【新潮社】
『誰がために鐘は鳴る』

アーネスト・ヘミングウェイ著/大久保康雄訳 



 人はともすると、ほんのささいな理由で他人と諍いをおこし、ときに相手の命を奪ってしまったりする生き物であるが、そのいっぽうで理性をはたらかせ、合理的な判断のもとに行動していくこともできる。どんなときでも理性的に生きていきたいと望みながら、あふれ出てくる感情の波にどうしても逆らえなかったりする経験には事欠かない私であるが、そんな私がもし戦争に巻き込まれ、人を殺さなければならないような立場に立たされたときに、はたして自分の理性がどれだけまともに機能するのか、考えただけで空恐ろしくなってくる。

 戦争が愚かな行為であることを承知していながら、なぜこの世界に戦争や紛争が絶えないのかを考えるのは、非常に難しい。逆に言うなら、私たちは戦争がけっして普通のことではない、このうえなく異常な状態であるという認識をもっているということであるし、そういう認識をもつことができるのは、打海文三の『裸者と裸者』を挙げるまでもなく、きわめて幸福なことなのだろう。そして、だからこそ戦争という異常な状態のなかで、それでもなお理性を保ちつづけていくことが、どれほどたぐいまれなことなのかを考えずにはいられない。なぜならこういうときにこそ、人間の真の気高さ、真の人間らしさというものが、際立ってくるものだと思うからだ。

 世のなかには、どうでも出さなければならぬ命令というものがあるのだ。しかし、それはだれの罪でもない。一つの橋があり、その橋が、人類の未来を決定する分岐点になるということもありうる。ちょうど、この戦いで起るあらゆることが、そうであるように。

 1936年に勃発したスペイン内戦に義勇兵として参加したアメリカ人青年ロバート・ジョーダンを主人公とする本書『誰がために鐘は鳴る』は、文庫本で上下巻、ページ数では800ページを超える大作であるが、作中を流れる時間は約四日間と非常に短い。人民政府軍の兵士として、ファシスト軍の列車を爆破するといった任務をこなしてきたロバートに今回課せられたのは、敵の戦線上にある鉄橋を爆破すること。ファシスト軍への総攻撃の要ともいえる今度の任務のために、彼は山中の洞窟を根城とする地元民ゲリラたちの力を借りることにしたが、そこで出会ったマリアという若い女性と深い恋に落ちてしまう。

 ある種の極限状態における男女の恋を描いた作品とも、敵の詰所を襲撃し、鉄橋を爆破するという困難な任務をどのように遂行するかを描いた作品ともとることができる本書であるが、それらはいずれも本書の一側面でしかない。そして、そのいずれかを語るにしても、けっしてはずすことのできないキーワードとして「戦争」がある。ここでいう「戦争」とは、同じ人間でありながら、敵と味方にわかれて殺しあうという、けっして正常ではない、そして非常に生々しい行為のことであり、そうした状態にかかわることになった――あるいは巻き込まれてしまった者たちが何を思い、何を考えているのかという点について、本書はかなり踏み込んで書き込まれている。それゆえに、作品内では四日間というきわめて短い時間であるにもかかわらず、きわめて濃密な内容が凝縮されている。

 私がよく知る戦争といえば、太平洋戦争における日本の戦争であり、そこでは徴兵令によって一般市民が兵士として駆り出されたり、市街地に毎日のように敵の爆撃機が襲ってきたりといった、悲惨を絵に描いたようなものだ。個人の自由を精一杯謳歌できるはずの若い時代を、戦争という理不尽な運命によって裂かれてしまうというのは、文字どおりの悲劇であり、そんな極限状態だからこそ、ひとつの恋愛もまた際立ってくる。本書におけるロバートとマリアの恋愛感情についても、それと似たようなものがあるのは事実だ。だが彼には、義勇兵として自らの意思で戦争に参加しているという事情がある。しかもスペイン内戦については、反乱軍にイタリア・ドイツのファシズム勢力が加担しているという事情はあるものの、基本的には国内の内乱であって、アメリカ出身のロバートがその戦争に参加するためには、それ相応の意思の強さと覚悟が必要であったことは、想像に難くない。

