【角川春樹事務所】
『晩夏光』

池田久輝著 

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 ハードボイルドの魅力とは何かと問われれば、私は「やせ我慢の美学」と答える。まっとうな人間社会からは一定の距離を置き、あくまで個人の力のみを頼りに生きる一匹狼、というのがハードボイルドの主人公に付随する一般的なイメージであるが、彼らはかならずしも個人としてものすごい能力やスキルをもっているというわけではない。仮にそうした力をもっていたとしても、こと人間関係においては不器用な性格の持ち主であることがほとんどだったりする。そしてその不器用さゆえに、自分にかかわりをもった人たちが不用意に傷ついたりすることにことのほか敏感であることも共通点のひとつである。

 人間社会において、人との関係性はもっとも重要なもののひとつだ。人はひとりでは生きてはいけない。だからこそ人は誰かを頼ったり、逆に誰かに頼られたりして生きていくことになる。場合によってはそのことで不利益をこうむったり、あるいは誰かを裏切るようなこともありえるのだが、そうした人間関係の摩擦に対する、ある種の鈍感さを維持することがどうしてもできなくなった人たちが、ハードボイルドの主人公となる資質をもっているということになる。

 彼らの職業の代表格が「私立探偵」であるのも、それが完全に個人の責任においてなされる職業であるからというのが一番の理由だ。たんに事件を解決するという目的を達成するのであれば、組織力にものを言わせる警察に勝るものはない。だが警察は国家の組織であり、そこには本質的に個人の資質の入り込む余地はない。言い換えるなら、個人を犠牲にして実をとるということを許容する、ということでもある。この性質は警察にかぎらず、ある程度の組織であれば多かれ少なかれもちうるものであるが、その対極に位置するのが「私立探偵」であり、ハードボイルドの主人公たちは、組織にいれば他の誰かが蒙るべきマイナス要素を一身に請け負うことを選択するという意味で、「私立探偵」となる道をとるのだ。

 今回紹介する本書『晩夏光』は、私立探偵が活躍するような話ではない。だが、生きるということに対してことのほか不器用な人たちの物語であるという意味で、本書はハードボイルド的な要素を多分に含んだ作品だと言うことができる。

 生まれて初めて銃声を聞いた。いやに乾いた、あっけない破裂音だった。そのくせ、残響はいつまでも耳を震わせる。本当に弾丸は発射されたのだろうか。疑問に思うほど軽い一瞬の爆発だった。

 こんな新田悟の述懐からはじまる本書の舞台となっているのは、香港の九龍半島。世界有数の密集地帯となっているこの雑多な街で、悟は裏家業の元締めである陳小生の「足」として働いている。香港の観光客を相手に、彼らのかかえるさまざまなトラブルを解消してやること――より具体的には、スリによって盗まれた財布や土産物などを探し出し、依頼主の手に取り戻してやるというのが彼らの生業であるが、じっさいにはスリ側、土産物屋側、回収側の三者がある種の同盟関係にある香港だからこそ成立する、違法スレスレのビジネスである。このあたりの三者の関係性を言葉で説明するのはなかなか難しいのだが、上述の引用に出てくる乾いた銃声は、その関係性を象徴するものだ。

 発砲したのは陳。相手は悟と同じ「足」である劉巨明。その理由は巨明の逸脱行為であるが、しかし弾丸は彼の体にではなく、上空に向かって放たれている。本書を読み進めていくとすぐに気づくことであるが、陳はいくつもの裏家業でのし上がってきた人物で、その影響力は香港においてあなどることのできないものとなっている。当然のことながら、自分の配下にある者たちの暴走には厳しい目を向けなければならないし、それを察知できるだけの手段と、それを自身の責任で裁くだけの非情さを併せ持ってもいる。逆に、そうでなければ裏社会において舐められるだけであることを、陳は誰よりもよく知っている。

 にもかかわらず、本書冒頭において陳はあくまで銃を脅しのためだけに使用した。それは彼が巨明の逸脱行為について、そうしなければならないだけの事情というものを把握していただけでなく、心情的にはなんとかしてやりたいという思いすらあったことを意味している。けっして厳しい掟や恐怖、あるいは力によって支配や強制をしているわけではない、だが、必要であればそうすることをためらわないという姿勢はけっして崩さない――そこには、本来はきわめて「私立探偵」的気質の持ち主である陳の、それでも組織を率いる者として非情でありつづけなければならない立場に不本意ながらいるということの不器用さがあり、また彼なりの不器用なやさしさがある。そしてじっさい、陳は悟が自分の立場を表すのにもちいる「足」という表現を快く思っていない。

 この微妙な人間関係は、悟のビジネスを成り立たせている失せ物さがしの、スリ側、土産物屋側、回収側の関係についても同じようなことが言える。けっして強要しているわけでも、また明確な契約に基づいているわけでもないのだが、ある種の不文律として三者がわきまえている関係性――それはある意味で非常に危ういものがあるのだが、他ならぬ劉巨明が他殺死体で発見されるという事態によって、その微妙なバランスに乱れが生じてしまう。もちろん、殺したのは陳ではない。だが、単純な殺しというわけではないというきな臭さは、悟の周囲においても敏感に察せられるものがある。そして、しばしば悟以外の登場人物の視点で語られる、二年前のある出来事が、物語の謎をさらに深めていく。はたして、巨明を殺したのは誰で、どんな目的がそこにはあったのか。そしてこの殺人事件は、二年前の事件とどのようなつながりをもっているのか。

 本書に登場する主要人物たちは、悟にしろ巨明にしろ、あるいは土産物屋の店主である黄詠東や葬儀屋の許志倫、悪徳刑事の羅朝森にいたるまで、いずれも人間社会を生きるうえである種の不器用さを抱えた者たちだと言える。彼らはいずれも、物事を割り切って考えることができないか、自分ではそう思い込んでいるだけだったりするかのいずれかだ。とくに後者の代表格が陳であるが、彼らの生きる裏社会の厳しさは、一匹狼として生きることも、あるいはまっとうな人生を送ることも困難なものとして立ちふさがってくるようなところがある。彼らは容易に自身の弱さを人に見せることはない。香港という場が、彼らにそれを許さない。だが、そうした人間の弱さを無碍に否定することもない。そうした生き様が、本書のなかにはたしかにある。

 ハードボイルド小説では、主人公の孤軍奮闘の甲斐もなく、しばしば手遅れになったり、取り返しのつかない事態をまねいてしまったりすることがある。そして主人公は自身の無力さを、ただじっと耐えることしかできない場合がほとんどだ。はたして本書では、いったいどのような真実が登場人物たちを翻弄することになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2014.02.04)

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