【実業之日本社】
『水族館ガール』

木宮条太郎著 



 本は文化だという風潮がある。その原形となっているのは、活版印刷によって本が大量生産される以前、さまざまな知識が本という形で、一部の特権階級のものとして独占されてきたという過去であるが、それも今は昔の話。いくら出版社が良い本をつくっても、売れなければ利益は出ないし、利益が出なければ会社として成り立っていかないという現実がある。知識は本が担うという「文化」だけでは本はつくれないし、売れない――それが今の出版業界をとりまく問題のひとつであるが、そんな現状を考えたときに、同じく知識を担う「文化」としての役割を果たしている施設があることに気づかせてくれる作品がある。

 そう、今回紹介する本書『水族館ガール』は、水族館という施設を舞台とする小説であるが、市役所に勤める若手公務員が、出向という形で水族館勤務となることで少しずつ見えてくる水族館の問題は、じつは本がかかえる問題と根っこのところでつながっているのではないかと思えてくる。

「水族館は博物館の一種だが、収入も支出も他とは桁違いだ。世間での認識は、博物館ではなく遊園地に近いだろう。博物館になるのか、遊園地になるのか、その狭間で世界中の水族館は悩んでいる。運営も、博物館路線と遊園地路線の間で、行ったり来たりしている」

 千葉湾岸開発区の南端に建てられた、知的エンターテイメントゾーン「私立水族館 アクアパーク」――それまで市役所勤務だった嶋由香と水族館との関係は、せいぜい彼女が若手であることと、観光事業課という、水族館とまったく関係なくもない部署にいたことくらいであり、水生生物にかんしてはまるっきりの素人でしかない。そんな彼女がいきなり放り込まれた水族館勤務におおいに戸惑いながらも、それでも自分の役割をはたそうと奮闘する、というのが本書のおおまかなあらすじであるが、じつのところ物語のストーリーが本書の主眼というわけではない。奇しくも「知的エンターテイメント」と評されている水族館という施設について、観客ではなく経営や運用をする立場になることで見えてくる実情を紹介する、というのがむしろメインであり、ある意味で仕事小説としての側面が強い。

 じっさい、由香の立場はそうした実情を何も知らない私たち読者の側に近いものがあり、それまで見えてこなかった水族館にかんするさまざまなものを、私たちに代わって体験してくれる役割を担ってくれている。もちろん、水生生物について飼育も知識も――さらに言うならたいして興味もなかった彼女にできる仕事は、たかが知れている。そしてそんな由香の立場をことさら強調する役目を負っているのが、彼女と同じく若手であり、イルカ飼育の担当として指導する立場にある梶良平だ。無愛想を絵に描いたような彼は当初、由香に対しては辛辣で、彼女は雑事すらまともにさせてもらえず、ただイルカを観察して個体認識できるようにすることが、唯一彼女のできることという状況がつづくことになる。

 水族館や博物館、あるいは動物園や植物園といった施設は、おそらく誰もがその存在を知っているはずのものである。ふだんの日常を過ごしているだけでは生涯触れることのないであろう、珍しい生き物や美術品が、そこに訪れるだけで見ることができるというのは、よくよく考えれば贅沢なことではある。だが、ただたんに贅沢というだけで、人を惹きつけるのは難しい。贅沢であるということは、たとえば生活必需品のように、それがなければ生活が成り立たないといったものではないからだ。では、私たちは何のためにそうした施設に、わざわざお金を払ってまで訪れるのか、ということを考えたときに、上述の引用にも出てくる水族館の微妙な立ち位置が見えてくる。

 由香の目をとおして少しずつとらえられてくる水族館には、そこにいけば生きたイルカやペンギンに会える、というありふれたもののなかに隠された意外な事実が満載だ。たとえばイルカの群れには順位づけがなく、イルカのショーは基本的に芸を仕込むというよりは、イルカたちの「遊び」に人間側がいかに合わせていくかが重要であること、仲の良いペンギンのカップルが、かならずしも異性どうしであるとはかぎらないこと、ラッコの毛づくろいの可愛らしさの裏には、そうしなければ保温機能が低下して死を招くというシビアな事情があることなど、遊興感覚で訪れていては見逃してしまう事柄を本書は教えてくれるわけだが、もし水族館が「遊園地」ではなく、「博物館」であるとするなら、同じような知識は水族館でこそ学ぶことができるということになる。

 本書の興味深いエピソードのひとつに、由香が管理部課長の倉野から、アクアパークの展示をすべて見てくるように言われるシーンがある。彼女はノートを数冊消費し、馬鹿丁寧に館内を見回るのだが、ほぼ一日作業となってしまった。このエピソードは、それだけの時間をかけなければ触れることのできない知識や記録が、水族館のなかにあることを示しているのだが、私たちの大半はそこまで時間をかけることはないし、またそんな時間もない。ある客はデートスポットのひとつとして、ある客はただ水族館というアトラクションの観賞のために、あるいは珍しい水生生物を見た、という事実の確認のためにやってくるにすぎない。

「水族館にいる誰もが、自然と同じ状態を保ちたいと思っている。そうしなきゃ駄目だと思っている。だけど、そのためには、自然とは違うことをしなくちゃならない」

 本来は博物館的要素を有しているはずなのに、純粋に博物館になりきれないという矛盾、水生生物を生かすために多額の資金を使い、自然でないことをしつづけなければならないという矛盾――ある意味で、本書が垣間見せてくれる水族館は、私たちが知ろうとしない、あるいはあえて知らないままでいようとする生々しい実態だ。けっして楽しいだけでない水族館を書いた本書は、そんなさまざまな矛盾をかかえながらも、どうすればその矛盾とうまく付き合っていけるのか、という点にスポットをあてるような作品となっている。そしてそれは、理論や理想だけではけっして成り立たない。ときに恋に悩み、ときにイルカに遊ばれたりしながら、水族館という矛盾の塊と対峙していこうとする由香が、最終的に何を見出すことになるのか、ぜひたしかめてみてほしい。(2014.11.09)

ホームへ