【講談社】
『流さるる石のごとく』

渡辺容子著 



 イメージと言えば、あくまで人間個人が勝手に想像する、必ずしも現実とは限らない幻想のようなもの、という印象があるが、このイメージの強さが逆に現実を侵食し、世間一般の常識と呼ばれるものを変えてしまったり、物事の真実を覆い隠してしまったりすることがままある。
 たとえば、ネクタイという装飾品は、スーツを着用するさいは必ずセットで首に巻くのが常識であったが、政府主導で喚起した「クールビズ」のイメージが、この常識をひっくり返してしまった感がある。スーツを着ているのにネクタイがない会社員の姿は、以前ではかなり異質な存在であったのに、誰もがそれをあたり前のようにするようになって、その異質な感じは相当に薄まっている。もちろん、私もその例外に漏れず、ここ何年かはネクタイなどしたことがなくなっている。以前はあれほど当然のごとくネクタイを締めていたにもかかわらず、だ。

 私たち人間は、多分にイメージというものに流されやすい生き物である。それどころか、私たちはイメージを利用していくつもの「自分」を演じ分けたりもしている。たとえば教師であれば、教師にふさわしい立ち居ぶるまいや口調があり、ヤクザであればいかにもヤクザっぽい態度や話し方というものがある。これは別に、教師やヤクザが「こうあるべき」という核たる形があるわけではなく、あくまで個々人が勝手にこうだと思い込んでいる印象程度のものでしかない。だが、意図してそんなふうに振舞っているうちに、たんなるイメージでしかなかったものが現実として置き換わっていくことは珍しくない。

 今回紹介する本書『流さるる石のごとく』は、ある誘拐騒ぎに端を発した一連の事件について、その渦中にいた人物の視点で書かれた作品であるが、およそ彼女ほどイメージと現実との落差に人生を翻弄され、何が真実で何が虚構なのかの境界をつかむことができずに苦悩した人を、私は他の小説では見た覚えがない。

 目が覚めたとき、自分が探しているものの正体はマスター・ストーンかもしれないと気がついた。夫だった速水という男の正体を見極めるため、そして何よりもわたしたち夫婦の結婚生活に判定を下す意味に於いても、基準となる何かがわたしは欲しかった。

 上述の引用に出てくる「マスター・ストーン」とは、ダイヤモンドを鑑定するさいの基準となる石のこと。そして本書の主役となる速水圓は、当初そのダイヤモンドの価値を信奉する女性として登場する。高級宝飾店の顧客のひとりであり、ファッション雑誌のグラビアにも取りあげられたことのあるセレブな女性――そう、速水圓は大富豪の娘であり、またエリート医師の妻という、これ以上はないという裕福な暮らしを満喫できる立場にある。だが、じっさいの彼女の現状は夫との結婚生活がうまくいっておらず、デパートでの万引き常習犯であったり、娼婦の真似事をしたり、重度のアルコール依存であったりするという、驚くほど不健全で爛れた毎日をおくっていた。

 とくに彼女のアルコールへの依存はひどいものがあり、それは物語が進むにつれてますますひどくなっていくのだが、じつはその背景には、夫が自分を殺そうとしているのではないか、という疑心暗鬼があった。父親の猛反対を押し切っての恋愛結婚だったにもかかわらず、いつしか夫はやはり自分の財産が目当てだったのではないか、自分が他ならぬ東郷開発会長の令嬢という立場だったから結婚したのでは、という思いから逃れられないのは、そうした境遇に生まれついてしまった者の定めのようなものではあるが、そんなふうに考えたときに、圓のダイヤモンドへの信奉は、確固とした自身の価値をどうしても持てないでいる彼女の、心の拠りどころとなっていたと言うことができる。

 物語は、そんな夫の誘拐事件という急転直下の展開で、圓はアルコールに溺れたいという欲望と戦いながらも、自身のダイヤモンド・コレクションを身代金に、犯人に指示されるまま東京から名古屋へ、さらにそこから別の場所へと転々と移動させられることになる。この誘拐事件をはじまりとする一連の大きな事件――最終的には何人も人が殺されることになる大事件の顛末と、その真相を明らかにするという意味では、本書はミステリーとして位置づけられる作品であるが、通常の推理もののように名探偵が事件を推理してくれるわけではない。事件に渦中にいて、かつその事件ともっとも深くかかわってしまっている圓自身が、事件の真相を解き明かさなければならない展開となるのだが、本書が見事なのは、そうした展開へと物語を導くための各種設定や、物語構成の妙である。

 たとえば、本書は大きく前半と後半のふたつのパートに分けることができる。物語前半は圓が事件の当事者として巻き込まれる役割を請け負う部分。ここでは彼女は事件の被害者であり、また事件そのものを展開させていくための役割をはたすことになるが、それは当然のことながら、犯人にとって都合のいい展開に導くための道化を圓に押しつけるという形になっている。
 そして物語後半が、探偵役として事件の真相を究明するべく行動する部分となるが、そこには物語前半における彼女自身の心境が大きく関係している。それは犯人にいいように操られてしまった悔しさや怒りといったものもあるのだが、それ以上に重要なのが、夫の自分に対する思いという疑問だ。圓はもともと、夫が自分を密かに殺そうとしているという疑惑にとらわれていた。だが、その真意をたしかめることができないまま今回の事件に巻き込まれることで、じつはますますその真意がわからなくなるという仕掛けが本書にはあるのだ。

 もし今、わたしに少しでも楽になる方法があるとするなら、今回の事件の犯人を捕まえること。それしか思い浮かばなかった。犯人探しに神経を集中させれば、速水をあんな目に合わせたのは自分だという罪の意識から、瞬間とはいえ逃れられる。そんな気がした。

 じつは本書には、そのメタ的構造として、速水圓本人が著者に今回の事件のことを語って聞かせたものを小説化した、というものがある。そしてこの本書の構成は、そのまま事件の探偵役である以上に、事件の当事者であるという圓の、本書全体における位置づけを象徴するものでもある。本書のストーリーをあまりに詳細に紹介することは、読書の面白さを奪う可能性があるため控えるが、彼女にとって重要なのは、彼女の巻き込まれた一連の事件の真相を知ることだけが、彼女にとっての救いとなるわけではない、という点である。言い換えるなら、圓にとって重要なのは、ダイヤモンドのごとき不変の価値観を手にすることにあるのだが、本書は圓という原石がダイヤモンドの輝きを得るための物語だった、ということでもある。さまざまな思惑、さまざまなしがらみに翻弄され、アルコールの力でひたすら現実逃避を続けた彼女が、最後に見出すことになるものを、ぜひともたしかめてもらいたい。(2014.10.13)

ホームへ