【講談社】
『八月のマルクス』

新野剛志著 
第45回江戸川乱歩賞受賞作 

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 人と人との関係、人と人とをつなぐ形というのは、それこそ親兄弟といったものから友人知人、恋人から師弟関係といったものまでじつに多種多様なものがあるのだが、そのなかでも「お笑いタレントの相方」という関係ほど、想像するのが難しいものはない。なぜなら、私たちが舞台やテレビなどで目にするお笑いコンビというのは、客を笑わせたり、視聴率をあげるために演じられた姿であって、けっしてその人の本質を見ているというわけではないからだ。

 お笑いタレントの仕事は人を笑わせることである。そしてそれがコンビということになれば、人を笑わせるという仕事のためにコンビを組んだということであり、ある意味では仕事上の関係でしかないという言い方もできる。だが、面白いと言われる人がかならずしも人を笑わせるのが上手いわけではないように、人を笑わせるというのがまぎれもない芸のひとつだとするなら、たんなる仕事というだけでは、コンビを続けていくことの理由としては弱い。お笑いコンビの相方という人間関係は、はたしてどのようなものなのだろうか。今回紹介する本書『八月のマルクス』を読んだときに、まず私が思ったのはそうしたひとつの疑問だった。

 私はその笑みを見ながら黙って杯を重ねていった。五年ぶりなのだから話すことはいくらでもあるはずだが、話す必要は感じない。かつての相方、かつての自分の一部なのだ。

 物語は、一人称の語り手である笠原雄二が、いきつけのバーで立川誠と再会するところからはじまる。ふたりはかつて「セロリジャム」というコンビ名で人気を博していたお笑いコンビであり、その付き合いは大学時代にまで遡る。お笑いの道に進んだ立川が、笠原のもつギャグセンスを見込んで結成された「セロリジャム」は、しかし五年前に書きたてられた自身のスキャンダルが原因で母親の自殺をまねいた笠原が、芸能界から姿を消すという形で幕切れとなってしまっていた。

 芸能界での過去を振り捨て、なかば隠遁生活をおくっていた笠原の前に現われた立川は、さんざん痛飲したしたのちに、自分が末期癌であり、余命いくばくもないことを告白する。スキャンダルでその関係が暴露されたアイドル歌手、大島梨子のために残された時間を使いたいと語る立川といったんは別れた笠原だったが、その後に彼のもとを訪れた刑事から、五年前のスキャンダルをでっちあげた記者が殺害されたことを聞かされ、さらに立川自身が行方不明になっていることを知るにつれて、彼の身に何かよくないことが起こったのではないかという予感が膨らんでいく……。

 上記引用部分において、笠原は立川のことを「自分の一部」とまで言っている。それは、家族の誰もが教員というお堅い職業に就いている彼の立場を考えれば、非常に重い言葉だ。なぜなら、笠原がそうした家族の束縛を振り切って、その対極ともいえるお笑い芸人をともに目指していこうと思わせるだけのものが、立川にはたしかにあったからである。それこそが立川という男の魅力であり、五年間も自身の問題から背を向けていた男にふたたび行動を起こさせる原動力ともなっている。

 はたして、立川の失踪と記者の殺害事件とのあいだに、どんな関係があるというのか? 立川がゴーストライターである市瀬真奈美を使って書こうとしていた、所属プロダクションにかんする暴露ネタとは何なのか? そして、彼は今どこにいて、何をしようとしているのか? 現在深刻な問題のひとつとなっている広告収入の減少が、本書の書かれた当時にも言われていたという事実や、「フォーマットセール」と呼ばれる、クイズ番組やバラエティーのノウハウのみを海外に売るという手法など、芸能界の内情にも触れることが多い本書であるが、あくまで立川の失踪をメインに動いていた笠原が、今回の一連の事件の裏には、五年前のスキャンダル報道の件や、とあるバラエティー番組内で起きた、若手芸人の死亡事故といったいくつかの要素が複雑に絡み合っており、いずれにしろ自身が置き去りにしてきた問題と向かい合わなければならなくなるという展開へと、無理なく結びつけている点が絶妙だ。

 笠原自身が「自分の一部」と断言する立川失踪の真相を追う、というスタンスは、彼自身にとっては自分という存在を見つめなおし、また取り戻すということと深く結びついている。元お笑い芸人が語り手のミステリーというと、いかにもライトな感じのものを想像してしまうのだが、本書に登場する笠原は、むしろハードボイルドにおける私立探偵のようなストイックさを漂わせるキャラクターとして書かれており、そのギャップという意味ではインパクトをもつ作品だと言える。私たちがお笑い芸人を見るときに、あくまで「お笑い」という芸を見ているのであって、その人間の質を厳密にとらえようとしているわけではない。それと同じように、笠原という登場人物をとらえるには、一度「お笑い芸人」という枠を彼自身からはずしてやる必要が出てくる。

 人を笑わせられない芸人は、もはやただの人だ。だが、それでも彼がかつて人気を博したお笑い芸人であったという事実は消えないし、過去に起こった出来事はけっしてなかったことにはならない。耐え難い過去と向き合い、止まっていた自身の時間を動かすきっかけを与えたのは、かつてのコンビの相方だった。そのことに大きな意味を含ませることに、本書は成功している。「お笑いタレントの相方」という、いかにもその表面のみが取り沙汰されそうな難しい人間関係を扱いながら、けっしてその表面にのみとどまることなく、より深い部分にまで切り込んでいる本書をぜひ楽しんでもらいたい。(2009.08.04)

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