【文藝春秋】
『あぽやん』

新野剛志著 



 世のなかには「適職」なる言葉があるそうだが、自分に向いている職業などというものが本当に存在しているのかどうか、正直なところ疑問に思うようなところが私にはある。たとえば、私は今システム開発という部門の仕事をしているが、もし私が「適職」というものを意識して就職していたとするなら、大学時代にバリバリの文学部で、かつ小説を書くことに情熱を燃やしていた身として、コンピュータのプログラミングやシステムエンジニアのような仕事はまずありえない選択肢だったに違いない。だが、何の因果か今の私はそうした職種に就いているし、驚くべきことに今の境遇に多少なりとも満足している自分がいたりする。

 およそ職業選びにかぎらず、進学や結婚といった人生の大きなイベントにおいて、当人の望んだとおりに物事が運ぶということはまずありえない。仮に、当人の望みどおりの仕事に就くことができれば、それは相当な幸運だと言えるし、またそうなるために個人が努力することを否定するつもりもないのだが、あまりに「適職」や「やりたい仕事」といった曖昧なものにこだわってしまうのは、むしろその人の可能性をみずから縛ってしまうことになりかねない。なぜなら「適職」というのは、何らかの仕事を選ぶ前から決まっているものではなく、何かの仕事に就いてその仕事が自分の肌に合っていたときに、はじめて意識されるたぐいのものでしかないからだ。私の例でいえば、システム開発が適職だったからその仕事に就いたのではなく、システム開発の仕事に就いてみて、はじめてそれが「適職」だったと意識することができた、ということである。そういう意味で、「適職」というのはただの言い訳程度のものにすぎないと個人的には考えている。

 本書『あぽやん』に登場する遠藤慶太は、大航ツーリストの社員。大航ツーリストそのものは海外パッケージツアー専門の旅行会社であるが、今の彼が勤務しているのは本社ではなく成田空港。ツアーの出発点となる空港でさまざまなトラブルを解消し、無事に旅客を送り出す、言わば現場のスーパーバイザーとしての役割が遠藤の今の仕事ということになるのだが、彼自身は今の境遇にけっして満足しているわけではない。それもそのはず、大航ツーリストにおける「空港所勤務」とは、閑職も同然の位置づけであるからだ。しかもギリギリ20代という年齢の彼が空港に送り込まれたのは、生真面目で融通が利かず、なにかと上司と衝突することが多かった結果だと本人は思っているところがある。

 けっして望んでいたわけではない勤務地で、けっして望んでいたわけではない仕事を、それでも生来の生真面目さからキチンとこなそうと奮闘する姿を描いていく、というのが本書のおおまかなあらすじであるが、そこには当然のことながら、物語当初はあまり良い印象をもっていなかった「空港所勤務」への遠藤の心情が、どのように変化していくのか、という興味も含まれている。本書のなかではあくまで「スーパーバイザー」という職業で呼ばれる遠藤たちの仕事であるが、じつは業界用語的なもうひとつの呼び方というものがある。そして、それこそが本書のタイトルにもなっている「あぽやん」である。

 空港には癖が強くてとっつきにくいが、旅客のためならなんでもするし、本社サイドのミスも大概カバーしてくれるような空港のエキスパートがいるらしく、それをあぽやんと呼ぶのだと教えてくれた。僕は長い手足を広げてゴールを守る、ゴールキーパーのようなものを想像した。

 もともと航空や旅行業界で、空港のことをアルファベット三文字の「APO」と呼ぶことから名づけられた「あぽやん」であるが、上述の引用からもわかるように、もともとは賞賛とともに使われていた言葉である。それが旅行会社のお荷物のような扱いへと変化していったのは、そのまま会社の空港への位置づけの変化と呼応しているわけであるが、彼らが生身の人間としての旅客と対峙する「現場」の仕事に就いているという事実は変わらない。そしてどのような職業であれ、現場というのはたいていは泥臭いものであったりする。じっさい、本書のなかでも遠藤たちの仕事の大半は、たとえば未納になっている代金の徴収であるとか、ホテルが変更になったことへの了承を得るといった、本社のほうでフォローしきれなかった雑務なのだが、ときにはVIP扱いで接してくれだの、ゲートまで客を出迎えてくれだのといった、そもそも本来の仕事とはいえないようなものまで含まれている。

 業界用語で「おばけ」と呼ばれる、成田空港を経由して第三国への密航をくわだてる者の手口や、旅客機内のドアサイドの座席に怪我をした旅客を座らせることができない理由といった、その業界ならではの専門知識があちこちにちりばめられ、また本書のなかで生じるトラブルの内容も業界独自の事情が絡んでいたりして、それだけでもなかなか面白い作品ではあるが、なにより本書を印象づけているのが、遠藤の先輩にあたる「あぽやん」の面々だ。

 空港を何より楽しむ場としてとらえ、遠藤にもしきりに「笑って、笑って」とうながしてくる、どこか子どものようなところのある今泉利夫、空港に訪れる人も、そこではたらく社員も家族も同然と考える堀之内隆、どこかの研究員のように理知的な見た目とは裏腹に、旅客に対しては神々しいまでの笑顔を向けることができる田波浩一 ――いずれもアクのある性格ながら、いざというときは旅客のために最大限の努力を惜しまない面々をはじめ、どこか影の薄い定年間際の所長や、遠藤のマドンナ的存在で、自分探しと称していろいろな習い事に精を出す女性スタッフの古賀恵など、それぞれが空港という職場に独自のこだわりをもつ登場人物たちが、次々と起こるトラブルをどうにかこうにか乗り越えていく様子は、大変だと思ういっぽうで、どこか働くことの楽しさ――それは旅客と直接接することができるがゆえの醍醐味でもある――がにじみ出ていて好感のもてる内容である。ときには空港の現場を知らない本社側の人間が変なトラブルをもちこんだりといった、嫌な事件も起こるが、それもまた物語にアクセントをつける役目をはたしている。

 ときにはヤクザの団体からイチャモンをつけられ、ときにはクレーマーの対応に追われ、あるいは空港に置き去りにされた子どもの相手をしたりしながら、次第に遠藤もまたたんなるスーパーバイザーから「あぽやん」としての自覚とともに成長していくという本書は、たしかに仕事小説というべき性格をもつものではあるが、そこには人が何かの仕事にたずさわるさいに、本当に大切なものは何なのか、という深いテーマがたしかに隠されている。空港という、本来は目的に向かうための中継点にすぎない特殊な場所で、日々奮闘する個性的なエキスパートたちの姿をぜひたしかめてもらいたい。(2013.05.28)

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