【東京創元社】
『バルーン・タウンの殺人』

松尾由美著 



 これまでの人生のなかで、自分が将来どんな仕事をしたいのか、ということについて何度か考えさせられたことがあるが、大学四年生になり、就職活動を本格的にはじめなければならない時期になっても、なお漠然と「サラリーマンにはなりたくない」という意識が、頭のどこかではたらいていたことを覚えている。もちろん、当時の私にとっては真剣だった将来の夢をかかえており、それが会社勤めとはなかなか相容れないものであったというのもあるが、それ以前に私のなかに、「サラリーマン」という単語がもっている一般的なイメージ――たとえば、通勤ラッシュの凄さや、組織の歯車でしかないつまらない仕事内容、社内の上下関係や居丈高な取引先との付き合いなどに気を配らなければならない等、けっしてトレンディーとは言えない、どこか無個性で搾取されているかのようなイメージを、漠然といだいていたことも事実である。だがよくよく考えてみれば、世の「サラリーマン」のみんながみんな、同じふうに疲れた顔してはたらいているわけではなく、業種や職種によってじつに多彩な役割分担がなされているし、仮に同じ会社の同じ部課に配属されても、その仕事にやりがいを感じていれば自然と充実した表情になるし、やりがいが得られなければどんな仕事もつまらなくなってくるはずである。

 人間ひとりひとりに個性というものがある以上、ひと口に「サラリーマン」と言ったところで、けっして同じようなイメージではとらえられないというあたり前の事実があるはずなのに、いつのまにか私たちは、どこから発生したのかもはっきりとしないイメージをあてはめて考えてしまうところがある。それは「サラリーマン」だけの話ではなく、「不倫」とか「シングルマザー」、「恋愛」、「家族」など、それこそ数え上げればキリがないほど、私たちはそうした言葉の大衆的イメージにとらわれて生きていて、いつのまにか「これはこうあるべき」という根拠のない主義主張を信じてしまっているものなのだ。小説やノンフィクションといったものを読む楽しさのひとつは、そうした私たちの固定観念を突き崩してくれる醍醐味にあるわけだが、本書『バルーン・タウンの殺人』は、とくに世の男性読者にとっては、身近なものでありながらけっしてその全容をつかみきることのできない、まさに神秘の世界の一端を垣間見るような内容だと言うことができる。なぜなら、本書の中心になっているのは「妊婦」であるからだ。

 科学技術の高度な発達が、これまでの妊娠・出産への身体的および精神的負担と、自分と同じ生命を産むという責任の重さに辟易していた世の女性たちと、慢性的な人口減少に危機感をいだいていた国家とのニーズと結びついた結果、人工子宮(AU)をもちいた出産があたり前のものとして世間で認められている未来の日本。そんななか、あえて妊娠・出産という過程を経て子どもを産むことを選んだ女性たちが、都の優遇処置のもと、穏やかに妊娠期間を過ごすことができる場所――本書はそんな、その世界に生きる人たちにとっては「よくよくの変わり者」たちが、無事出産を済ませるまで暮らすことを許される場所である東京都第七特別区、通称「バルーン・タウン」をおもな舞台としたミステリーである。

 全部で五つの短編を収めたこの作品集、そのタイトルからもわかるとおり殺人事件も起これば、密室も出来上がるし、シャーロック・ホームズの作品を見立てた奇妙な事件も、そして国家規模の陰謀だって起こる。それはミステリーの世界であれば、なかばあたり前の要素ではあるが、そんな事件がバルーン・タウンという特殊な場所で起こったとたん、私たちはそれまでにない驚きを禁じえない自身の存在に気づかされることになる。本書のなかでは、刑事である江田茉莉菜がAU肯定派、つまりは私たちの世界における男性に近い立場として捜査を担当することになるのだが、全体的にメルヘンチックな環境といい、せわしなさとは無縁のゆったりとした雰囲気といい、殺人や密室といった殺伐とした要素がまったくもって似つかわしくないある意味異世界的な場所として、バルーン・タウンの存在が強調されているからである。そしてそれは、そのまま私たちが妊婦に対して抱いている、ある種の神秘的なイメージにつながるものでもある。

「――考えてみれば妊婦だって人ぐらい殺すわよね、人間なんだから」

 上述のセリフは、茉莉菜が大学のとき所属していたミステリー研究会の先輩で、今は未婚の妊婦として、本職である翻訳の仕事をつづけながらバルーン・タウンで暮らしている暮林美央のものであるが、本書の大きな特長が、妊婦である彼女が、まさに妊娠・出産・育児にともなう女性の身体的変化や知識を視野に入れることによって、一見すると不可解きまわりないように思われた事件の謎をまったく思いがけない方向から解決に導いていくという、ミステリーとして斬新な発想の転換にあることは間違いない。本書の世界において、妊娠や出産というイベントがきわめて特殊な行為であることを考えれば、同じく極めて特殊な状況下においてミステリーを展開させる西澤保彦の『七回死んだ男』『人格転移の殺人』とよく似た展開の作品だと言えるが、そうしたトリッキーな部分以上に本書を印象深いものとしているのは、まさに「妊婦だって人間」という、美央の言葉に集約されているものである。

 暮林美央は妊婦ではあるが、臨月近くになるまで翻訳の仕事はやめないし、ときには徹夜や、その世界ではほぼ無害とはいえ喫煙といったものもやめようとしない。そして彼女のそうした態度は、バルーン・タウンがもつイメージ――「良き器たれ」というモットーに代表される、妊婦とはこうあるべきという固定観念からは逸脱したものである。こうした、本来なら多種多様であるはずの個性が、ただたんに妊娠しただけで、「妊婦」とひとくくりにとらえられてしまうという不特定多数の「思い込み」の強さは、この書評の冒頭でも書いたとおり、じつは私たちの周囲にいくらでも転がっていることでもある。本書の場合、AUがあたり前という世界観で、なお自分の体を母体として子どもを生みたい、という強い要望があって生まれた「バルーン・タウン」であるにもかかわらず、そこに住む妊婦たちが、一様に固定された妊婦のイメージに固執することの「歪み」があるのだが、そこで起こる殺人や密室事件、そして暮林美央という「妊婦探偵」は、そうした歪みをよりいっそう際だたせるための要素のひとつとして機能しているのである。そういう意味では、ミステリーでありながらその以上の強いメッセージ性の含まれた作品だと言える。

 AUが主流になろうが、妊娠派が盛り返そうが、一時的な流行や慣習、あるいは倫理や生命観といったものにけっして縛られることのない、たしかに個人が地に足をつけた生き方をつづける暮林美央は、けっして「妊婦探偵」だから本書のなかで起こった事件を解決できたわけではない。そのことに気がついたとき、江田茉莉菜が感じた彼女への羨望の想いが、妊娠するという行為にではなく、彼女の強い生き方そのものに対するものであるということを、実感することになるに違いない。(2005.04.27)

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