【太田出版】
『バトル・ロワイアル』

高見広春著 

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 少しだけ想像力をめぐらせて、考えてもらいたい。殺さなければ殺される――この極限の選択肢を前にして、あなたははたしてその人を殺すことができるだろうか、と。これまで会ったこともないような他人であれば、あるいは殺してしまうこともあるかもしれない。だが、その相手がごく親しい家族や親友だった場合はどうだろう。その時あなたは何を考え、何を想像し、あるいは何を捨てて、最終的にどのような結論をくだすことになるだろうか。「人の命は地球よりも重い」、という言葉が、人間の傲慢なエゴでしかないことは充分承知しているが、だからといって人の命を奪うという行為が正当化されるものではないし、その行為の代償として払わなければならないものの大きさは、けっして変わりはしないのだ。

 某小説新人賞の選考委員全員が、その内容のあまりの過激さに拒絶してしまったといういわくを持つ本書『バトル・ロワイアル』であるが、その反応は、正常な(何が正常か、という議論はとりあえず置いておくとして)感情を持つ者であればごく当然の帰結であったと言わざるを得ない。むしろ「思ったほど大した事はない」「噂ほどひどい内容じゃない」といった感想を持った方がいたら、注意したほうがいい。あなたの心は、どこかで破綻をきたしはじめているのかもしれないからだ。

 その世界では、大東亜共和国という名の東方の島国が存在することになっている。一九九七年現在もなおファシスト国家を維持し、準鎖国政策をとっている政府が毎年、全国の中学校から任意に三年生のクラスを選んで実施している"プログラム"というシュミレーションがある。専守防衛のために必要だという名目で行なわれている実験――それは、クラスメイトどおしを、最後の一人が生き残るまで戦わせるという、まさに「ヘドが出そうな」ゲームであった。

 強大な権力をものをいわせて非人道的なことを平気でやってのける輩がいるのは事実だ。だが、以前まで級友であった何十人もの中学生に、たったひとりの生存権をかけて殺し合いをさせるという、およそこの世で思いつく限りもっとも卑劣で、もっとも悲惨で、もっとも残酷な計画を、いまだかつて誰が思いつくことがあっただろうか。いや、たとえ思いついても、それを――たとえ小説という虚構の世界のなかであっても――実現させてしまった人間がはたしていただろうか。

 今回の"プログラム"対象クラスに選ばれてしまった城岩中学校三年B組(あの「金八先生」が受け持っているクラスと同じだ。笑えない冗談である)の四十二人は、否応なく小さな島に連行され、生殺与奪を完全に握っている防衛軍を前に、抗議も反抗も封じ込められたまま、ある生徒は疑惑と恐怖で心を麻痺させて、ある生徒はあくまで人間らしさを失うことなく、またある生徒は理不尽な政府に対する怒りを燃やして、そしてある生徒はこの「殺人ゲーム」を全面的に受け入れて、今や戦場と化した島の四方へと消えていく。それはけっして試合放棄の許されないバトルロイヤル。さあ、ゲームのはじまりだ。そこの旦那、今回はいったい誰が最後まで生き残るか、ためしに一口乗ってみないかい……?

 本書に書かれているのは、狂気の集大成のようなものだ。強圧的な指導と国民の統制により、諸外国より経済的に豊かになってしまった国の狂気、多少の犠牲には目をつぶってでも集団に迎合するようになってしまった国民の狂気、国の繁栄と個人的な楽しみのためなら人の命など何とも思わない政府官僚たちの狂気――そしてもちろん、目の前で次々と死んでいくかつてのクラスメイトの姿に、あるいは自分の手で殺してしまった友達の死に様に、あるいは、その友達に自分が殺されるかもしれない、という極度の恐怖と緊張によって、徐々に心を蝕んでいく三年B組の生徒たちの狂気も。そして驚くべきことに、著者は死んでいく生徒たちを、けっして単なるやられ役として設定してはいない。生徒四十二人ひとりひとりに対してそれぞれの個性と感情、そしてきちんとした人生とを与えている。そう、この胸クソ悪くなるような空間に放り込まれて死んだ者も、そのゲームを管理している者も、等しく人間なのだという事実に、私は愕然とせざるを得ない。

 ごくあたり前のことだが、人はひとりでは生きられないし、そうである以上、お互いの存在を尊重しあい、調和を求めていくべきである。少なくとも、それが理想だ。だが、同時に私は考える。人間は、その気になればどこまでも残忍になれるし、どこまでも堕落することができる生き物である、と。少しでも速く走れるように品種改良を繰り返し、競走させて順位を当てる競馬や、あるいは過激な格闘技に人が熱中するように、本書を読みすすめていく読者はしらずしらずのうちに、「誰が生き残ることになるか」という下劣な考えを巡らせている自分の姿に気づくことになる。そう、誰だって一度くらいは思ったことがあるだろう。あの気に入らないヤロウをぶっ殺してやりたい、と。

 もう一度言おう。本書に書かれている物語は下劣だ。だが、そうであるがゆえに人間の生の姿を、そして生と死の極限にあってなお輝きを失わない確かな愛の形を、おそらくどんな小説よりも鮮明に感じ取ることができるはずである。はたして、あなたは本書を手にとるだけの勇気を持っているか?(1999.10.26)

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