているのは、たとえどんな逆境に立たされようと、人間として、一個人としてあるために必要な大切なものを持ちつづけることを選んだ男たちの、熱い心の物語である。

 ギリシャ系移民の二世としてアメリカのワシントンDCで生まれたピート・カラスは、幼い頃から同じ街に住むジョー・レセボやジミー・ボイルたちと、人種や民族の違いを超えた友情を育んでいった。けっして裕福なわけではなかったが、気のおけない仲間たちと笑いあって過ごした、輝かしい少年時代――だが、折しも勃発した第二次世界大戦、そしてアメリカの参戦は、ピートたちの人生に大きな影を落とすことになる。国という見えないもののために命のやりとりをする戦場から命からがら生還したピートは、、心にわだかまりを抱えたまま、友人のジョー・レセボとともに地元のギャングであるバークの手下として、高利貸しの利子取り立てや移民へのみかじめ料の請求といった、やくざなことをやりつづけていたが、そこにはバークの幹部として出世することを望んでいるジョーの思惑があってのことだった。
 金と友情、出世と名誉――はっきりと後者のほうに重きを置いているピートと、前者と後者のあいだで揺れ動いているジョーとの関係は、ほんのちょっとしたすれ違いを経て、ある日を境に決定的な破綻を迎えることになる。

 それから二年後、ペンシルバニア州から行方不明になった姉を探すためにワシントンにやってきたマイク・フローレックは、ギリシャ系移民であるニック・ステファノスが経営するレストランで働きつつ、姉を探しつづけていたが、この見知らぬ街で、娼婦となってしまったひとりの女を探し出すには、マイクはあまりに無力だった。そんな彼に手を差しのべた、一人の男がいた。それは、ジョーの裏切りによって片足を再起不能にされ、ニックの店でコックとして働いていたピート・カラスその人だった。

 ハードボイルド小説というと、徹底して主観を廃し、暴力や殺人といった血なまぐさい行為を冷静な――ときには冷徹とさえ言える視点で淡々と語りつづけるようなものを思い浮かべるかもしれない。実際、本書のなかでは太った女性を刃物で切り裂いて殺すという連続猟奇殺人が起こっており、警察官になったジミー・ボイルが刑事への出世をその犯人逮捕にかけるという一幕もある。またピート・カラスという人物を見ても、俳優のような容貌でありながら、粗野でニヒルな一面をもち、妻や子供のある父親であるにもかかわらず、別の女を口説いて夜をともにしたりする節操のない人間だったりするのだが、彼の心はけっして冷たいわけではない。少し厭世的で、自分の思いや感情をうまく言葉に表すのが苦手なピートは、しかしその心にけっして曲がることのない信念の炎を燃やして生きる、私たちが忘れてしまって久しい「男らしさ」「潔さ」を持っている人間なのだ。

 ジャック・ヒギンズが書いた『鷲は舞い降りた』に登場する、ドイツ落下傘部隊のシュタイナは、約束を守ったり、友人を助けたりするということが、自分の名誉であると告げているが、彼と同じ心を、ピート・カラスもまた持っている。姉のために田舎から出てきて苦労しているマイクに惜しみない助力を注ぎ、ニックの店にバークの手が伸びてきたときは、ギリシャ系移民の意地を見せるために立ちあがったニックたちとともに戦う決意をする彼の姿は、ひきずるようにしか歩けない無様な外見とは裏腹に、非常に凛々しく、格好良い。また、結果的にピートを裏切ることになってしまったジョー・レセボも単に嫌な奴というわけではなく、彼なりにピートを助けようと危ない橋を渡ることを厭わず、しかもそのことをけっして口にしないばかりか、自分がやってしまったことについていっさい言い訳をしないという、彼なりの男らしさを見せる一面がある。

 腫れた拳をさすりながら、いま足を引きずって帰っていったカラスのことを、フローレックは考えた。自分の影より人間の大きな男、それがピート・カラスだ。そしてカラス自身は、そのことに気づいてもいない。

 本書の大きな特長のひとつとして、第二次世界大戦が戦勝国であるアメリカに与えた影響、というものがある。私たち日本人が、敗戦から五十数年を経て多くの貴重なものを無くしてしまったように、アメリカ人もまた、人間として大切な何かを見失い、何を信じて生きていけばいいのか思い悩む姿が、本書のあちこちに垣間見ることができる。兵士として戦場に立ち、自分たちと同じ人間であるはずの敵兵を撃ち殺すことが国の名誉になるという、歪んだ価値観と矛盾と判断停止が支配する戦争――移民として、よそ者の子供として、さまざまな種族や民族とあたり前のように友達となっていったピート・カラスにとって、その戦争が想像以上に彼の心に大きな影響を与えたであろうことは、容易に理解できるだろう。そう、ピートが時に、どんなにぶざまな姿をさらそうと、たとえ死ぬことになるとしても、あくまで自分の信念を貫こうとする背後には、戦場において自分が自分であるぎりぎりの境界線をさまよった自分の魂を、人間としてつなぎとめるための手段だったのではないだろうか。

 私は海外のハードボイルド小説について明るいわけではない。だが、その手のジャンルの優れた作品が海外、とくにアメリカで多く出版されているというのもまた事実である。たとえば弱い者を守るとか、約束は破らないとか、友人は助けるといった、ごく単純な――しかし私たちの多くがどこかに置いてきてしまった美徳を重んじる人物を登場させ、その信念を貫くさまを硬派に描くことが真のハードボイルドであるとするなら、それはまさに、アメリカが見失ってしまった人間として大切なものを取り戻そうとする行為に他ならない。そういう意味で、本書に登場する連続猟奇殺人犯は、同じ人を殺すという行為をおける、ピートたちとの対極に位置するものであり、その犯人が誰なのか、その事件がピートたちとどのように絡んでくるのかも、ひとつの読みどころであると言えるだろう。

 ピート・カラスとジョー・レセボ――かつて親友であった彼らのなかで止まってしまった時間は、はたして再び動きはじめるのだろうか。バークに目をつけられたニックの店の末路は? そして連続猟奇殺人犯はいったい誰なのか? 本書に登場する男たちの熱いドラマは、きっとあなたを虜にするに違いないと断言しよう。(2000.10.10)

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