【日経BP社】
『バタフライハンター』

クリス・バラード著/渡辺佐智江訳 



 たとえば、『くう・ねる・のぐそ』の著者である伊沢正名にとっての、キノコや菌類専門の写真家という職業。たとえば、『マイクロソフトでは出会えなかった天職』の著者であるジョン・ウッドが立ち上げた、世界じゅうの貧しい地域に図書館を建てるという「ルーム・トゥ・リード」の活動。たとえば、『聖の青春』に登場する村山聖にとっての、プロ棋士の頂点に立つという目標。いずれも、あるひとつの事柄に並々ならぬ情熱を注いできた人たちであり、その「事柄」が彼等にとっての「天職」と言うべきものとなっていることは、ほとんど疑う余地のないものとして認識されるのだが、仮に夢中になれるような何かがあったとして、それがそのままその人の職業として成立するかというと、けっしてそんなことはない。むしろ、好きなことや興味のある事柄は、あくまで趣味のひとつとしてとどまり、それとはなんら結びつきのない職業を、日々の生活費を稼ぐための仕事としてこなしていくという人のほうが、圧倒的に多いというのが現状だろう。

 では、何らかの才能があるということが、「天職」の前提なのだろうか。以前紹介した、有川浩の『シアター!』の書評でも述べたように、好きなことをして金を稼ぐには、なによりその成果物について、社会にその価値を認めさせる必要があるわけだが、ただ才能があれば必然的にそうなるというわけでもない。それはむしろ、才能をどう生かすかということとつながっていくものであるが、そういう意味で、私たちが「天職」という言葉を使うとき、ある才能を活用することが金銭を生むというサイクルが無理なく成立している状態を指すことになる。だがそれでも、才能と情熱との関係について説明したことにはならない。

 ぼくは知りたかった。なぜ一部の人たちは、そういう道には目もくれず、障害も気にかけずに自分で仕事の世界を切り開こうとするのか。彼らはぼくらが知らないことをなにか知っているのだろうか。

「スカイウォーカー」、「声のセールスマン」、「アメフト伝道師」――これらはいずれも本書『バタフライハンター』において紹介されている、一風変わった職業に就いている人たちのことであり、タイトルである「バタフライハンター」もそのなかのひとりである。そのサブタイトルに「10のとても奇妙で素敵な仕事の物語」とあるように、本書は自分がしている仕事について心から愛している人たち10人への取材内容をとりまとめたドキュメンタリーであるが、その人選にはひとつの基準がある。それは、たとえば弁護士や医者といった、ある程度社会からその有用性が認められ、またそうした職業に就くための方法論も示されているような仕事ではなく、ある意味その人にしかできない仕事――その人の存在や生き方そのものが、そのまま仕事と結びついてしまっているような、そんな仕事をしている人たちという選別である。

 たとえば「スカイウォーカー」ことマルホランドは、本来なら専門家チームを要するような、超高層ビルの突端の調査や修理をたったひとりで、しかも嬉々として行ない、自ら「スパイダーマン」と名乗ってはばからない目立ちたがり屋であるし、「声のセールスマン」ことドン・ラフォンテーンは、四十年以上も映画の予告編のナレーションをこなし、業界では「神の声」としてその地位を不動のものとしている。「アメフト伝道師」たるダグ・ブレヴィンズは、脳性麻痺によって歩くこともできない体でありながら、誰よりもフットボールを愛し、また優秀なキッキングコーチとしてNFL入りを果している。ほかにも義眼技工士や筆跡鑑定家、きこりスポーツにのめりこむ女性や、キノコ狩りにこのうえない喜びを見出す男など、本書に紹介されている人たちは、いずれも社会的にまっとうなものだと認められている職業とは、少しばかり外れたところに自らの「天職」を見出した人たちだと言える。上記引用にもあるように、「自分で仕事の世界を切り開」いていった人たちである。

 著者がそうした人たちに焦点をあてるようなドキュメンタリーを書いたのは、もちろん「天職」という、誰もが言葉は知っているのにその内容については漠然としてとらえどころのないものについて、何らかの答えを見出したいという欲求があったからであり、普通の人であれば、およそ就職の選択肢としては思い浮かばないようなたぐいの仕事をあえて選んだ人であればこそ、その仕事への思い入れも特別なものがあるに違いない、という想像を働かせたであろうことは、容易に推測できることでもある。しかしながら、本書を読み進めていくとわかってくることであるが、そうした人たちと接し、行動を共にしてその仕事ぶりを見せてもらい、また何度かインタビューを繰り返してはいるものの、おそらく著者がもっとも知りたいこと――「天職」とは何なのかという事柄について、はっきりしたことは何ひとつわからない。わかるのはただ、そうした仕事をしている個人のことでしかない、ということである。仕事内容にこのうえない情熱をもち、寝ても醒めても仕事のことばかり考えているような、そんな個人の姿だ。

 本書で紹介されているのは、著者の主観的には「天職」を見出した人たちであり、たとえば生活費を稼ぐために仕方なく労働している人たち、あるいは自分が何をすべきなのか、何に向いているのか見つけられないでいる人たちにとっては、まさに理想的な立場にいるはずの人たちである。だが、彼らが偶然に、あるいは必然的に見出した仕事が「天職」であるとして、それがそのまま彼らの人生における幸福と密接に結びついているわけではない。なかにはその尽きせぬ情熱が、ある種の強迫観念となって個人を押しつぶしてしまうこともあれば、やりたい仕事をして、しかも大金を稼げるようになっていながら、アルコールやドラッグに溺れて家族をないがしろにしてしまう例もあり、それについても本書はありのままに書きつづっている。「天職とは何か」という命題に対して、個人的に思うところがあったであろうことは間違いない。だが、じっさいに会った人たちは、そうした思惑にはけっして納まりきらない個性の持ち主でもあった。それゆえに、著者の彼らに対する筆致は常に「天職とは何か」という命題に対して、執筆しながら模索しているような印象を強く受ける。

 それは一面では、結論がはっきりとしないという欠点と結びつくが、別の一面においては、著者の誠実さの表われでもある。たとえばその書き出しに焦点をあてたときに、読者の興味をいかに掻きたてるか、という点に重きが置かれている場合がほとんどだ。それは、いかにして取材相手を自分の土俵にもってくるかという、いかにもジャーナリスト畑にいる著者らしい書き出しなのだが、文章が進むにつれて、しだいにイニシアチブは著者自身から取材相手のほうへと移っていくことになる。まさにその点こそが、本書の大きな特長であり、また読み物としての面白さでもある。

 もし本書について、「どうやったら天職が見つかるか」といったハウツーものの要素を求めているのであれば、それは大きな間違いだ。しかしながら本書は、そもそも何かを仕事と定義してしまうこと――「天職」を見出した人たちにとって、それは仕事でありながら仕事という認識が極めて希薄である場合が多い――について、あらためて認識をあらたにさせるような何かがたしかにある。そういう意味で、本書はとても奇妙であり、同時に素敵なものだと言うことができる。(2010.08.05)

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