【幻冬舎】
『彼女のため生まれた』

浦賀和宏著 



 インターネットというツールの普及によって、私たちは以前とは比べ物にならないほど多くの情報に接する機会を得るようになった。むしろ、あまりに多くの情報が氾濫していて、それらをどのようにして取捨選択していくべきなのか途方にくれている、と言ったほうがいいのかもしれないが、そのさいの選択の基準となるのは、かならずしもその情報が真実を書いているかどうかという点ではない、ということは留意しておいたほうがいい。

 真実というものは、ときに残酷で無慈悲なものであり、またその背景に複雑な事情が絡んでいたりする。そして私たち大衆は、そんな複雑な真実をありのまま受け入れることができるほど強い心をもっているわけではないし、またあらゆる情報の真偽を問いただすだけの時間もない。日々の生活に追われて生きている私たちは、数多くの情報を前にしたときに、けっきょくのところもっともらしい情報を選択し、それを真に受けるしかない。たとえ、それが嘘であったとしても、私たちの大半にとってはさほど大きな問題ではない。大衆は、日々の平凡な生活をいっとき忘れさせてくれるような、扇情的で刺激的な情報がほしいだけなのだ。事実、ネット上に溢れるニュースのまとめサイトの記事タイトルには、まるで週刊誌を思わせるような、いかにも人々の心を煽るような表現がよく使われている。それは、その記事の真実性などどうでもよく、ただいかに人々の目に触れることができるかを追求した結果だと言える。

 もし、真実でない記事や情報を一種の創作、つまり「物語」ととらえるなら、私たちの多くが「物語」を欲しているというのは正しい。私たちは厳しい真実を突きつけられて途方にくれるよりも、もっともらしい嘘で気持ちよく騙されていたいのだ。今回紹介する本書『彼女のため生まれた』は、そんな世のなかに溢れる「物語」の存在を、強く意識させる作品である。

「そうだ。渡部が俺に対してやったことを、今度は俺が渡部にするだけだ。身の潔白を証明するためには、渡部よりもっと説得力が高い物語を構築するしかない」

 上述の引用で、本書の語り手である桑原銀次郎が言っている「物語」とは、浜松の実家に住む彼の両親が巻き込まれた、ある事件の真相のことだ。夕食時に突如押し入ったひとりの暴漢によって、彼の母親が刺殺され、また父親も怪我を負ったというものである。ふだんはフリーのライターとして、おもに週刊誌の記事を書くために何か事件があれば無遠慮に首を突っ込み、関係者に質問を繰り出すことを仕事にしていた銀次郎にとっては、言ってみれば立場を逆転させられる出来事であるのだが、その後、その犯人と断定された渡部常久が母校の高校で飛び降り自殺したこと、彼が銀次郎のかつてのクラスメイトであったこと、そして彼の犯行の動機が、高校時代に自殺した女生徒の復讐のためであるという遺書が見つかったこと、さらにはその遺書の全文がインターネットのブログに掲載されてしまったことといった展開によって、銀次郎の社会的立場が危ういものとなってしまう。

 自殺した渡部の遺書によれば、高校時代に自殺した女生徒の赤井市子は、他ならぬ銀次郎に乱暴されたことが原因だと断じていた。つまり渡部のターゲットは銀次郎だった。だが彼は現在東京で仕事をしており、当然のことながら家にはいない。ようするに、渡部は誤って銀次郎の母親を殺めてしまったのであり、それを苦にして母校の高校で自殺した――それが今回の事件の真相ということになる。だが、銀次郎には赤井市子を乱暴したという記憶はまったくない。そもそも赤井にしろ渡部にしろ、高校時代にはとくに目立った生徒ではなく、ほとんど交流した覚えすらないのだ。つまり銀次郎にとってのこの真相は、何らかの理由によって捏造されたもの、すなわち「物語」ということになる。そして物語というのは、たいていが虚構である。

 この作品をミステリーとして位置づけると、事件の犯人はあきらかにされているし、その動機についても大筋においては納得のできるものとなっている。もちろん、勝手に極悪人のようにされてしまった銀次郎にとってはたまったものではないのだが、事件とは直接関係のない一般市民とすれば、充分もっともらしい「真相」だと言える。ふだんそうした「真相」を面白おかしく記事にしている銀次郎にとっては、皮肉としか言いようのない扱いではあるが、ともあれ彼自身が探偵役となり、今回の事件の本当の真相をあきらかにするという動機づけとしては、このうえないものがある。ただしここで重要なのは、銀次郎が求めているのはあくまで自身にかけられた汚名の返上であって、事件の真相そのものではない、という点だ。言い換えれば、渡部の描いた「物語」以上に説得力のある、真相という名の「物語」を構築することさえできれば、それで銀次郎の目的は達成されるということである。

 それでなくとも、事件の動機を求めることは、犯人の渡部が自殺してしまっていることで難しくなっている。それゆえに銀次郎は、自分と市子との接点は何もないというたしかな記憶を土台としたうえで、渡部の「物語」のこまかな矛盾点や謎の部分をあきらかにしていくことからはじまる。こうした、探偵役の人物を無理なく謎の解明へと走らせる説得力のある展開もたいしたものであるが、なにより謎や疑問の提示の仕方や、あらたな事実を明らかにするタイミングが絶妙で、読者はどうしてもその先が知りたくなってついつい先を読まされてしまうのだ。だが、事件の真相ではなく、あくまで「物語」を欲する銀次郎のある種の打算的な目的は、ミステリーという読み物としてはふさわしいものではない。探偵役となった以上、本書のなかで彼はいつか事件の真相と対峙せざるを得なくなるのだ。その転換――フリーライターの立場から真の意味での探偵役への転換がいつ、どのようにして訪れるのかも、じつは本書の読みどころのひとつとなっている。たとえ、それが彼にとって知りたくもない真実であったとしても、である。

 真に恐れるべき事態は――(中略)――終わったと思っていた事件の裏側で、まだ何かの悪意が胎動していないかということだった。――(中略)――考えすぎだとは思う。だが仕事や損得勘定を別にしても、俺は自分の知らないところで事態が動いているということ自体が我慢ならないのだ。

 次々と現われてくる新事実、それによって二転三転する事件の全容、そしてすべてが明らかになったと安心したところにやってくる意想外な展開――ミステリーとしても、ひとつの読み物としても非常に読み応えのある本書に描かれた、人間の悪意の底知れない深さに、はたしてあなたは何を思うことになるのだろうか。(2014.03.25)

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