 本書を読み進めていくと少しずつ見えてくることであるが、ロバートは今回の戦争について、人間の自由と尊厳を守るための戦い、言ってみれば彼なりの正義のための戦いという位置づけをもっている。そして、だからこそこの戦争において何より大切なのは、自分が味方している人民政府軍が勝利することであるという認識をもっている。戦争において、個人がまぎれもない個人である必要はない。あくまで戦争に勝つために、自分に課せられた義務をきちんと果たすことこそが重要である、という認識は、きわめて理知的なものであり、ロバートの行動理念の根底を成すものでもある。だが同時に、リアルな戦争――自らの意思で敵側の人間を殺し、血なまぐさい前線での戦いに身をとしてきたロバートにとって、現実はかならずしも正義のための戦いと割り切れるものではないことも、充分すぎるほどわかっているのだ。

 この作品において、ファシズム勢力の力を借りて内戦をつづけている反乱軍は悪であり、打倒されるべきものという扱いであってもおかしくはないし、そのほうが物語としては盛り上がる。だが、本書はそうした勧善懲悪的なものの見方を注意深く避けているところがある。じっさい、ロバートの味方となる地元民ゲリラたちは、ファシズムを支持する市民を一方的に虐殺したという過去があるし、人民政府軍のなかにはびこっている、ある種の醜い勢力争いや権威主義についても、丁寧に書き込んでいる。それは、戦争においてどちらの側が正義であるという見方をするべきでないという著者の思想の表れだとも言えるのだが、ここで重要なのは、「正義のための戦い」という理念のもとに義勇兵となったロバートにとって、真に信じるべきなのは何なのか、という命題である。

 戦争に勝つのは、何よりも優先すべき至上命令だ。そして、ロバートがこれまでこなしてきた任務や戦闘は、すべてその至上命令をはたすためのものであるという認識こそが、これまでの彼を支える柱だった。だからこそ、彼は戦争のなかにおいて感情に左右されない行動をとることができていた。負傷した味方を敵側に捕らえられる前に射殺することも、任務を果たしたあとに、彼を手助けしたスペイン人たちがファシズム軍の報復に遭い、命を奪われたと知っても、揺らぐことのない信念――それが、死よりも任務をはたせないことを怖れると語るロバートの正義である。だが、くりかえしになるが、いっぽうでその信念や、信念に支えられた自身の行動のすべてが、本当に正しいことだったのか、という一抹の疑念があったことも否定できない。

 その疑念が明確な形でロバートに迫ってくるきっかけとなったのが、マリアとの出会いであり、そこに生じた激しい恋心である。そして、上述のような事情を考慮したうえでふたりの恋愛をとらえたときに、たんなる恋愛小説としては終わらない、より深遠なテーマが見えてくることになる。

 鉄橋爆破はなんとしてもはたしたい。だがそのために、マリアの身に危険がおよぶことも避けたい。そうでなくとも、この戦争がマリアに多くの不幸をもたらしてきたことをロバートは知っている。そう、正義とか信念とか以前に、戦争とはきわめて愚かしい行為であるが、だからといってすべてを放り出すわけにもいかない。この強烈な二律背反のすえに、はたしてロバートが何を決意し、どのような行動をとることになるのかが、本書の読みどころであることは間違いない。

 それが、おまえの全生涯のすがたなのだ、現在が。現在よりほかには何もないのだ。――(中略)――ただ現在があるだけであり、もしその現在が、わずか二日間しかないのだとすれば、その二日間が、おまえの人生であり、そのなかのいっさいのことは、その割合で存在するのだ。

 戦争という人間のもっとも醜い一面と、恋愛、それも、自分の全生涯をかけられるほどの激しい愛情と、さらにはそれを超えて、きわめて理知的でこのうえなく気高い精神と、そんな人間たちを見守るかのような自然――本書はまさに、人間と、その人間が生きる世界を濃密に描き出した作品であり、だからこそ私たちは、そこから自分たちの生について、思いをはせずにはいられなくなる。私たちが本当に信じるべきこと、信じなければならないものを、ぜひともたしかめてもらいたい。(2011.01.09)

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