【東京創元社】
『BG、あるいは死せるカイニス』

石持浅海著 

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 人間社会が常に価値あるものの贈与と往還、それも、二者のあいだでピンポンのように行き来するのではなく、誰かから別の誰か、さらに別の誰かへと交換していくことで、価値あるものがけっしてひとところでとどまることなく流通していく仕組みで成り立っていることを看破したのは、文化人類学者のレヴィ=ストロースである。そのもっともわかりやすい例が経済活動で、これは通貨という約束事が「価値あるもの」として、物やサービスとの絶え間ない交換によって社会を流通していくことになるのだが、これを同じような構造が、親族制度における女の交換という形であてはまることを彼は見抜いている。そう、女は子どもを産むという再生産の能力ゆえに、人間社会をたえず変化させていくために必要不可欠な「価値あるもの」として社会的に構造化されている、というものである。

 ところで、女性を通貨などといったものと同質の「価値あるもの」とくくってしまうことの是非は置いておくとして、この考えに基づく女の価値というのは、あくまで人間社会が存続していくために与えられたものであって、そこにはひとりの個人としての価値ははなから無視されてしまっている。そしてこうした社会的な価値というものは、その価値の対象となったものの物理的な束縛から、完全に自由となっているわけではない。たとえば、もし通貨という価値の物理的な形となっている貨幣や紙幣が、誰にでも簡単に生み出すことができるとすれば、その価値はあっという間に暴落してしまう。ゆえに貨幣や紙幣はその国によって管理されているし、その偽造行為には重い刑事罰がともなうわけだが、ある社会における女性の相対的な数が圧倒的に異なっていたとしたら、女性に与えられる社会的な価値についても、当然変化が生じることを避けることはできなくなる。

「でも、それって変じゃんか」菜穂子が首を振った。「レイプって普通、女が集団で男を襲うものでしょ? その逆なんてあるの?」

 本書『BG、あるいは死せるカイニス』は、いっけんするとよくある学園もののミステリー ――主人公の通う高校で殺人事件が起こり、その犯人をつきとめて真相を解明するミステリーという形をとっているが、読み進めていくうちに、私たちは本書の世界に対して大きな違和感をもつことになる。その違和感のもとになっているのは、人間の生物学的な性差の概念であり、それが上述のセリフにも表われているのだが、本書の世界では、全人類が生まれたときは全員女性であり、成長するにつれて、そのなかの特に優れた個体が男性へと性転換するという仕組みのうえに、人間社会が成り立っているのである。

 こうした、きわめて特殊な状況下におけるミステリーは、たとえば松尾由美の『バルーン・タウンの殺人』でおいてもそうであったように、その特異性が謎解きにどのような形で絡んでくるのか、という点がキモとなってくるのだが、本書の場合、私たちがリアルで用いている言葉の意味との差異を際立たせることで、いっけんするとありきたりな事件であっても、そこに私たちが想像もしないような別の意味をもたせるという斬新がある。男性が女性の四分の一しかいない社会、女性のなかでとくに優れた個体が男性化するという、男性であることの価値が極端に高い世界においては、「レイプ」と言えば女性が男性を襲うという意味の逆転が起こってしまう。

 一人称の語り手である船津遙の姉、西野優子は、真夜中の高校の裏庭で、首を絞められて殺されていた。着衣の乱れなどから、誰かにレイプされかかった形跡はあるものの、警察の所見によれば、遺体にその痕跡はなかったという。そして優子が殺された夜は、何年ぶりかの大流星群が観測できる日で、天文学部元部長の彼女もまた、他の部員たちとともに学校の屋上で観測活動をする予定だった。容姿端麗、文武両道、にもかかわらず常に向上心を忘れることなく努力ができて、しかも誰からも慕われる性格――学内では男性化候補の筆頭と誰もが認めていた、優れた姉の死は、遙の心に大きな衝撃を残したが、同時に、生前の姉には自分には知らない大きな秘密があったらしいことにも気づく。彼女に接してくる警察、学校関係者、ジャーナリストたちが、まるでその秘密を遙が握っているかのようなそぶりを見せるのだ。

 殺人事件の犯人が誰で、その動機は何なのか、というのは、ミステリーにおいて外すことのできない命題ではあるが、本書のなかで図らずも探偵役を担うことになる遙は、その命題への直接的なアプローチではなく、「優子の秘密」という側面から迫ることになる。いったい生前の優子は、どんな秘密とかかわっていて、何をしようとしていたのか――この展開の秀逸な点は、一介の高校生が犯罪捜査のプロである警察を出し抜いて事件を解決するという、およそリアルではありえそうもないシチュエーションを巧みに避けつつ、しかしミステリーとしての謎解きという興味を維持したまま物語を進められることにある。しかもその謎の核となる部分は、本書の世界観そのもの、つまり女性が男性に性転換する人間社会の制度の問題へとつながっている。繰り返しになるが、そこは特殊状況下におけるミステリーのキモとなる部分だ。

 すぐれた人間になるには、精進が欠かせないでしょう。それは男も女も同じこと。それなのに世間は、男に関しては、男になったというだけで、優秀さを要求してしまう。生物として優秀なのと、人間として優秀なのは別なのにね。

 レヴィ=ストロースが看破したように、人間社会において真に価値があるのは女性であり、男性は基本的には価値がない存在である。強靭な肉体を有してはいるものの、平均寿命からもわかるように、病気などの抵抗力は女性のほうが高いとさえ言われており、生物学的にも優れているとは一概には言えない。だが、本書のなかにおける男性という性は、社会的にも生物学的にも「優秀」だと見なされている。そして彼女たちの言う「優秀さ」というものに目を向けたときに、たとえば「背の高さ」や「健康」といった、私たち読者があまり意識していない要素が含まれていることに気づく。

 はじめから男女の性が確定した状態で産まれてくる世界と、女性のなかから文字どおり「選ばれた者」が男性に変化する世界において、その価値は大きく異なってくるわけだが、同時に、人間が人間社会のなかで生きていく生き物であるかぎり、その社会構造の影響からは逃れられない。語り手である遙が最終的にどうやって事件の真相を解き明かしていくのかも含め、その特異で、しかしよく練られた世界の構造をぜひ楽しんでもらいたい。(2012.06.17)

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