【講談社】
『熱い絹』

松本清張著 



 ミステリーというジャンルの作品のなかで、ほぼなくてはならない要素のひとつとして起こる殺人事件――ひとりの人間の命が無情にも絶たれてしまうという重い事実を扱いながら、しかし私たち読者は、あくまで作者のつくりごと、けっして現実とは結びつかないフィクションとして作品内の殺人事件をとらえてしまう。それはたとえば、この国において毎日のように誰かが誰かの手で殺されている、という事実を頭では理解していても、現実に自分自身が被害者、あるいは加害者となりうるかもしれない、という可能性の問題としてなかなか結びつくことがない、ということと似ているが、それまでのミステリーが、あくまでトリックの奇想天外さやその犯行の怪奇性、あるいは幻想性を重要視するあまり、作品そのもののリアリティや犯行にいたる動機などをおざなりにしてきたという、日本の推理小説の歴史も少なからず影響していることもたしかだ。

 松本清張という作家がいる。彼が芥川賞受賞作家でありながらミステリーというジャンルに手をのばし、それまでないがしろにされてきた殺人事件におけるリアリティ――つまり、動機の社会性やトリックの現実性にこだわり、私たちの生きる現実世界にも直結しうる社会的要素を組みこんだ、いわゆる「社会派推理小説」の大家であるのは有名であるが、それはけっして、それまでのトリック重視のミステリーそのものを否定しているわけでないことは、著者の作品をどれかひとつでも読んでみればわかることと思う。本書『熱い絹』もまた、本格推理小説も顔負けの大掛かりなトリックや、殺人事件に挑戦する名探偵的な役割を受け持つ登場人物の存在といった、それまでの推理小説の形を忠実に踏襲しながら、そこに当時の東南アジア情勢や第2次世界大戦における日本の侵略の歴史、あるいはマレーシアにおける寺院遺跡の現状や産業、民族的な問題といった、非常に社会的な要素をふんだんに取り入れ、結果として国際的なスケールと緻密な構成によるリアリティ溢れるミステリーとして完成された作品だと言うことができるだろう。

 1967年8月12日の早朝、軽井沢の貸別荘に滞在していたひとり暮らしのアメリカ人女性が、その別荘の寝室で殺害されているのが発見された。扼殺という、日本ではめったに見られない特殊な殺害方法、また、そのとき被害者が飼っていた2匹の犬が、犯行時間と思われる時間帯にまったく静かだったことや、パジャマの上にガウンという被害者の格好から、親しい同国人の訪問者による犯行であろうという推測のもとに捜査が開始されたが、なぜか思わしい成果があがらない。ただ、長野県警捜査一課長の長谷部忠雄は、被害者の兄であり、タイシルクの販売で世界的にも著名な大富豪ジェームズ・ウイルバーが、マレーシアのカメロンハイランドにある保養地で消息を絶っていたという事実をつかんでいた。
 軽井沢とカメロンハイランド――同じ高原の保養地で、血のつながった兄妹の身にふりかかったふたつの事件のあいだに、はたして因果関係があるのか? 奇しくも同じカメロンハイランドで起きた、日本人ツアー客の青年が殺害されるという事件解決のため、捜査員として現地へ趣くことになった長谷部たちは、ジェームズ・ウイルバーの失踪現場が天然の「密室」とも言うべき状況となっていたことを知る……。

 本書の中で起こるタイシルクの富豪の失踪、およびその妹の殺人事件は、名前や場所の違いこそあれ、現実に起こった事件を題材に再構築されたミステリーである。当時、ベトナム戦争の陰に隠れてしまい、日本ではまったくと言っていいほど報道されなかったこの事件に着目した著者の視野の広さもさることながら、そこからさらに話を発展させ、いかにその現実の事件を劇的なミステリーとして脚色していくか、という点に目を向けたとき、たんなる「社会派推理小説の大家」という肩書きだけでは見えてこない、著者のサービス精神、エンターテイナーとしての才能が、本書のなかでいかんなく発揮されているのがわかってくる。

 そもそも、本書を書くきっかけとなった失踪事件そのものが、断崖絶壁とジャングル、そしてマレーシア警察隊の厳しい検問に囲まれた密室状態にあったことや、失踪したジム・トンプソン自身が、じつはOSS(CIAの前身)の諜報員であり、失踪した当時もCIAに大きな影響をもっていた人物だったことなど、多分にミステリー的要素の濃い事件だったのだが、そこに「名探偵」役として長谷部という登場人物を設定し、最後に一同をある場所に集めて事件の真相を推理していく、という演出などは、むしろ本格ミステリーと言ってもいいパターンを踏襲しているのだ。しかも、長谷部たちがマレーシアにわたってからは、霊媒師や透視術師による事件の推理あり、日本から来た舞踏団による派手なパフォーマンスあり、毒の吹き矢で政府に抵抗しつづける原住民ありと、いかにも映像にしやすい要素がてんこ盛りとなっており、読者をけっして飽きさせることなく、ぐいぐいと物語の世界へと引きずりこんでいく。そして何より、小説でよくありがちな著者の主張を思わせる文章を徹底して廃し、あくまで自分が取り上げた題材の面白さだけで勝負しようとしているところがなんとも潔い。

 本来、日本とはまったく関係のなかった現実の事件を、日本の読者にも興味をもたせるため、そして事件そのものを日本人に合うようなストーリーとするために、物語のいろいろなところで工夫をこらし、ついにはひとつの謎解きを組みたてることに成功した著者について、もしかしたら「社会派推理小説の大家」とかいった肩書き以前に、ただ純粋に面白い小説を書きたいという意思の強い、良い意味で職業作家でありつづけた人だったのではないか、と思わずにはいられない。

 社会的な題材をそれまでの推理小説のなかに取り入れることによって、人が人を殺害する、という重い事実にリアリティを与え、少なからずミステリーという分野をより一般的読者のレベルにまで浸透させることになった著者の作品は、それゆえに時代とともにその鮮度が失われていく、という問題から逃れられないところがあるのは事実だが、まるでノンフィクションを読んでいるかのような本書のなかに、ミステリーにおけるリアリティというもののありかたの真髄を垣間見たように思う。(2003.06.13)

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