【新潮社】
『バルタザールの遍歴』

佐藤亜紀著 
第三回日本ファンタジーノベル大賞受賞作 



 ひとつの物語が生み出すひとつの虚構――小説創作という行為が、その個人が感じとるもうひとつの世界を現出させるための作業である以上、物語がいかに現実の、リアルな世界に迫ることができるか、という点は、非常に重要な要素のひとつだと言うことができる。それは幻想文学やファンタジーと呼ばれる分野の小説であっても例外ではない。いや、現実にはありえない出来事を物語とする分野だからこそ、物語の真実味を深め、読者に違和感なく物語を受け入れてもらうために、リアリティーの追求が重要視されると言っても過言ではあるまい。例えば、第一回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した酒見賢一の『後宮小説』では、全体を歴史研究書のような体裁にし、さまざまな資料や参考文献で肉付けすることによって、架空の王朝を実在のものであるかのように作り出すことに成功した。また、松浦理英子の『親指Pの修行時代』では、あくまで私たちが暮らす現実の時空間を舞台としながらも、「右足の親指がペニスになる」という、たったひとつの虚構を小説世界の真実として扱うことによって、やはり現実ではないもうひとつの世界を生き生きと浮かび上がらせている。

 本書『バルタザールの遍歴』の舞台となるのは、二度の世界大戦を経験しなければならなかった二十世紀初頭のヨーロッパ、オーストリアの、その時代においてはもはや、かつての権威など望めそうもない公爵家に生まれた跡取息子の、その肉体と魂の遍歴を描いた物語だと説明することができる。ここまでは、実際の西欧の歴史にもありそうな――リアルな世界である。だが、この物語の主人公であり、本書の語り手でもあるその跡取息子には、ふたつの名前がある。バルタザールとメルヒオール――たったひとつの肉体を分かち合う双子という、あきらかに虚構の存在であるその人物がそれぞれ語り手となって物語が進むという、なんとも人を食ったような設定となっているのである。しかも、彼らはそれぞれ、その気になれば「非物質的存在」となって肉体から離れ、さながら幽霊のように歩きまわることができる、ときた。

 それゆえに、本書の文体は一人称でありながら、ふたりの人物が、ときに一人となり、ときに二人となって語るという、これまでになく個性的なものとなり、それが著者独特の雰囲気を物語のなかに付加させることに成功している。たとえば、こんなふうに。

 幸い、バルタザールはまた酒に専念し始めた。私の筆跡にやや乱れが見えるとしたら、それはバルタザールが左手で飲み、私が右手で書いているからだ。――(中略)――もの心付いて以来、私たちの間ではお互いの行動にあまり干渉しないのが原則になっている。
 よほど馬鹿ばかしいことでなければね。
 先を続けよう。……

 なぜ、彼らの精神がひとつの肉体に宿ることになったのか、といった説明はまったくない。あたり前である。語り手であるバルタザールとメルヒオールにとっては、そのような状態こそが唯一の現実なのだから。どのような説明が必要だと言えよう。虚構の存在があたり前のように語る、彼らにとっての現実――彼らの語る時代背景やその当時の人々の生活習慣がリアルであるがゆえに、なかば独り言のように進むその独特の文章は、読者を物語の世界に引っ張りこむだけの力を充分に備えているのである。

 すでに退廃の様相をただよわせる貴族社会、徐々に高まってくるナチスの侵攻――母の死後、父の再婚相手であるベルタルダの奇怪な行動、周囲の圧倒的無理解のなかにまぎれこむ、彼らの真実を見通す何者かの視線、そして、魂の双子はまるで何かに突き動かされるかのように転落し、すべてを失って放浪生活をすることになる……。同著者の『モンティニーの狼男爵』のときもそうだったが、著者が描く物語には、高貴な身分の主人公が何者かの陰謀によって、一度どん底まで転落したのち、すべての真相を知って逆襲に出る、というパターンが多い。それが、物語としての盛りあがりを考えたうえでの構成であろうことは容易に想像できるのだが、私には物語の効果というよりも、常識という名によって共同幻想のように生み出されている現実に対する挑戦なのではないか、という気がしてならないのである。狼男や二重人格といった、現実とは対極にある虚構の存在は、周囲で圧倒的優勢を占めている現実によってその存在すら否定されてしまうが、最後にはその能力ゆえに立場を逆転させてしまう。誰もが「そんなことあるはずがない」と言って片づけてしまい、深く考えないようにしている虚構の存在――しかし、私たちが常識として認識している現実とて、じつは非常に脆いものでしかないことは、いろいろなものが恐ろしい勢いで変化していく現代を考えてみてもわかる。「そんな脆い現実を、あなたはまだ後生大事に持っているつもりなのか」という本書の呼びかけが、私には聞こえてきそうな気がするのだ。

 現実のなかにまぎれこむ虚構、虚構のなかに見え隠れする現実――それはあるいは、バルタザールとメルヒオールの関係のように、ときには離れ、ときにはひとつとなって私たちの前に現われる、魂の双子とも言うべきものなのかもしれない。本書はたしかに虚構の物語であるが、その虚構の世界が見事なまでに展開させる物語は、下手な現実よりも現実的だ。とことんリアリティーにこだわり、徹底した人物設定でぐいぐい引き込んでくれる小説も面白いが、一見ありえそうもないような設定を、あくまでその世界における現実と認めてしまったうえで、何食わぬ顔で物語を展開させる本書も、きっと読者にこれまでにない魅力を味わわせてくれるに違いないと断言する。(2000.02.23)

ホームへ